書評『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』 【アメリカ保守派に対する日本からの回答】 #江崎道朗 | ScorpionsUFOMSGのブログ

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書評『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』 #江崎道朗 #PHP新書 #本が好き

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【アメリカ保守派に対する日本からの回答】 

私たちは米国保守の歴史を知らなかった-。

だがそれ以上に自国の戦前・戦中史を知らなかった-。

”日本人が知っておきたい本当の歴史”

 

■総評
■帝国主義への恐怖が生み出した、屈折したエリート
■右翼全体主義者が創り出した反皇室の左翼リベラル
■日米に共通するコミンテルンが生まれる土壌
■日米の若き保守主義者たち
■アメリカ保守派に対する日本からの回答-共存共栄と自由主義による政治-
 
■総評

現在の保守言論界をリードする江崎道朗先生の最新刊。
2017年はロシア革命100年という節目の年。それに相応しい”日本人が知っておきたい本当の歴史”を記した一冊であり、Amazon PHP新書 ランキングでは発売直後から1位を独走し、発売後5日を待たずして、大量増刷が決定したそうです!!
 
江崎先生の著書、あるいは関わりの深いものと言えば、
 『コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾』展転社
 『アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄』祥伝社新書
 『マスコミが報じないトランプ台頭の秘密』青林堂
 『現代アメリカ保守主義運動小史』明成社
 『世界がさばく東京裁判』明成社
が挙げられるかと思いますが、

いずれの書も共通しているのは
・アメリカは一枚岩ではないこと
・アメリカの中にも、特に保守派の中に日本を支持する声があること
・日米はコミンテルンの謀略によって戦わされたことを世に知らしめること
すなわち“本当のアメリカの姿”を主たるテーマにしていたと捉えることができます。
 
そこから一転し、今回は“日本”を中心として構成されていますが、その濃密な内容に圧倒されるのではないでしょうか。
 
・日本の独立を守ろうとしたが故に、「日本古来の伝統を捨てなければならない」と思い込み、共産主義、社会主義に染まってしまったエリートたち-。
 
・貧困問題に真剣に取り組もうとしたからこそ、社会主義に関心を抱いた社会主義者たち。それに付け込むコミンテルンと無用な弾圧を加える右翼全体主義者―。
 
・思想面において徐々に社会主義・共産主義、それらと同根である右翼全体主義に蝕まれていく政府・軍中枢-。
 
・右翼全体主義に侵された政府による言論弾圧、濡れ衣による逮捕など数々の苦難に遭いながらも、それに屈することなく、自由主義経済に基づく、聖徳太子以来の”日本の伝統的政治思想”、五箇条のご誓文、大日本帝国憲法に根差した国のあるべき姿を訴え、当時の世論を覆っていた左右の全体主義に立ち向かった精研メンバーたち―。
  
いずれも、多くの日本人にとって知らなかった事実ばかりであり、本書には日本人が知っておきたい、“本当の歴史”が詰め込まれていると言えます。
 
また本書は「コミンテルンの謀略工作は決して過去の出来事ではなく、現代においても行われているのだ」と警鐘を鳴らします。
 
このように書くと、何だか陰謀論めいたように聞こえますが、例えばトルコが外交理念として掲げる「国内平和・国際平和」のように、一見、国内の安定と国際社内の安定を希求しているもののように見えて、実際のところは「“国際社会で平和裏に生存する”というのが真に意味するところである(by「トルコ現代史」)」と言われるほど、国際社会というものは苛烈な生存競争の場であり、冷徹なものであるのも事実。
 
そんな国際社会の中にあってコミンテルンの謀略工作とまでは言わずとも、「“日本の繁栄を疎ましいと思う勢力”が妨害工作を講じてくる」ということは当然考えられるでしょうし、日本が再び国を誤らせるようなことがないとは言い切れません。
 
