昨日(6月22日)やっと山陰地方が梅雨入り。今日は強い雨で郵便受けから雨水が家の玄関の内に吹き込んであわてました。(古い日本家屋で一人暮らしは心配です。)
最近考えていること(箇条書きです)
(1) 副業農家で勤め人の話し:
地方といっても、何十年か前から水田がどんどん埋め立てられて住宅地になり、広かった水田地帯はとても大きな商業施設が沢山できました。今は地方都市で水田を見ようと思ったら車で結構走らないと水田は見えないんです。(水田地帯があるのは結構山が近い方とか・・そんな感じ)
5月に設備工事の人が家の外の設備の修理に何度か来てくれて顔見知りになり、身の上話を話しました。50代の男性で境遇が似ていて、「勤めの傍ら代々の田んぼをしてて、今年も田植えするけど。息子は2人とも家庭を持ち、首都圏にいるので地元に帰ることは期待してなくて、田んぼをしても元気がでない。」とのこと。
(2) 家を継ぐという考え:
設備工事の人と話していて、
”そうだったなー、田舎では家・代々の田んぼを守ることが昔は一番の使命だったなー”・・
大体、地方の昔ながらの農家は家が一段と立派で広く、庭が広いことが多いです
(2) 後継ぎがないのは、農家だけではない:
地元の知り合いを考えてみて、、農家以外のサラリーマン・自営の人(70代、60代)の子供達(後継ぎ)は大方がもう都会(大体が首都圏)に定住していて、
立派な新しい家+広い庭は、もう今の代で(たぶん)継ぐ人はなさそう??。
(3) 現在の介護を受けてる世代 核家族の世代
1960年頃から核家族が始まったのというので→
現在介護を受けている(今80代~90代くらいの)世代くらいから核家族がはじまったのか?
地元・地方に残った人たち(メイン長男・長女)が現在地元で介護を受けているのか?。
(私の父も若い頃に都会に行くつもりだったが、手伝いさせられ、残った)
都会にずっとの人はそこで介護を受けることが多い
(聞いた話:、おひとかた都会で配偶者をなくし1人になり、要介護になり地元で兄弟の世話で施設に入った)。
(3) 現在、地方で介護を受けている中心世代のこれまで:
戦後の高度成長で都市部に移動したが、
地方に残った概ね80半ば以上を介護施設で多くみかけますので。
(戦争が終わったのが1945年(現在79歳)なので)1930年代に生まれた世代と思います。
(この世代は、小学校の前半くらいまで戦時中の教育うけてて、戦後・急に民主教育になったです)
日本の大部分を占めていた地方の農村部は「家を守る・田畑を守る」という考えは親世代から多少受け継いだんだろう?
(ただし戦前は大半が小作農だったんで、農地改革で田んぼの所有がやっと自分のものになった)。
現在介護を受けている80~90代の親世代は明治生まれくらいで、
(働き手の父親や兄が戦争に行った)戦時中苦労した。
明治生まれの親が戦後、家と農地をしっかり持ち耕作して農業を・・
地方に残った後継ぎは家や土地を維持し、その世代が現在地方で介護を受けているのかな?と。
(4) 「家を守る」という考えは終わった?
今は、50代・60代・70代の地方在住の夫婦の子ども達は(ほとんど)都会に住んで田舎の家は顧みないだろう。地方は高齢者の単身世帯は多い。たとえ今夫婦二人でいても、どちらかが先に亡くなり、いずれ一人ぼっちになってしまう。
地方に続いて来た「家を守る」という考えは、もうおわりか?と思います。
but (政治家のお子さん、芸能人のお子さんは二世三世あるので家制度はしっかりありそう)
(2) 地方の生活 いかにするか?なにが大事か?
高齢者介護で一番大切だったのは「声をかけ」だった。→やっとわかり。
独り暮らしの人も、他の人と話をした方がメンタルが安定する、
認知の進行は独りより絶対ゆっくりになる、
情報交換で生活の工夫もできる、野菜貰ったり、おかずの交換できる!
→生活はたのしくなる。
高齢者でなくても、近所の人に声をかけることで、より住みやすい街になります。
「家を守る」を捨て「家の塀を捨てないと」、ダメだ!
近所の人と話をすれば、地方の生活は楽しくなると思います。
(たとえば、、古民家修復のドイツ人建築家カール・ベンクスさんご夫婦・・)