J SPORTSのJGTCの放送、あっという間にシーズンが終わりましたね。いやあ、長く厳しいシーズンだった(え)

2001年の最後の2戦は鈴鹿、CP MINEと続きましたが、いずれも大逆転劇、に逆転と逆転とさらにもう一回

逆転させたぐらいの信じられない展開が相次いで発生して、これほどのシーズンはなかなか見られない、

というような結末を迎えるに至りました。最終戦はなんとなくうっすら覚えてる部分もありましたが、

それにしてもレースは何が起きるか分からないです。

 ところで、2001~2002年のJ SKY SPORTSのJGTCオープニング曲はPitchshifterのGeniusという曲なんですが

 

 今回のリバイバル放送では第4戦からカットされてしまってますね^^;

男女がNSXでドライブしていたらそれをARTA NSXが追い越して行き、あっけに取られていたら謎の人たちに

無理やり車外に連れ出され、車両は空力部品を付けてレースカーへ、男性はメットとスーツを着せられて

ドライバーに、女性はレースクイーンにされて、女性が呆然と発進する車を見送る、という意味不明な(笑)

内容なんですが、ちょっと犯罪っぽいのでクレームでも来たんでしょうかね。女性が「キャー!」って言ってますしね^^;

 

〇荒れすぎた鈴鹿、GT300は『痛み分け』

 

 第6戦の鈴鹿、まだ130R~シケインの改修が行われる前の、アクセルオフだけではちょっと難しい130R~

非常にタイトなシケインのレイアウトでした。

 フォーメーション ラップが行われて、スタート、しようとしたら隊列が整っておらずディレイされ、1周後に

改めてペース カーが先頭について結局2周減算されるという珍しい状況。

 GT500では、PPのARTA NSXはちょっと空転したようなんですが、後続はそんなのお構いなく突撃、結果

どんどん詰まって5ワイドにもなるカオスに陥り、総警マクラーレンは芝に出てスピン(´・ω・`)

7位スタートだったエッソウルトラフロースープラがトップで1コーナーに入るという大混乱が起きます。

放送中一度もスタートのリプレイも無かったのでライブだけで見た人は意味不明だったことでしょうw

 

 しかしエッソ号はペースがあまり良くないのでARTAの金石 勝智がすぐ追いついて攻撃の機会を伺います。

後続が全員追いついてきてしまいかねない状態になりますが、9周目にARTAとエッソが接触して

エッソ号はスプーンの外側のスナーバックスに入店(´・ω・`)

 ドライバーは野田 秀樹、劇作家ではなくもちろんレーサーの方です。娘のJUJUこと野田 樹潤が話題ですね。

こちらも映像が無くて詳細は不明でしたが、金石はレース中、そしてレース後のコメントで

「タイヤかすを拾ってブレーキがロックしてしまって、止まりきれずに当たってしまった」

と言ってました。完全にミスして相手飛ばしてるやん。。。今ならたぶんペナルティー出てますね。

中継映像は無いんですが、ベストモータリングの公式YouTubeチャンネルに当時の車載がありました。

 

2分35秒あたりです

 

 GT500は結局これでリードを奪ったARTAがロックタイト無限NSXから逃げ切って優勝し、

auセルモスープラをいずれも2点差で追う状態で最終戦へともつれ込むことになりました。

 

 一方さらに大変だったのがGT300クラスでした。チャンピオン争いはこの時点で、選手権リーダーが

ダイシンアドバンシルビア、これを追って雨宮マツモトキヨシアスパラRX7、ユニシアジェックスシルビア、

ARTAアペックスMR-Sあたりが点差を詰めて最終戦を迎えるべく構えていました。

 が、雨宮RX7はARTA MR-Sとシケインで軽く接触、大した接触では無かったのに、不運にも排気管が

ものの見事に潰れて排気できなくなってエンジンが止まるという事態に見舞われ急失速。

まさか前の車が加速しないなんて想像もしてないユニシアジェックスも追突してフェンダーを軽く破損。

 さらに、ダイシンシルビアには、14周目にTAKATA童夢NSXのミサイルが命中、回ったところに

イエローコーンマクラーレンが直撃・・・TAKATA童夢はデグナーで待つべきだったのにシルビアを抜こうと

中途半端な動きをしたために四輪完全に縁石の内側の芝の上をかっ飛ぶ、というなかなかお目にかかれない

大失敗をしてしまいました。そしてイエローコーンはこの前のもてぎでもスピンしたところにスープラが

直撃してフロントのカウルを大破しており、2戦連続での大破。めっちゃ金かかったやろうなあ・・・

 

