【高橋事件弁護団広報】2014年10月31日―死刑囚証人と傍聴人との間の遮へいについて | 空気を読まずに生きる

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弁護士 趙 誠峰(第二東京弁護士会・Kollectアーツ法律事務所)の情報発信。

裁判員、刑事司法、ロースクールなどを事務所の意向に関係なく語る。https://kollect-arts.jp/

私が弁護人の一人である高橋克也氏の弁護団から広報を出しました。

東京地方裁判所刑事第6部が証人尋問を決定した井上嘉浩氏らについて、検察官は、10月27日付書面で、刑事訴訟法157条の3第2項に基づき、各証人と傍聴人との間に遮へい措置を講じることを求める申出をしました。検察官は、これらの証人がいずれも死刑確定者であることから、多数の傍聴人の見守る法廷に出頭することで「再び社会に戻りたいという気持ち」から「自暴自棄になって第三者を巻き添えに生命を賭して逃走を図るなど、裁判員、裁判官その他の裁判所職員、弁護人、検察官、さらには一般市民である多数の傍聴人等に対する殺傷事案を引き起こすことになりかねない」と述べています。また、彼らを「奪還」したり「襲撃」する者が出てくる危険性があると検察官は主張しています。

われわれ弁護団は、検察官の要求は理由がないとして遮へい措置を講じることに反対しており、10月30日、反対の意見書を提出しました。われわれは、裁判公開原則を定める憲法82条1項や刑事被告人の公開裁判を受ける権利を保障する憲法37条1項にもとづいて、裁判を傍聴する市民には証人の証言を音声で聞くだけではなく、証人の証言態度やその表情、しぐさを観察する権利があると考えます。そうでなければ、刑事裁判を市民が監視し裁判が公正に運用されることを保障しようという憲法の趣旨は全うされません。

「殺傷事案」とか「奪還」「襲撃」などという検察官の見込みにはなんらの具体性もなく、刑事訴訟法157条の3の要件は全く立証されていません。仮に万が一そうした犯罪行為が行われる危険性があるとしたら、証人と傍聴席の間にスクリーンを設置するようなことでそれを防ぐことなど不可能です。

さらに、遮へいは井上氏ら証人自身が望んでいるわけでもありません。彼らはむしろ、公開の法廷できちんと証言することを希望しています。検察官による遮へいの要求は、彼ら証人のためというよりは、死刑囚を衆目にさらすことを極力厭う拘置所の前近代的な体質によるものです。

この遮へい要求は、刑事被告人の権利を侵害するというだけではなく、国民の知る権利や報道機関の報道の自由を侵害する、極めて重大な憲法問題です。この要求が認められ遮へいが実施されたら、傍聴人はこの事件の事実関係を語る証人の様子を全く観察することができなくなります。この事件の公判の一部がこうした秘密の審問の様相を呈して行われることは、わが国の刑事裁判の歴史に大きな汚点を残すことになると考えます。こうした措置が、国民の目から閉ざされた非公開の手続(公判前整理手続)のなかで決定されようとしていることに、われわれは大きな危惧を感じます。そこで、裁判所が誤った決定をする前にこの出来事を国民に伝えるべきだと判断しました。

高橋克也氏の弁護人を代表して
弁護士 高野隆

追伸:われわれ弁護団はこれまでマスコミ関係者の個別取材には一切応じてきませんでした。その姿勢は今後も維持します。ただ、東京地裁によるメディア向けの広報では不十分な点があり、一部で誤った報道がなされるという事態が生じました。そこで、必要に応じて手続の重要な出来事について広報をすることにしました。

裁判をなぜ公開するのか、その大きな目的の一つは、裁判所で何が行われているのかを国民が知るためです。法廷の中で何が行われているのか、どんな証人が出てきているのか、証人はどんな容貌の人なのか、証人はどんなしぐさをしながら証言をしているのか、みなさん知りたいはずです。知る権利があるのです。
そして、このように裁判が公開されることによって、公開裁判を受ける権利という被告人の権利が全うされるのです。

今回検察官が申し立てた遮へいの要求は、証人として法廷に出てきた死刑囚の姿を国民に見せないというものです。証人と傍聴席との間についたてを立てて、証人を隠すということです。証人はどんな姿なのか、どんな仕草で証言しているのか、このままでは国民は知ることができないのです。

つまり、このような遮へいによって、本来知ることのできるものが知れなくなるのは国民なのです。そしてこの国民の知る権利に奉仕するマスメディアこそがこの遮へいによって一番権利が侵害されるのです。
この問題、マスメディアは当事者です。マスメディアの権利が侵害されているのです。決して第三者ではありません。
もしこの問題に対して、「死刑囚の身上の安定も考慮すべき、遮へいもやむを得ない」などという論陣を張るマスメディアがあれば、それはマスメディアの死を意味するでしょう。
マスメディアは、自らの役割を考えるべきです。マスメディアの役割は国民の知る権利に奉仕すべく、法廷の中で何が行われているのかを具に報道することです。そのために、法廷での出来事を秘密にしようとする動きに対しては当事者として徹底抗戦するべきです。