裁判員裁判が始まって2年以上経過し、裁判員裁判と控訴審との関係も注目されてきた。
東京高裁等では裁判員裁判で無罪とされたものが、控訴審で逆転で有罪とされた事件があった。
一方、この数週間で、福岡高裁で立て続けに2件、裁判員裁判で有罪とされたものが控訴審で逆転無罪となった。
ニュースなどを見ていると、裁判員裁判で下した結論を、裁判官のみの裁判である控訴審で覆すのは、裁判員制度を崩壊させるなどという論調が散見される。
しかし、「裁判員裁判で無罪→控訴審で有罪」の事件と、「裁判員裁判で有罪→控訴審で無罪」を同列に論じるのは間違っていると私は思う。
裁判員裁判で有罪判決が下ったということは、1審において裁判員と裁判官の評議の中で、被告人が犯罪を犯したことについて、常識に従って間違いないと判断されたということである。
確かにこの市民の常識を反映した判断は尊重されるべきではあるが、控訴審の裁判官が、「常識したがって間違いないと言うには疑問が残る」と判断したのであれば、当然無罪判決が下されるべきである。
裁判員だろうが裁判官だろうが、犯罪の成立について合理的な疑問が残れば無罪にするのはルールだからである。
ところが、その逆は問題が全く異なる。
裁判員裁判で無罪判決が下ったということは、第1審の裁判官と裁判員の評議の中で、犯罪の成立について「常識に従って判断して間違いないとは言えない」との結論に至ったということである。
3人と裁判官と6人の裁判員のうち、少なくとも5名は疑問を感じたということである。
にも関わらず、控訴審で逆転有罪判決を下すということは、この少なくとも5名の市民の常識も交えた合理的な疑問を裁判官だけの裁判によって無視するということである。
このようなことが安易にまかり通れば、まさに裁判員裁判を崩壊させる。
刑事裁判は、検察官の主張について、「合理的な疑問があるかないか」が判断される。
したがって、その合理的な疑問は第1審の裁判体の中で生じようが、控訴審の裁判体の中で生じようが関係ない。そのような疑問があれば無罪とする。それが刑事裁判である。
この話をつきつめると、第1審で無罪とされた人について、検察官が控訴できること自体が憲法違反ではないかという議論にいきつくが、それはまた別の機会に考えようと思う。
いずれにせよ、刑事裁判のルールを考えれば、「裁判員裁判で有罪→控訴審で無罪」と「裁判員裁判で無罪→控訴審で有罪」を同列に論じることは絶対に間違っている。
市民を交えた裁判員裁判の判断を尊重すべきだということに異論は無いが、そのことが、控訴審の裁判官が合理的な疑問があると判断すれば、被告人は無罪とされるという刑事裁判の最も基本的なルールを凌駕することはありえない。