 で、おそらくこれでダイシンからオイルが漏れたんだと思いますが、GT300のトップ争いをしていた2台、

Netz BP Kosei MR-SとARTA MR-Sが2台揃ってランデブーでスピン。そしてさらに後ろにいたTAKATA童夢も

スピンして、運悪くARTA MR-Sの右側に命中。これで足回りが壊れたARTAも脱落、荒れすぎ。。。

ちなみにこの後、TAKATA童夢は予定を切り上げてのピットとなり、ブノワ トレルイエは用意が間に合わず

無線のイヤホンがちゃんと装着されずにピットを出てしまい、それが引き金で空耳の指示でピット、

さらにピット作業違反によるペナルティー→取っ散らかって白線踏む→またペナルティー、と

一日中取っ散らかることになりました。1つの判断ミスをきっかけに滅茶苦茶になりました。

 

 そこらじゅうで大混乱が起きる中、ユニシアジェックスシルビアはトップを快走、このまま行けばダイシンと2点差で

最終戦を迎えられる、、、はずだったのに、なんとピット作業違反のペナルティーがレース残り4周ほどで

命じられるという驚愕の結末。原因はジャッキが上がる前に作業を開始したこと、その要因はと言えば、

最初の玉突きでフェンダーを壊したために、エアージャッキがうまく入らなかったことでした。

 

 これで、プロジェクトμ・エスペリアMR-Sが悲願の初優勝を果たすことになります。

あのAE86悲劇の炎上からおよそ5ヶ月、新しい車で勝利を手にするに至り、これもまたドラマでした。

結局タイトル争いはユニシアジェックスシルビアが2位にはなったものの、20点と15点では大違い、

優勝できると思ったのに逃したのはこれでこのシーズン3度目、そしてさらなるドラマへ続いて行きました。

 

 

〇まさかの未勝利、無得点王者誕生

 

 そして最終戦のCP MINE。2002年に経営破たんしてJGTCの開催もこの2002年が最後となるので、

最近のファンの方はたぶん知らないコースでしょう。非常に狭くて低速の250kmのレースです。

 今のGTでは保有するポイントに応じてウエイトが与えられますが、2008年以前は結果に応じた増減でした。

ですから、先にまず大量点を取って、重くなってからはコツコツ稼ぐ、ないしは数戦かけて軽くなってまた大量点、

というのがチャンピオンへの1つの流れで、シーズンの中盤以降に結果を出した人たちは、見かけ上の

ポイントでは近くても、ウエイトがとても重い状態で最終戦を迎えるので事実上厳しいことが多くなります。

後から追っかけてもポイントが追い付けば同条件になれる今とは大きく違う点です。

 

 GT500はauセルモスープラをARTAとロックタイトの2台のNSXがいずれも2点差で追いかけていました。

スタート位置はそれぞれ13、15、9位。フォーメーション中に7位スタートのはずのRAYBRIG NSXが

「無線の配線を直してて両手放しになって(飯田 章)」スピンするという思わぬ事態から始まり、そして

ヨーイドンでいきなり事件が発生しました。またベストモータリングさんのYouTubeチャンネルでよくわかる状態です。

ターン3で混雑の中、ARTAがauを押して回してしまいました(´・ω・`)

 

2分50秒あたりです

 