そんなとき必要なのは、本書で指摘されているように、一部のエリートによる全体主義などでは断じてなく、我が国の歴史、文化、伝統に基づく政治、「共に是れ凡夫のみ」という言葉に集約された聖徳太子の人生観、すなわち
共存共栄の精神であり、明治天皇が「五箇条の御誓文」で示した自由主義的な政治思想なのではないでしょうか。
 
さらに付け加えるならば、日本の目指すべき歴史、文化、伝統に基づく政治のあり方は、『現代アメリカ保守主義運動小史』で描かれている
アメリカの保守派が掲げた政治姿勢、すなわち”第一プリンシプルに基づく政治”とも極めて親和性が高く、日米関係のより一層の強化にも寄与するはずです。
 

アメリカ保守派に対する日本からの回答、そして日本における情報史学(インテリジェンス・ヒストリー)の第一歩を記した書として、国際社会でも読まれて欲しい、必読の一冊です!
   
■帝国主義への恐怖が生み出した、屈折したエリート

明治以降のエリート層には「独立を守るためには日本の歴史、文化、伝統を捨て去らなければならない」という危機感が募っていた。

現代の私たちからすれば、「そんなバカな」と一笑に付してしまいそうになりますが、当時の日本にはヨーロッパによる帝国主義、植民地主義が周辺諸国を侵略していく様が眼前に広がっていました。
 
江崎先生の別著『コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾』によれば、その侵略・搾取は苛烈を極め、搾取によって貧困に喘いだインドネシア人の平均寿命は35歳まで低下したそうです(諸説あり)。
 
しかも、当時の帝国主義、植民地主義の思想的背景には「文明とはヨーロッパ文明だけであり、他の地域には文明などはない。未開である」という意識が間違いなく存在していたことが明らかになっています。
 
”未開”とはすなわち”自然”であるということです。
となれば、未開の地に住む人類とは野蛮人(=自然)であり、当然に征服すべき対象、搾取すべき対象となります。

歴史家フレデリック・J・ターナーによるフロンティアの定義、「文明と未開が出会う場所」はアメリカ民主主義形成のおおもとが「未開に対する文明の勝利」というかたちでの「自然克服思想」の一つの現れであることを示すものである。
 
いみじくも「死んだインディアンだけが良いインディアン」というスローガンがあったが、アメリカ植民地人にとって先住民族は伐採されるべき森林と同じ「自然」とみなされていた。

 

植民地獲得が、自然克服の現れであることは明白である。


これは、『新・環境思想論―二十一世紀型エコロジーのすすめ』(海上知明著。荒地出版社)で取り上げられている一節ですが、「西欧文明と違う文明をもつ者=野蛮人=伐採されるべき森林と同じ」というような世界観が跳梁跋扈していたというのですから、当時のエリートにとっては、日本の文化が素晴らしいと主張することは「私は野蛮人です」と主張するようなものに、率先して「侵略して下さい」と述べているに等しいものに映ったのかもしれません。
 
維新回天を成し遂げた明治の元勲たちも、帝国憲法を戴くことによって穏やかながらも激しい挑戦状を西欧諸国に叩き付けていた一方、稚拙な欧化主義を取るということも一面ではあったわけですから、当時のエリートたちを「軟弱」の一言で終わらすことはできないでしょうし、「国を守るために、西欧の最先端の理論を取り入れなければならない」と考えられていた当時において、最先端の理論が、共産主義・社会主義だったと言うことは「歴史の悲劇」と言わざるを得ません。
 
■右翼全体主義者が創り出した反皇室の左翼リベラル
戦前・戦中の日本において社会主義・共産主義が跳梁跋扈したもう一つの大きな理由として、江崎先生は政府の経済失策、さらには労働問題・貧困問題への無理解を挙げています。
  
現代においても「経済対策・景気対策や労働・貧困問題に取り組むことは所詮、票集めの人気取りのための政策でしかなく、国民に痛みを強いる政策を通すことが真の政治である」という考え方が一部の間でまことしやかに語られていますが、それは勘違いも甚だしい、誤った考えであると言わざるを得ません。
 
