「生きる」(1952) 映画 (その1) | diary of trial and error (new title)

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1週間前、今年の「成人の日」は1月8日(月)の午後、13:05~15:30 (2hr25min)

  (成人の日がなぜ明日1月15日でないのか、昭和じじいには違和感があるのですが)

テレビをつけたら、NHKが黒澤明「生きる」で、正月でもあり、成人の日でもありで、意図もあるのだろうかなと・・1週間たっても何か考えさせられる映画。

 

映画の途中からしか見ておらず(息子(金子信雄)が若い頃をみてないです)、うろ覚えなのですが、

1週間経ってから残っていることを列挙します。

 

役者さんの変化・へんげ 「生きる」では金子信雄さんが息子役だが、役者というのは変化がすごいものだなーと。1952年の「生きる」を観た数日後にYouTube東映シアター1969年「日本女侠伝 侠客芸者」を観ていて、あら金子信雄さんが一番の悪役だ!と。確か昔のテレビドラマ「白い巨塔」でも・・。実生活では、金子信雄さんは丹阿弥谷津子さんと結婚され、俳優業以外でも料理研究料理番組にも出たり(Wikipedia)、なので、役者・俳優というのはおそろしいものだなと。

 

胃がん 今では胃がんは「死の宣告」ではないが、70年前の1952年当時は、胃がんは医学は無力で余命数カ月とかの宣告だった。それが一般的に受け入れられてた。かなり進歩した。今は治療を受けながら仕事を続ける環境を整えようとなってるわけで。

 

市民課 むかしは、本当に「お役所仕事ってあったらしいんで、窓口を、たらいまわしされたり、、それで、市役所が「すぐやる課」というのを創設したりあった。そして、主人公の志村喬さんが課長のが「市民課」で、これが1階の市役所玄関入ってすぐに市民課=「すぐやる課」ですが。

 

小田切みきさん

市民課職員だったんだが、役所仕事があまりに面白くなく→玩具工場の工員に。辞表を課長(志村喬)に持って行き、がんの宣告を受けてた課長は、小田切という若い娘の生き生きしている理由が知りたく。(ぜんまい仕掛けの犬のおもちゃにハッと)そして自分も何かつくろうと・・

この小田切みきさんって凄く可愛いのと、見たことがあるような・・でWikiで調べると、
あの昭和ドラマチャコちゃんの四方晴美のお母ちゃんだったのか(お姉さんが四方正美さん)、
今でも、スクリーン上で魅力的。

 

(つづく)