 これでauは入賞圏すら絶望的、ロックタイトとARTA、いずれかの1台が9位以内に入ればポイントは逆転、

とタイトル争いもNSX2台に絞られたかと思われました。

ロックタイトはタイヤの摩耗に加えて、途中からミッションの問題も起こって来てしまい8位あたりが精一杯、

そこに固めのタイヤを選んでいたARTAが追い付いて、『タイトル争い』のバトルに発展しました。

前方にはペースがガタ落ちのカルソニックスカイライン・星野 一義。ARTAは早めのピットでアンダーカットを

狙おうと目論んでいたようなのですが、その前に衝撃的な結末を迎えました。

NSX、離陸・・・

 

 最終コーナー手前、ロックタイトにコース外に追いだされる形になったARTAが縁石にフロアをぶつけて

大ジャンプ、そのままコース外へ。ARTAのタイトル争いは終わりました。 

 ロックタイトの光貞 秀俊はレース後

 

「ボクと金石さんだけがいたわけじゃなくて、No.12もいて、No.12はタイヤがきつくなっている状況で

差が詰まって、そのインに入ろうとしたけど入れなかったので通常のラインに戻っただけ。

真横には並んでいないんだから前にいるクルマに優先権があると思う。 」

 

とコメント(JGTC.netレースリポートより)していますが、映像(上記動画の6分20秒あたり)を見る限り、

もうその時にはロックタイトの車両全長の中にARTAが入っている状態で、かつ当該区間は直線部分。

普通に考えたらただの確認不足の幅寄せですね。今はJ SPORTSで解説者の立場にいる光貞ですから、

今これを見てどう思うかと聞かれたらさすがに「ロックタイトに優先権があるので並んだARTAが悪いです」

とは言えないでしょうが、レース後の彼の心境としては認めたく無かったんでしょう。

 たぶんこれも今ならペナルティー出てると思いますが、ロックタイトはこれで9位以内で走り切れば

タイトル獲得。しかし、ミッションのトラブルは深刻化し、後半は4速を失ってしまいました。

順位を守るどころの状態ではなくなって12位でフィニッシュ。

 結果、スピンした上に途中で足回りも壊れて10周遅れでチェッカーを受けたauが無得点でタイトルを決める、

という信じられない結末になりました。

 結局選手権のトップ3は全て無得点という結果になりましたが、JGTC/SUPER GTの歴史において、

チャンピオンが最終戦で無得点だったのはGT500では1997年のミハエル クルム/ペドロ デ ラ ロサと

この2001年の2回だけ、GT300でも創設2年目の1995年の一度きり(しかもこの時は最終戦を迎える前に

既にタイトルは決定していた)で、いかに驚くべき出来事だったか数字からも分かります。

1997年も大荒れになった雨のSUGOでの出来事でした。

 

 そしてGT500の優勝は総警 McLaren GTRでした。マクラーレンF1 GTRは1996年に4勝を挙げましたが、

この優勝はそれ以来のもの、そしてこのレースを最後に、トヨタ(レクサス)、日産、ホンダ以外の車両が

GT500で優勝したレースはありません。歴史的転換点のレースだったとも言えます。

 また、中継では全く存在感も無い状態でしたが、2位はペンズオイルゼクセルGT-Rで、実は万が一

総警マクラーレンがトラブルでも起こしてリタイア、ペンズオイルGT-Rが勝っていたら、ポイントで

auセルモと並び、優勝回数で実はこちらがチャンピオンになっていました。レースに色々ありすぎましたねw

 

 NSX勢はもてぎでの1-2-3フィニッシュ目前での立て続けのトラブルが致命的でした。

特にロックタイトは、優勝していれば最高でしたが、燃料不足で給油した後、燃料がうまく吸われず

再給油に向かってしまって12位で無得点。5位以下ならウエイトを下ろして加点もできた=点数は増えても

鈴鹿で上位を走れる車にできていたはずなので、一度目はまだしも、2度目のピットがあまりに痛手でした。

 ARTAも同士討ちのようになって不運でしたが、前戦でのエッソ、このレースでのauとちょっとまずい形で

相手を飛ばしているのも事実なので、因果応報と言うと失礼な言い方になりますが、結局自分たちにも

返ってきてしまったような結果だったかな、と思います。

 

