HEROに反論する④ | 空気を読まずに生きる

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弁護士 趙 誠峰(第二東京弁護士会・Kollectアーツ法律事務所)の情報発信。

裁判員、刑事司法、ロースクールなどを事務所の意向に関係なく語る。https://kollect-arts.jp/

まだまだ続けます。
今回は第5話より。--「じーーっくり話を聞きますから」異論

今回は川尻支部長の名セリフより
「われわれ検事の捜査は話を聞くことです。どんな大きな事件でも、小さな事件でも人と人が向き合うことによって真実が見えてくる。私たちはそう思っています。しかし、相手が何も話をしてくれないと私たちは何もできません。実は検事っていうのは事件のことを何も知らないんです。そこで何が起きたのか。目の前にいる被疑者が本当に犯人なのか、だとしたら動機は何なのか。最初は何にも知りません。知っているのは真犯人と被害者と目撃者、その場にいた当事者だけです。みんなだってそうだろう。相手と正面から向き合わないとその人のことは分からない。本当のことも分からない。当事者が正直に話してくれれば真実が見えてくる。そのためにわれわれ検事はいろいろなことを勉強します。専門的な難しいことも、事務官の助けを借りて一生懸命勉強します。そうやって犯罪者が正当に罰を受ける世の中、確かな正義が存在する世の中に近づけていくこと、それがわれわれ検察の仕事なんです」

そして、今回何度も出てくる久利生検事のセリフ
「じっくり話聞かせてもらいますよ」

検事がじっくりと関係者から話を聞く。これはもちろん必要なことだろう。
そのことによって見えてくる真実はもちろんあるだろう。
犯罪捜査に限らず、刑事裁判というのは、過去にあった出来事について、人(証人)の話を聞いて何があったのかを認定する手続と言える。なので、人の話を聞くというのはすべての基本。そのことに何の異論もない。

ところが、検事が「被疑者からじっくり話を聞く」というのは全く違う要素がある。
じっくり話を聞くことがすばらしいこととは言えない。

刑事手続において、被疑者は捜査や裁判の対象物ではない。かつては被疑者は捜査の客体、対象物とされ、その被疑者を利用して国家が真相解明、事案解明をする、それが捜査だとされてきた。
これを”糾問的捜査観”と言ったりする。
この糾問的捜査観のもとでは、検事は被疑者からじっくり話を聞いて、真相解明、事案解明をし、そしてその被疑者に罰を与えるのが職務だとされた。

ところが、これは戦前の話である。
現代の刑事裁判、捜査では、被疑者は捜査の客体、対象物ではなく、刑事手続の一方の当事者としての地位があり、その反対の当事者に検事がいるとされている。そして、裁判の場において、一方当事者である検察の言い分が間違いないと言えるのかどうかを判断することになる。
これを”弾劾的捜査観”という。
この弾劾的捜査観の元では、検察官と被疑者はお互い対等な対立当事者である。
そこからは、被疑者が検事に対してじっくりと話をしなければならないということには結びつかない。

久利生検事たちがよく被疑者に言う「じーーっくり話聞かせてもらいますよ」とか、検事がじっくり話を聞いて真実に辿り着き、犯罪者に罰を与えるというのは一昔も二昔も前の検事の役割のように思える。

被疑者と検察官は対立する当事者だから、被疑者は検事の取調べに協力しなければならないわけではない。本来的には、取調べも拒否できなきゃおかしい(現実は拒否できないが)。
黙秘権はあるが、現状は黙秘を妨害するさまざまな仕組みがたくさん残っている。
今の制度では、逮捕された被疑者は約20日間検事の取調べを受けることとなる。これは異常なまでに長い。どんなに事実を争おうが、検事には20日間、被疑者からじーーーーっくり話を聞く機会が与えられている。

これは現代の検事と被疑者のあるべき関係からすれば異常な制度だ。
20日間みっちり取調べられることによって、虚偽の自白をしたり様々な問題があることはいろんなニュースを見ればわかるとおり。

なぜこのようなニュースが後を絶たないか。
それは、検事の中に、未だに被疑者からじーーーっくり話を聞いて、被疑者に検事の前で犯罪事実を認めさせることがすばらしいことだという感覚が蔓延してるから。
そして、それをやらせるのに十分な20日間という極めて長期間の取調べ時間を検事に与えているからだと思う。

一見すると正しいことのように感じる、「じーーーっくり話を聞きますから」という言葉。
実はこれは極めて時代遅れなのだ。