今日カタヨガでした。

人数が少なかったんだけど
少ないからこそできる
スペシャルバージョン✨をしたのだ。
ずっとやりたかった形を
ナチュラルにできた。


その中で
ひとつテーマを決めて
話した
そのテーマが
「願いを叶える」。


自分の心からの願いって
認識しようとしたことはありますか?

小さなことなら
アレが食べたいとか
あそこに行きたい
この服を着たい

その程度の心の願いなら
認識することもなく
直感とともにやって
無意識にその願いを簡単に叶えてる、なんてことは日常的に起きています。


自分の願いは
常に叶っているし
これからも、その願いは
叶い続けています。

いまの現実は
自分の心からの願いの結果です。
潜在意識の
心のどこかで望んでいるからこそ
その結果が起きています。

でも、どうせなら
心からの自分の願いを
きちんと認識したうえで
それを叶えて行く

そのプロセスそのものも楽しみながら
地球を生きる喜びを
味わいたいですよね


⭐︎⭐︎⭐︎


ここのところ
「手放しなさい」
というメッセージが
あちこちからやってきます。


6月までに決別するものを
宣言しなさいと
ある方に言われまして


うーむと
考えていたのだけど

もし私が決別したいものがあるとしたら
自分への執着心だなと思いました。


(24時間その状態でいられるわけではないけど)


私たちは
お金やものに執着してると思い込んでるけど
結局は、得たいものや、手放せないものは、
ものそのものではなくてそれにまつわる「感情」や、「人からどうみられたいか」という思い。


もっというと、その「感情」を感じてる自分を
手放せない。

だから
「執着してる自分自身と訣別します」
と、伝えておいた。

日常的にはその意識になれなくても
ヨガや瞑想をするときに
意識するのは慣れてるので
少し続けてみようと思う。



そしたらどうなったか、、。

それを書くよ。



「自分」と決別した世界は

あまりにも平和で
そして、
愛おしい世界だった。
(まだ戻るよ。単なる体験の話ね)


そこでわかったのは

自分の願いと
人の願いは
本当は
区別が無いこと。


人の願いを叶えることが
自分の願いを叶えることになるし
人の願いを叶えることが
自分の願いを叶えること。


誰かの願いを叶えることに
反発や
抵抗が起きる時は

その誰かとわたしの願いが
一致していないときに起きる。

一致しない原因は
その願いのベクトルがどこに向いてるか。

誰かの願いまたは
自分の願いが
エゴの範囲に留まっているときは
一致しない。


お互いがエゴの範疇にいてもダメだし
片方だけがエゴの範疇にいてもダメ。



誰かが、例えば「有名になりたい」「その夢を叶えさせてください」という願いを言ってきた時


「私が有名になりたい」だけだと
単にエゴですが

「有名になる」の、
その奥にある本当のそのひとの願い、
たとえば、「魂を燃やして全力で生ききってみたい」という
そのひとの本質からくる本当の願いが
他の人の魂の本質から湧き出る願いと
一致することが、多々ある。



エゴを超えて、
他者の夢と
自分の夢とが重なることがおきる。


本来、誰かを応援したい気持ちは
自分を応援したい気持ちそのものだし

自分を応援したい気持ちは
誰かを応援したい気持ちそのもの。


私たちは、ひとりではなく
本当は繋がっている。

そのことを体験できるのは
ひとりでは無理で

自分と、誰かがいて、
初めて、わかる。


他者は
「私たちは本当はすべてつながっている」ことを
体験させるためにも
存在してくれている。

綺麗事ではなくて。
集合無意識レベルだけのではなくて。

もし自分しかいなかったら
自分がなにと繋がっていることすらもわからない。

自分と分離しているからこそ
「繋がってる」と感じたり
「繋がりなんてわからない」と感じることができる。


目の前のひとと
周りの人と

自分と

その「繋がり」を垣間見れる瞬間は
実は誰しも体験していて
それを
愛と呼んだり
奇跡と呼ぶ。


わたしたちは
繋がっている。









心屋智子のメニュー

心屋智子と1対1の個人セッション
 ネット予約にはアカウント登録が必要です。


心屋智子の最新情報はメルマガから。
 ブログには書かない情報を載せています。


心屋智子LINE公式
 お得な情報も発信します。


日々の気づきを投稿中。
インスタグラム


5000人が登録しています。
 瞑想音源を毎日配信中。
ヒマラヤ


心屋智子と心みねこのグループコンサル