 

 方やGT300クラスはと言えば、こちらもまた序盤から上位陣でトラブル続出。無難に行ったダイシンは

オーナー兼ドライバーの大八木 信行が慎重すぎてドバドバ抜かれたらしく予選2位からあっという間に

ポイント圏外へ転落。2位スタートのクスコスバルインプレッサはトラブルで止まり、ウエッズスポーツMR-Sは

クラッシュ、PPスタートでトップを走っていたR&DスポーツダンロップGT3Rもギアの不具合から単独スピン、

と色んなことが、全部カメラが映ってない時に起こりますw

 そして気づけば、雨宮RX7とユニシアジェックスシルビアのうち、前でゴールした方がチャンピオン確実、

という情勢になり、ピット作業の速さでユニシアジェックスが先行、しかも気づいたらレースでもトップ( ゚Д゚)

 シルビアは空力性能は高さがメリットでしたがSR20DETエンジンはあまりパワーが無くて、

方やRX7は結構直線が速い方でした。ペースは雨宮RX7の山野 哲也が速そうでしたが、ユニシアジェックスの

柳田 真孝はインを締めて絶対行かせないマン。山野も左リアがちょっと辛いのか時折ものすごい

スライドをしていて、なおかつ抜ける場所がほぼ無いので、延々蓋していれば、という状況でしたが、

こちらの結末もまたあっけなく訪れました。

 

 ターン1で外から狙った山野がクロスで立ち上がりからインを覗きました、が、ちょっと道がキンクしている区間で

柳田がラインを残さなかったのでちょっとコース外の芝にお邪魔しつつ山野がインからパス。

しかしどうしても先に行かれたくない柳田、インにジャスト1台分しか空いてない山野のブロックラインに

飛び込んでいった結果、こらえきれずロックしてスピン、真横にいた山野も巻き添え(-.-)

 

 2台でスナーバックスに入店してしまい、ダイシンシルビアがその脇を通過。ダイシン、絶望的な状況から

結局上位の共倒れで再浮上、クラス6位でフィニッシュしてチャンピオンに輝きました。

 

 レース後のコメントでは柳田に対して身内からも厳しい声が出てしまい、監督の長谷見 正弘は

「見てのとおりだよ(苦笑)。あそこはいっちゃダメ。雨宮(No.7)にも迷惑かけるしさ。なんでオレが謝りにいかなきゃいけないんだか。ああいうふうには教えなかったんだけどなぁ。前にも(No.31に対して)やってるしね。1度はあっても2度はダメだよ。(表彰台を見て)うらやましいよなあ…」

 

 クラス優勝はシグマMR-S。これでMR-Sはシリーズ7戦で4勝と大活躍のシーズンとなりました。

ドライバーの城内 正樹はこのシリーズの第4戦から登録名を『Guts城内』に変更していたんですが、

第5戦では一部テロップで間違えて『Guts城石』となってました^^; これでもう間違われることは無いでしょう。

 

 タイトル争いを目前で失ったRE雨宮、結局タイトルを獲得できるのはこれから5年後の2006年のこと、

山野 哲也と井入 宏之のコンビでしたが、最終戦で、序盤のスピンで22位まで後退して絶望的、

必死に取り戻していったけどあと1ポジション足りない!という中で最終周にトップがガス欠する、

という信じられない結末によってもたらされました。山野自身はこの2006年でGT300を3連覇しましたが、

この失意の2001年の後どうしたかというと、なんと翌年は因縁の相手である柳田と組んで

ハセミモータースポーツのユニシアジェックスシルビアに乗っていました。

 そのハセミモータースポーツは2003年、2010年と2度フェアレディZでGT300のタイトルを獲得。

いずれも柳田がステアリングを握っていました。世の中何がどう転がるか分からないですね。

 

 さて、来週は2002年の放送が始まるようです。ここからは見たことがあるレースですが、知識量が

今とはけた違いに少なかったので、今改めて見ることで発見もあるでしょう。