貧困や劣悪な労働環境に苦しむ同胞をなんとか救いたいという動機から、社会主義に関心を抱いたに過ぎないにも関わらず、時の政府内にいた右翼全体主義者たちから弾圧を受ける―。
 
そこにどれほどの絶望があったのかを考えたとき、頭をよぎったのは20世紀アメリカを代表する文芸批評家であるエドマンド・ウィルソンの傑作『愛国の血糊』(研究社出版)で描かれている、「アンクル・トムの小屋」で有名なハリエット・ビーチャー・ストウ夫人の夫、カルヴィン・ストウ氏の絶望にも似た思いでした。
 
カルヴィン氏は敬遠なクリスチャンであり、「神の教えに従えば、皆幸せになれる」と信じて疑わない人物だったそうです。
 
ですが、「アンクル・トムの小屋」がベストセラーとなる前のストウ家は、非常に貧しい暮らしであり、どれだけ神に祈ろうとも、敬虔な暮らしを全うしようとも、一向にその暮らしは良くなる気配がありません。むしろ、神の教えに従えば従うほど、教えに反するようなことを行うことはできず、貧困生活は長く続き、数々の不幸が家族を襲います。
 
「自分は自らの信念に基づき、神の教えに従っているのだから、どれだけ貧しい暮らしになろうとも堪えることができる。
だが、そのためにかえって家族を苦しめてしてしまっているのだとしたら、自分は一体何をやっているのだろうか。家族を犠牲にしてまで信じているものとは、一体何なのだろうかー」という思いすら抱くようになったのだそうです。

 
”フランス人の愛妻家に離婚を強制するのは大変なこと”という話を聞きますが、”敬虔なクリスチャンに自らの信心に疑問を持たせる”というのも相当なことではないでしょうか。
 
さらに、時代は異なりますが、F・ルーズヴェルト民主党政権が民衆から熱狂をもって迎えられたのは、ハーバート・フーヴァー前共和党政権の経済失策が原因であり、結果的にアメリカ国内における親日派の「日米は戦うべきではない」という声はかき消され、対日開戦へ突き進んでしまう空気を作り出してしまったとも言われています。
 

これほどまでに経済政策を見誤るという事は致命的だという事です。
(※現在で言えば、民主党政権下での日本経済と消費増税”前”のアベノミクスによる日本経済に雲泥の差があることが、つとにわかりやすいのではないでしょうか。)
 
にもかかわらず、本来、経済失策、貧困問題、労働問題への無理解を自戒し、真摯に向き合うべきであった日本政府は、それをせず、むしろ貧困問題、労働問題への関心から政府を批判した者に対して、非国民のレッテルを張り、弾圧を加えてしまい、その反発がゆえに学生たちは皇室批判の急先鋒になってしまいました。
 
■日米に共通するコミンテルンが生まれる土壌
「なぜ、共産主義者・社会主義者たちはソ連・コミンテルンに加担し、祖国を滅ぼすようなことをしたのか―。」
 
『ヴェノナ』(中西輝政編著。PHP研究所)を通読した時もこの疑問が頭から離れることはありませんでした。
 
『ヴェノナ』では、純粋にスターリンらの主張に同調する熱狂的共産主義者もいる一方で、“移民”であるが故の、祖国への愛国心の残火からソ連に加担する者もいたと指摘されています。
 

進んでソ連のスパイとなったアメリカ人の中には、ロシアからの移民や移民の子供たちが多勢いた。
 
KGBのスパイとなったアメリカ共産党の青年党員サヴィル・サックスの両親は、その孫の証言によれば、過激な思想をもったロシアからの移民で、似たような思想をもった他の家族たちと同じアパートで共同生活を営んでいたが、彼らはこの「非常に閉鎖的なグループの中に閉じこもって暮らし、アメリカの社会は帝政ロシアでユダヤ人迫害を推進した人々と同じ人々が支配する社会だ」と決めつけていたという。
 
