男女平等参画とメディア 表現の自由と路上ライブについて | 「都青少年健全育成条例改正案」と表現の自由に関するブログ

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このような恣意的に操作した被験者を対象としたデータは、マーケティング上も、統計学上も、全く意味を成さず、更に、これが何故メディアやゲーム、アニメ、漫画を対象とした規制によって改善されるのか、全く理解出来ない。
しかし、これは我々日本人が選んだ首都、東京の知事の決断であり、何をしても動かす事が出来ない事は、我々は理解している。
我々に出来る事は、一つである。


首都、東京を捨てよ!


そして、場合によっては、日本を捨てよ!!


全ての若者が現在、不遇な立場で労働に従事している。
その若者から路上ライブを奪い、表現の自由を奪い、それらを享受する権利を奪う国家など、最早、国家ではない。

国家は誰の為にあるか。
それは、権力者でも、金持ちでも、まして、石原慎太郎の為に存在するのではない。
が、しかし、彼を大多数の都民が選んだ以上、それが民意であると受け取らざる得ない。


したがって、表現の自由を守る為に、日本を守る為に、私、零が新しい日本人に送る言葉は、一つしかない。


この国は権力者と、既得権益者と、その子孫の物だ。
したがって、労働者、サラリーマンを家主に持つ者達に言える事は、これもまた、一つしかない。


新しい日本人よ。
新しい価値観を持った日本人よ。
そして、未来に希望を持ちたい日本人よ。


日本を捨てよ!

そして、この国を老人と既得権益にぶら下がっていた奴らに捧げよ!


我々と同じ事を、全ての若者、全ての新たな日本人に強いる事は、あまりにも酷であり、残酷である。
第三国に行き、日本の行く末を見守って欲しい。


私、零は最後まで戦う。
日本をまた若者が笑って暮らせる国になるまで。
渋谷で路上ライブが聞ける国になるまで。
そして、日本国憲法を遵守する政治家が多数の国家に成長するまで。
例え、一兵になったとしても、戦い続ける。


老い先短い身ではあるが、日本はかつて享受と自愛を持った国であった。
多少、隣の住人が五月蝿かろうと、外で若者がどれだけ騒いでいようと、年長者はそれを温かく見守り、そして、それがやがて文化になっていった。
そんな国だった。

今の日本は、私の知っている日本ではない。
日本は、60年代からやり直すべきだ。