他人の価値を評価しようとするとき、その人と一蓮托生である場合が、一番望ましい。自分が苦境に陥ったり、或いは経済的に破綻してしまったりしたとする。そんな自分を見過ごす人よりは、そんな自分の窮地を理解してくれて、同情を寄せてくれる人が、さらには、自分に支援の手を差し伸べてくれる人が望ましい。さらに願わくば、過度の同情から彼自身も危険に晒されて、自分と共倒れになって窮境に立たされる様な人であってくれたら尚更よいと思う。
ところで、これと正反対のケースがある。他人の不幸や他人の経済的破綻を看過する場合、その人と道連れになって、共倒れになるのは御免こうむると言った場合である。あるいは精神的に破綻した場合でもよい。例えて言えば、統合失調症の患者を措置入院させる場合などがこれに当たると思う。ただし、こう言ったからと言って、何も統失患者の肩を持つつもりなどは全くない。措置入院ほど、その全責任が患者本人に属している入院の仕方もないのだから。