江戸時代の句碑vs現代の石碑(コピペ記事) | diary of trial and error (new title)

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夜中に、山陰の山中を自動車で走っていて、カーナビに、山の中に「芭蕉の句碑」が表示されてるので、「芭蕉が山陰に来たはずはない。句碑は観光名所つくりに最近つくったものだろう」と思い、後でネットで調べると、意外でした。「1794年頃に、日本各地で芭蕉の没後百年記念行事があって、その影響で 寛政九年(1797)7月に建立された」らしい。

 

江戸時代にこんな田舎で、芭蕉の石碑を建立するとは。現在、地方に俳句の句碑を建てるような人がいるだろうか?
最近の石碑は、「〇〇河川改修完成記念」(〇〇県知事、だれだれ書)とか立派な石碑はあるけれど、江戸時代に地方の町や村は(全国的な影響を受け)文化的だっんだなーと。

 

「夏来ても ただ一つ葉の 一つかな」 用瀬町(もちがせ)

 

(以下、鳥取市HPの引用)用瀬町の句碑:

「松尾芭蕉は山陰には来訪していないが、翁の俳風を偲んで立てられた碑は多い。(中略)

寛政六年(一七九四)には芭蕉没後百年記念行事が日本の各地で盛大に行われており、こうした全国的なうねりと、また蕉風の流れを汲む青車・有隣の存在が、用瀬の芭蕉碑設立(寛政九年)に何らかの影を落としてはいないだろうか。」

 

 

べつの句碑

 

「梅が香に のつと日の出る 山路かな」 境港市(さかいみなと)

 

調べると、西部の境港市(ゲゲゲの鬼太郎で有名)の芭蕉の句碑。

文政元年(1818年)のようです。 境港市 中野町 正福寺内

(水木しげる先生が子供の頃に行ったお寺でしょうか?)

 

 

21)松尾芭蕉の句碑(Matsuo Basho's monument)

「梅が香に のっと日の出る 山路かな」