大人と子供の境目ってなんだろう。



今朝は、ある古民家に泊まっててね。

朝起きたら

小学校2年の女子がいて

その子とおしゃべりしてたんだけど

その何気ないおしゃべりが

ナチュラルすぎて自分でもかなりびっくりした。



宿題の日記の内容を一緒に考えたり

学校の困った男子の話

給食の話



彼女が話してくれるときに

こちらに投げてくれるエネルギーが感じられてて

わたしがそれをそのまま受け取って

ただそのまま返す。



なんの混じり気もない

理解しようとする努力もいらない

素のやりとり。



まっすぐ投げてくれるから

まっすぐ受け取り

まっすぐ返す。




それをしながら

そのやりとりがあまりにも

自分の日常、普段レベルなことに気づく。


相手が大人であろうと子供であろうと

自分のコミュニケーション方法は

基本は

特に、変わらないことに気づく。




「むむ?
自分て、小学二年生レベルで生きてるってことか?」
「それってやばいんじゃないか?」

そんな風に思うほど。




それをみていた保育士の友人でもあり

その子のお母さんが

「ともこさんは、子供の扱いに慣れてるの?」とびっくりされていた。

「普通は、大人はそんなふうに子供とは会話ができない」と。



その言葉を聞いて

いろんなことを考えた。

 
そもそも、

大人と子どもの境目ってなんなんだろう?






わたしの感じる大人というのは、肉体年齢に関わらず
精神が成熟していることを言うんだなと気づく。





わたしが小2のとこちゃんと交わした生のコミュニケーションは

真の生のコミュニケーションなのかもしれない。



成熟した精神とは

生の素材を

自分で考えて、自分で料理したり

相手の料理を肯定できる器の広さと

反対のことを言ってきたとしても相手を否定せず

ナチュラルに受け止めて

その上で

自分自身の考えもきちんと述べられる高度な表現力。



それをするには意識的なトレーニングも必要だし

それを積み重ねていくことで

成熟度は高まる。



小さな子供はさすがにそこまでできないだろうし

大人でもできないひとはたくさんいる。






つまり、

大人と子供の境目って

わたしの中では、精神の成熟度。





それを使って

他者と自分との関係性のなかで

いかに自分と他者と世界を一緒に創っていけるのか。




今朝みたいな

生のコミュニケーション

本質的なやりとりは

すごく楽しいと感じたんだよね。


大人同士でも

大人と子供でも

本質的なコミュニケーションは

できるし

きっと

そのほうが

相手といい関係性が作れると思うよ。























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