しかしロシア革命がおこったあとは、母国ロシアではボリシェヴィキ政権のおかげで、こうした不正義はすべて正されるようになったと、彼らは皆信じていたというのである。
 
こうして共産主義の思想と残っていたロシアへの愛着が一つになって、アメリカのロシア移民やその子供たちの中には、アメリカ国民としての意識よりも、ソ連という国家への奇妙な愛国心のほうがはるかに強かったという例もあった。
(by「ヴェノナ 第11章 ソ連の諜報活動とアメリカの歴史(結論)より」)


 
このため『ヴェノナ』を読んだときは私自身は「“移民”だったからソ連という国家への愛国心が強くなるのだ」と解釈していました。
ですが、そうなると移民が少なかった日本や、ロシアとはゆかりが薄いであろう東南アジア諸国において共産主義・社会主義に染まる人が相当数いたことについては説明がつかず、モヤモヤした感じが残ったままでした。
 
そんな思いを払拭してくれたのが本書であり、
「移民か否かは問題ではなく、目の前で行われている既存体制の腐敗や不正義、経済的窮乏、そして不当な弾圧こそが、人々を共産主義・社会主義に走らせたというのが真実なのではないか」と思い至るようになりました。
 
確かに当時の共産主義が巧妙なプロパガンダによって彩られ、その残虐な実体が覆い隠されていた面はあるのでしょう。
 
ですが、腐敗した既存体制に対する不平や不満、経済的窮乏、不当な弾圧などの不正義が無かりせれば、多くの人々が共産主義・社会主義にのめり込むというような事態に陥ることは決して無かったのではないでしょうか。
 
「国のために」を奨励しておきながら、国のために真摯な態度で政権を批判した人物は、味噌も糞も関係なく「非国民」「愛国的ではない」とレッテル貼りし、攻撃する-。

そんな”言行相反が許される社会”こそが、コミンテルンが生まれる土壌を作り出していたのではないかと思わずにはいられません。
 
このように本書を読み解いていくと、「慰安婦像を世界中に建てる日本人たち」(杉田水脈著。産経新聞出版)で描かれている”反日日本人と外務官僚の馴れ合い”が何故いつまでも続いているのかや、なぜ東南アジア諸国においてナショナリズムと共産主義が結びついたのか、といったことがわかってくるような気がしますし、「アジアに生きる大東亜戦争」(ASEANセンター。展転社)で語られているインドネシア第三副首相であったアラムシャ将軍の言葉、

我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り、幾度か屍山血河の闘争を試みたが、オランダの狡智なスパイ網と、強靭な武力と、苛烈な法律によって、圧倒され壊滅されてしまった。
それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。

インドネシア人が歓喜雀躍し、感謝感激したのは“当然”である。

 

日本軍は連合国のポツダム宣言を受託して、無条件降伏した後も、多数の有志将兵がインドネシアの独立戦争に参加してくれた。
 
我々インドネシア軍は戦争に未経験だったから、経験豊かでしかも勇猛果敢な日本軍将兵の参加が、いかばかり独立戦争を我々に有利は方向に導いたか、計り知れない。
 
数百年来インドネシアに住む、数百万の中国人の大部分がオランダ側に加担して、インドネシア人に銃を向けたが、日本人義勇兵は全部が全部インドネシア側に味方してくれた。

 

反共の凝り固まり”である日本軍が育てたPETAはもちろん“反共”だ。反共のPETAが母胎となった国軍が反共を信条とするのは“当然”である。


がどれほど心強い言葉なのか、胸を打たれる思いです。(ちなみにASEANセンターは、江崎先生のもう一つの師匠筋にあたる”熱血の民間外交官”、中島慎三郎先生が中心となって作った団体です。)
 
