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郷土史作家の妻blog

郷土史作家「夫」とその妻「私」、視線の先は、けっこう違う…?!


妻的、母的、女子(?)的見方で、「夫」や郷土について語っていきます。


私は「引き寄せの法則」という考え方がわりと好きで、ピンと来た関連本は読んだりもしている。



今日のブログでこれはいいね!と思ったのが↓こちら。



引き寄せの法則というのは、ものすごく適当に言うと、「世界はすべて『類は友を呼ぶ』で成り立っているよ」というお話。

それで、1個小さな我慢をすると、ネガティブな感情がいっぱいついてきちゃうよ、ということを具体的に語っているのが、この今日の記事だった。



希望に向けて何かに立ち向かっていくのと、どうでもいい我慢は大違い。

やっぱり、どんなに小さくても快を選ぶことが、幸せの一歩なのだな、と思った。


今の私の快を、静かに心に聞いてみよう。
3月の最終日、私は30歳になった。


理想の30歳には、なれていなかったな、と思った。



男性として愛していて、人としても尊敬できる人と結婚できたことはいい。

さらに、その人との間に、男の子と女の子を1人ずつ授かって、いまのところ無事に、生み育てられていることも。



でも。

私は私として、理想的な30歳になれているだろうか。


仕事は、散々だった。

いま思えば、未熟な論理を振り回して文句ばかり言い、何も貢献できていなかった。

企業風土もあるのだろうけれど、産休に入るときも、誰にも、「戻ってきたらまた一緒にがんばろう」みたいなことは言われなかった。

当然といえば当然。
でも、その程度の出来と向き合い方だったと、見せつけられた想いだった。


会社に戻る私は、もう若手ではない。

どれだけのことができるのか。
いやそもそも、私はあの場所で何を目指しているのか?



母でも妻でも会社員でもない、一人の女性としては、どうだろう?


30歳の、一人の女性。

自分が思う30歳と比べると、私はまだまだ、大人であることを受け入れきれていない気がした。

いまでこそ落ち着いているけれど、一人目の子どもを産んで一年間、私は、自分が母親であるということから常に逃げ出したかった。

その頃は、妻であるということからも逃げ出したかった。


自分のキャパを知らなくて、できることに最善を尽くせなかった。

30歳になるころには、自分のことをよく知っていて、幸せを受け取れ、穏やかな希望を持ち、自然体でいられると思っていたのに。



20代の終わり、私は自分のことをとことん考える機会を持った。


MYコンパス・アカデミー


ここでは、自分が自分の人生を歩むための芯を探し、それに沿って行動していくというステップを、同じ悩みを持った仲間と一緒に進めていく。


言葉にしたことのなかった「私」の、私個人の想いが、誰かからの問いで形になっていく。


だからそのコースが終わる頃には、ある程度、自分のコンパスを見出だせていた。



でもあれは、もしかして、20代の私ではなかったか。
いま見ても、あまりしっくり来ないのだ。

30歳になってから、しばらくこれが理由でもやもやとしていた。


たしかに、芯の芯は、変わらない。
愛するもの、大切にしたいこと。
でも、表に出る部分は、年齢と共に、変わるのかもしれない。


それがいまのところの結論だ。


いまの私は、30代へと、理想の大人の女性へと、脱皮中。

コンパスを見つける術はもう知っているから、怖いとは、感じていない。