袴田巌さんの釈放によせて | 空気を読まずに生きる

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弁護士 趙 誠峰(第二東京弁護士会・Kollectアーツ法律事務所)の情報発信。

裁判員、刑事司法、ロースクールなどを事務所の意向に関係なく語る。https://kollect-arts.jp/

「死刑が執行されなくてよかったね」

袴田巌さんの再審開始決定、釈放についてこのような言葉が聞かれる。
しかし、私にはとてもそう思えない。
もちろん死刑が執行されなくてよかった。
しかし、48年間もの間、死刑執行の恐怖におびえながら過ごした人がある日突然社会に放り出される。
このことの残酷さをむしろ私は感じた。
そして、あらためて死刑の残酷さを感じた。

よく人は、死刑はとりかえしがつかない、冤罪が後からわかっても死刑が執行された後ではもう遅いというようなことを言い、死刑反対の論陣をはる。
これまで私はこの意見について全く異論がなかった。

ところが、今日の袴田巌さんの釈放という現実に接してこの意見は変わった。

死刑が執行される前であったとしても、いったん死刑を言い渡した以上、後から冤罪がわかってももう遅いと思った。
人生の半分以上もの時間、自分は事件の犯人ではないと訴える一方で日々死刑の恐怖を与え続けることこそ、死刑という制度の残酷さ、非人道的な部分なのではないか。

昨日まで確定死刑囚としていつ死刑が執行されるかわからない人が、今日釈放される。
これほど死刑というものの意味、おそろしさ、残酷さを感じる出来事はない。
どうしても今日のうちに感じたことを形に残しておこうと思い、1年以上ぶりにブログを更新した。