アマゾンからダイレクトメールが届いた。

 

 

内容はアマゾンミュージックアンリミテッドへの入会の勧誘であった。

 

 

単にあらゆる音楽が聴き放題であるという事だけでなく、高音質で聴くことが出来るという触れ込みだった。

 

 

耳慣れなかった空間オーディオという言葉だったが、少し興味を持った。

 

 

以前の私は、オーディブル(可聴の)という観念に関しては、ひたすらピュアな音を、つまりピュアオーディオというものを求めていた。

 

 

しかし、最近のテクノロジーの進歩は目覚ましく、空間オーディオなどの音質は、ピュアオーディオのそれに拮抗していると言わざるを得ない。

 

 

ただ、ピュアオーディオと違って、この種の新しい音響技術は多様化しており、例えばドルビーアトモスに一本化するといった聴き方は良くないし、また必要な事でもないと思う。

 ある春の日の事だった。私は富山駅の構内のプラットフォームを一人で歩いていた。自宅に帰る途中だったのかも知れない。あるいはただ訳もなくぶらぶらしていただけだったのかも知れない。高校を中退して浪人中の私は暇人だった。

するとその時、高校の同級生にぱたりと出っくわした。同じ小学校と中学校を卒業して、高校も同じだった同郷の学生であった。私はその人と一緒にホームのベンチに腰掛けた。

 彼は私に、これから大学に通うために上京するのだと話した。彼はどこの大学に通うのかを言わなかったが、私は彼が横浜国立大学の工学部に合格していた事を知っていた。彼はまた私に、私の進路の事を訊ねた。私は口ごもっていた。私の気分は暗かった。

ちょうど停まっていた列車の車窓から、赤ん坊が笑いながら顔を出していた。彼は立ち上がって、見ず知らずのその赤ん坊に親しそうに声をかけ、あやしたりしていた。彼は如何にも得意そうであった。これから待っている大学生活への希望と期待に満ち溢れている様に私には思えた。

 私はぼんやりしていた。この同級生と自分との間の懸隔の大きさを思わずにはいられなかった。自分の将来を考えると真っ暗になった。私は何も考えることが出来なかった。彼と見知らぬ赤ん坊との笑い声だけが耳に響いていた。

しばらく経った後、彼は腕時計に目を通すと、列車の到着する時間が来たからと断って、私と別れた。一人になった私は、暗澹たる気持ちがいつまでたっても快復しない様な気がしてくるのだった。

 

今の私は、一応働いてはいるが、無気力でだらしのない生活をしている。何をするのも面倒だし、また、何を考えるのも矢張面倒で仕方がない。

 

 

面倒くさいという言い分は、ある意味もっとも卑劣な弁解の仕方であろう。それはその通りだが、そうは言っても矢張面倒臭いのだから、仕方がない。。この怠慢癖、怠慢癖というよりも考える手間を省略したがる性癖と言った方が正しいのだが、この怠け癖は、私の生存を脅かしかねないものに成りつつある。恐ろしい事だ。