話し合いで解決したければ強くなれ | カエサリオンと妖精たちの日々

カエサリオンと妖精たちの日々

孤高のピグ・カエサリオンが、ひょんなことで部活の部長を引き受けることになってからの、辛くもある部長としての奮闘記ブログが、部活解散後の彷徨うテスカトリポカのぐだぐだブログに変わりましたが、仲間に支えられ、再び復活したふぇありー部の紡ぎ直しの記録です!!

いま日本は台湾有事に備えて、軍事力を強化しようとしている。

すると「軍事力で対決するのではなく話し合いで解決すべき」という人がいる

至極もっともな意見だが、現実を知らなさすぎる

 

日本が話し合いで解決したいと言えば、話し合いが始まるとでも思っているのだろうか

そういう人たちは、対米戦争を避けるため、日本がどれほど必死に話し合い解決を求めていたのか知ってるのだろうか

 

話し合いというのは弱い側、あるいは弱いと思われている側から申し出ても始まらない。

話し合いで解決するかどうかは常に強い側に主導権があり、強い側が譲歩することで解決する

相手に話し合いで解決するしかないと想わせるために軍事力を強化しているのだ。

 

北朝鮮が核開発を続けているのもアメリカに話し合いに応じてほしいからだ。

自分たちが弱い国ではないと思わせようとしてミサイルを打っているのだ

しかし、アメリカは北朝鮮がアメリカに届く核ミサイルを開発しても北朝鮮を強い国とは認めないと思うが・・・

話し合いはしても北朝鮮の望むものは手に入らないと思う

 

 

 

日中戦争は日本が強い側だった。だから日本が話し合いで終結させようと思えば可能だった。

しかし、日本はその最大のチャンスを自ら潰したのだ。

 

1937年12月南京が陥落したとき、本当はあそこで戦争を終わらせることができた。

ドイツを仲介としたそれまでの交渉で中国国民党政府の幹部のほぼすべてが日本の提案する和平案を受け入れるべきとしていたが、ただ一人蒋介石だけが決断を躊躇していた。

このとき、首都南京を日本軍が攻略した。

 

これは蒋介石へのダメ押しとなるはずだった。

 

ところが、敵の首都を攻略したことで日本中が熱狂し朝日新聞などが対中強硬論で国民を煽った。そしてこの国民世論に迎合した近衛内閣は和平条件をより厳しいものに変更する

 

 

そして中国側はそれを拒否、さらに近衛内閣が「爾後、国民政府を相手とせず」との近衛声明を出し、自ら和平の道を閉ざしてしまう。

 

そして終わりの見えない泥沼の戦争になり、中国を支援する欧米の支援ルートが通っていた今のベトナム(フランス領インドシナ)に軍をすすめルートを遮断する(北部仏印進駐)

この行動に対して欧米から思ったほどの反発がなかったので、さらにベトナム南部にも軍をすすめた(南部仏印進駐)

 

しかし、この南部仏印進駐にアメリカが激しく反発し、対日石油輸出禁止という経済制裁を発動してくる

これにイギリスオランダも同調する(ABCD包囲網)

 

近衛内閣が中国に対して到底飲めない和平案を突き付けたように、今度はアメリカが日本の受け入れられない和解条件を突き付けてきたのだ

 

対米英との戦争は日本の自衛戦争だった。

しかし、そんな袋小路に迷い込んでしまったのは、日本の外交の失敗であった。

政治家の能力一つで戦争にも平和にもなる

軍事力が危険なのではなく、能力のない政治家が指導者になることが危険なのだ。