今回は裁判員裁判を考えるシリーズから離れて、時事問題について思ったことを。
インターネット上の書き込みについて、真犯人ではない人を逮捕し、起訴し、保護処分が出された等々話題になっている。
今回警察はIPアドレスを根拠に被疑者を逮捕し、中には「自白」をして起訴された人がいるとのことである。
マスコミをはじめとする多くの論調は警察の捜査はずさんだ!誤認逮捕けしからん!というものである。非難の矛先は誤認逮捕をした警察、自白を強要した警察、検察、起訴した検察といったところだろう。
しかし私は、非難されるべきは誤認逮捕をした警察ではないと思う。
警察はIPアドレスを根拠に各被疑者を逮捕したとのことである。このこと自体、間違っていないと思う。IPアドレスはそれ自体、当該パソコンから違法な書き込みがなされたことを疑わしめる1事情であることは間違いない。今回の件でこのIPアドレスというものが絶対的なものではないことが世に知れ渡ったが、とはいえ重要な証拠であることは遠隔操作できるウイルスがあっても変わらない。
だから、IPアドレスを根拠に逮捕することがあっても私は仕方ないと思う。
問題はその後である。
今の日本の事件捜査では、逮捕すればほぼ自動的に10日間(ないし20日間)勾留されるという運用になっている。このことが最大の問題点である。
IPアドレスから疑われた人について逮捕したとしても、その人の弁解を聞いて、その人が事実を否認しているのであればすぐに釈放すればいい。逮捕して、証拠物件となるパソコンを押収して、問題となるようなウイルスがないかどうか、IPアドレスを信用すればいいのかどうか、時間をかけて証拠物件を精査すればいい。そのような捜査を時間をかけて行うべきである。
ところが、現状は、逮捕し、20日間勾留する中で、IPアドレスが出ているんだぞといって自白を強要する捜査が行われている。自白を強要することが非難されるべきことは言うまでもないが、その根本的な原因は、逮捕=20日間の身柄拘束という、現在の日本の捜査実務にあると私は思う。
そして、その原因は誰か。もちろん勾留請求する検察官にも責任はあるのかもしれないが、それよりも何よりも、捜査機関からの令状請求に対してメクラ判を押して続けている裁判官こそ、非難されるべきである。
今回の一連の事件報道を見ていて、一番非難されるべきことは、このような事件で安易に20日間の身柄拘束を認めている裁判官だと思った。
身に覚えのない事実で逮捕されたとしても、最初に弁解を聞かれた時には身に覚えのない人は「身に覚えがない」と言うだろう。その後、速やかに被疑者を釈放すれば自白を強要されることもないし、起訴されることもなかっただろう。捜査機関も20日間という短期間に慌てて捜査することもなく、時間をかけてPC等の証拠物件の精査をすることができただろう。
そうすれば今回のような悲劇は起こらなかったはずだ。
よく、冤罪報道の際にも、警察が謝罪する場面が報道される。
私は間違っていると思う。
結果として警察が捜査の対象とした人物が本来捜査の対象をすべき人ではなかったとしても、それがチェックできるように裁判所という存在がある。言い換えれば、警察の捜査に誤りがあることは制度上織り込み済みなのである。
冤罪事件で謝るべきはチェック機能を果たせなかった裁判所である。
ところが、どうもマスコミ等の批判の矛先は警察に向かう。これは非常に危険だ。
なぜならば、非難の矛先が警察に向かうということは、無意識のうちに、世論が警察のやることは全て正しいという前提に立とうとしていて、その後にあるべき裁判所によるチェックというものに目を配らなくなるからだ。
その行き着く先は、「警察が捜査し、検察が起訴したのだから有罪だろう」という有罪推定原則の蔓延だと思う。
警察がやることには誤りが含まれるのは当たり前だ、だからこそ裁判所が身柄拘束についてもチェックをするんだという感覚をもっと世の中に根付かせる必要がある。
そのような感覚が根付けば、検察が起訴したとしても、正しいかどうかわからない。それをチェックするのが裁判所の役割だ、という感覚を持った裁判員が増えるのだろう。