もしも外国で刑事事件に巻き込まれてしまったら | 空気を読まずに生きる

空気を読まずに生きる

弁護士 趙 誠峰(第二東京弁護士会・Kollectアーツ法律事務所)の情報発信。

裁判員、刑事司法、ロースクールなどを事務所の意向に関係なく語る。https://kollect-arts.jp/

もしも、自分が外国にいるときに刑事事件に巻き込まれてしまったら。
もしも、外国の刑務所に入れられる危険にさらされてしまったら。

日本で刑事事件に巻き込まれてしまった外国人はとても不自由で不安な思いにさせられている。
それは、日本人が同じ立場に立たされた時には感じることのない不自由さや不安な思いをさせられているということである。

日本でも他の多くの国と同じように、刑事事件に巻き込まれ、被疑者・被告人として身体拘束された場合、例え外国人であっても日本の弁護士資格を有する弁護人の援助を受ける権利が保障されている。
そしてその弁護人の援助を受ける権利は、拘束されている人がどこの国籍を有している人であろうと区別なく保障されるものと建前上はなされている。

ところが、実際は日本で刑事事件にまきこまれた外国人は極めて不自由で不安な思い、それも本来であれば感じる必要のない不安な思いや、本来では受忍させられる必要のない不自由な思いをさせられる。

身体拘束された人と弁護人とのコミュニケーションは全ての人、機関、国家からの秘密が守られる。
つまり捕まえられた人は、誰にもばれることなく弁護人とコミュニケーションを取れる。
これは憲法や法律にはっきりと書かれていることであるし、常識にあてはまることである。
秘密が守られるからこそ、全てを明らかにして弁護人に相談できる。この秘密が守られなけらば、捕まってしまった人は弁護人と自由にコミュニケーションを取れないし、そのことは弁護人から十分な援助を受けられないということにつながる。

ところが、日本の警察や法務省は弁護人と外国人被疑者とのコミュニケーションを全て把握しようとしている。
具体的には外国人被疑者と弁護人との間の手紙のやりとりを全て検閲している。
それもこっそり検閲しているのではなく、堂々と検閲している。
これは明白に違法だと思う。
日本語を使えない被疑者が、弁護人宛てに母国語で手紙を出そうとしても、警察はこれを堂々と検閲しているし、それどこではなく、その言語が少数言語であれば自分たちが検閲できないことを理由に、弁護人に手紙を出すこと自体を認めないという運用をしている。
これは、何をどう考えても違法である。
ところが、日本の警察はこれを堂々と行っている。

外国で刑事裁判にかけられた人にとって、その外国で行われる刑事裁判はとても不安で、とても緊張する瞬間だと思う。それは、自分が外国で刑事裁判にかけられ、その外国の刑務所に入れられるかもしれないことを想像すれば容易に想像できる。
その時、法廷で行われることについて、自由に、弁護人に相談できる環境が整えられなければならない。弁護人が隣に座っていてくれるからこそ、不安が少しでも取り除かれるものである。
それこそが弁護人の援助を受ける権利というものである。
そして、そのためには、母国語と日本語に長けている通訳の人もまた、弁護士の隣に座り、被告人の隣にいることが必要不可欠である。
通訳人がいなければ、たとえ弁護人が隣に座っていてもコミュニケーションをとることができない。信頼できる通訳人が隣にいて初めて、被告人は十分な弁護人の援助を受ける権利を享受できる。

ところが、日本の裁判所は刑事被告人が弁護人の隣に座ることを基本的に認めない。さらには、通訳人が弁護人の隣に座ることも認めない。

つまり、被告人と弁護人が法廷で自由にコミュニケーションをとる手段を奪い去っている。
このことを正面から是としているのが日本の裁判所である。

これは何をどう考えても違法である。

日本はどの外国とも接していない。
完全なる島国である。
このことがさまざまなところに暗い影を落としていると私は思う。
日本が世界から取り残される原因のかなりの部分がこの”島国”であるところにあるように思う。

いい加減、物理的には島国かもしれないが、もはや日本は他の国との関係なしには成り立たないことを自覚すべきだと思う。
そして、外国から来た人の気持ちを少しでも考えられる国になるべきだと思う。