■日米の若き保守主義者たち
-アメリカの保守派はいかにして左翼リベラルに立ち向かったのか-

『現代アメリカ保守主義運動小史』によれば、米国の保守派もF・ルーズヴェルト政権下の左翼リベラル連合、通称”ニューディール連合”に圧倒されて以降、左翼リベラルの前に苦闘の歴史を歩んでいたことが克明に描かれています。
 
アメリカにおいても、伝統を重んじようという保守派の運動は、
・「いらついた精神のジェスチャー」であり、
・共和党への投票は「ファシズムへの投票」であり、
・共和党の大統領候補者は「精神的に不安定」で「内心は大量殺戮者」
なのだと罵倒され続けていました。
 
そんな中、アメリカの保守はどうしたのか。

合衆国憲法に謳われている「秩序ある自由」というアメリカ的伝統の「第一プリンシプル」に基づく政治を標榜したのです。
 
その中心には若い保守主義者による
「自主独立のための青年アメリカ人」という団体があり、彼らは「ゴールドウォーター全米草案起草委員会」へ必要なマンパワーを提供したり、「全米学生協会」のリベラルな政策に100か所の大学で挑み、「国のために血を流す登録」(献血)、ディベート、シンポジウムを通じてヴェトナムのアメリカ軍人を支援するなど数々の活動を行ったのだそうです。
 
そして幾度とない敗北を重ねても、決して屈することなく立ち上がり、そのたびに戦略・戦術の練度を高め、前進したことが、レーガン政権誕生として結実したのだとされています。
 

このアメリカ保守の運動は、まさに本書で記されている精研メンバーたちの運動そのものではないでしょうか。
 
残念ながら、アメリカの保守主義者たちに先んじて保守復権の運動に取り組んでいたにもかかわらず、精研メンバーたちは右翼全体主義者たちの不当な弾圧によって、解散の憂き目に遭ってしまいました。
 
ですが、その目指すべきところは脈々と受け継がれ、その流れを汲む日本を守る国民会議(日本会議の前身)の尽力などによって戦後憲法下での「大嘗祭」「即位の礼」の実現を成し遂げました。(by「日本人として知っておきたい皇室のこと」(中西輝政・日本会議編著。PHP研究所))
 
このほかにも、近年においては、江崎道朗先生をはじめ、本文でも名前が登場する、憲政史家の倉山満先生、経済評論家の上念司先生らの手によって、“本物”を求める声が広がっており、各地でセミナーや勉強会が開かれているのだそうです。
 

■アメリカ保守派に対する日本からの回答-共存共栄と自由主義-
戦前、戦中におけるコミンテルンの謀略工作や、日本国内において共産主義、社会主義がはびこるに至った経緯を膨大な資料をもとに描き切っている本書。
そして、コミンテルンの謀略工作は決して過去の出来事ではなく、現代においても行われているのだと警鐘を鳴らします。
 
冒頭でのトルコの外交理念のように、諸外国は皆、生存競争に必死であるということ、その中に「日本の繁栄を疎ましいと思う勢力」も存在するという事実から目を背けることはできません。
 
そして、そんなとき必要なことは、江崎先生が指摘されているように、一部のエリートによる全体主義などでは断じてなく、
正しい経済政策(デフレ下の現在で言えば大胆な金融緩和と消費減税)と、我が国の歴史、文化、伝統に基づく政治、「共に是れ凡夫のみ」という言葉に集約された聖徳太子の人生観、すなわち共存共栄の精神であり、明治天皇が「五箇条の御誓文」で示した自由主義的な政治思想なのではないでしょうか。
 
そして、
日本の目指すべき歴史、文化、伝統に基づく政治のあり方は、アメリカの保守派が標榜する「第一プリンシプルに基づく政治」と極めて親和性が高く、日米関係のより一層の強化にも寄与するはずです。
 
アメリカ保守派に対する日本からの回答、そして日本における情報史学(インテリジェンス・ヒストリー)の第一歩を記した書として、国際社会でも読まれて欲しい一冊です。
 
おススメです!!