裁判員裁判を考える(1)―市民の常識が支配する法廷 | 空気を読まずに生きる

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弁護士 趙 誠峰(第二東京弁護士会・Kollectアーツ法律事務所)の情報発信。

裁判員、刑事司法、ロースクールなどを事務所の意向に関係なく語る。https://kollect-arts.jp/

私はこれまで6件の裁判員裁判の公判弁護をしてきた。その中には有罪か無罪かを争う事件もあれば、事実関係に争いがないような事件もある。また、正当防衛を主張した事件もあれば、心神喪失による無罪を主張した事件もある。また性犯罪もあればヤクザの事件もある。そこでこれまでの経験から自分なりに裁判員裁判を考えてみようと思う。
とりあえずいろんなポイントごとに何回かの連載にするつもりだが、全く計画はないのでどうなるかわからない。
連載にするという意気込みの証としてタイトルに(1)とつけてみた。

まずどのような事件の弁護をしてきたか。
① 殺人事件 東京地裁 統合失調症による影響で心神喪失による無罪を主張
   結果:心神耗弱が認められ懲役7年(求刑は懲役12年) 控訴の後、確定
② 強盗強姦未遂事件 東京地裁 事実関係にほとんど争いなし
   結果:懲役7年(求刑は懲役10年)確定
③ 強盗致傷事件 東京地裁 有罪であることに争いはないが、事実関係に争いあり
   結果:懲役4年6月(求刑は懲役7年)確定
④ 傷害致死事件 東京地裁 正当防衛による無罪を主張
   結果:無罪(求刑は懲役5年)確定
⑤ 覚せい剤密輸事件 東京地裁 ブラインド・ミュール(盲目の運び屋)による無罪を主張
   結果:無罪(求刑は懲役14年、罰金800万円)控訴審係属中
⑥ 組織的殺人幇助事件 さいたま地裁 ヤクザの抗争事件、無罪を主張
   結果:懲役6年6月(求刑は懲役10年)控訴審係属中

連載第1回目ということで、まず最初に私の裁判員裁判へのスタンスをはっきりしておこう。
私は裁判員裁判はすばらしいと思っている。
改善点はたくさんあるけれども、基本的なスタンスとして裁判員裁判肯定派である。

まず、弁護人として裁判員裁判の何が魅力的かと言うと、法壇の上に、裁判官ではない、私服を来た市民がいるということだ。

私はまだ弁護士4年目で大した経験もなく、裁判員裁判世代の弁護士だと思う。
そういう意味では、法壇の上に私服を来た市民がいることについて、私なんかが感じるよりもうん十倍もの感慨をベテラン弁護士たちは感じているのだろう。私ですらこれだけ感じたのだから、ベテラン弁護士たちの感慨深さは想像に余りある。

ではなぜ、法壇の上に裁判官ではない市民がいることが魅力的なのか。
それは刑事事件の弁護活動をしていると、どう考えても"常識"からかけ離れた判断が日々職業裁判官によって下され、そのことに疲弊し、辟易し、憤ることが常だからだ。
法壇の上に私服の市民がいれば、市民が常識に従った判断をしてくれるのではないか、そういった期待を抱かずにはいられないからだ。

そして、現に裁判員裁判では、これまでの職業裁判官のみの裁判官では出なかったような"常識"に適った判決が出ているように思う。
(逆に、裁判員裁判によって、「健全な社会常識」という名の下に誤った判断がされているとの批判をする人もいるだろうが、そのことについてはまたいつか考えることにしよう)。

現に、私が経験した裁判員裁判において、まさに市民の常識が導いた判決だと感じられるものはいくつもある。

と、いろいろ書き始めたらキリがないので、連載第1回目はここまでにしておこう。