鳥居ミコ ちゃんと、サラベスというフレンチトーストのお店に行った。
こんなに美味しいフレンチトースト、生まれて初めて食べたっ❤️
楽しい偶然が重なる日だったな。
 


——————-

 

 

 

今日、自分自身にリーディングしてて、その言葉が出てきたので

それについて感じたことをみんなにシェアします。

 

 

何かに行き詰まりを感じているときに

ちょっと

視点を変えてみることで

流れが変わることってある。

 

 

「人を傷つけることも愛である」、とう言葉をきいて

どう感じます?

 

それだけ聞くと

 

未熟な愛なのかもしれない

自分への愛を正当化するための言い訳なのかもしれない

 

そういう一面も見えますよね。

 

この言葉を見て、腹がたつ人もいるかもしれません。

 

 

では、その反対の

 

「人を傷つけることは、愛ではない」という考えのほうが正しい、としてみる。

 

 

 

「人を傷つけることは、絶対に愛ではない

それは、愛じゃない。」

 

 

もし、その考えが正しいと思って生きていたら

 

意図しなくても、自分が誰かを傷つけてしまったり

 

意図的なのか、意図的ではないのかわからないけれど、誰かに傷つけられたときに

 

行き詰るしかない。

 

それこそ、誰も幸せにはならない。

 

 

 

信じているその世界を

あえて、ひっくりかえした真逆の世界を、まず、自分に見せてあげて、

 

それについて考えてみるというのは

「視点を変えて、今いる場所から出る」ために、最も簡単なやり方だと思う。

 

 

「人を傷つけることも、愛である。」

 

実際、私がその言葉をつぶやいてみたとき思ったのは

 

 

愛って、器がでかい。

 

誰かを傷つけたり、悲しませたりすることを恐れて行動を起こすことをやめる、という選択をする、

 

いままでの私は、そうしてきたかもしれない。

 

 

でも、それよりも

 

誰も傷つかないし、傷つけることはない、 信頼できる関係性を誰かと創っていくために

 

先に、自分が、その世界の住人であることと、宣言すればいい。

 

 

わたしは誰も傷つけないし、誰からも傷つかない世界を生きるほうを、選択します。

 

 

それは、強がりとは全く次元が違うレベルの、意識のなかの世界の話なんだな~と思います

 

そのうえで、実際に、自分が失敗したと思ったら、その失敗について「ごめんなさい」ってすぐいえばいい。

 

人が生まれながらに抱えている

(戦後日本人が代々植え付けられたもの)罪悪感を、手放すということでも、あるんじゃないかな、、

 

 

 

自分が自分自身でいることで

 

誰かを傷つけることはなんてないし、

 

誰も傷つくことない。

 

 

これがキーワードとして降ってきた。

 

まだうまくかみ砕いて説明できないけど、でも、そういうことなんだね。

 

 

その選択をひとつひとつし続けていこうと思う。

 

現実のなかでも。

 

 

そうすることで、あらゆる出来事が

 

前に進むためのきっかけの、点と点であることに、後から気づけるだろう。

 

 

 

わたしも含め、周りも含めて

 

いま、意識の変化が本当に早いと思う。

 

意識が変わるから行動も変わるし、環境の変化が速いよね。

 

 

 

人とのすれ違いや、思い違いがたとえあったとしても

 

それがどう、何に繋がっていくかは誰にもわからない。

 

 

人生の終着点からみたら

 

「すべてうまくいっている」

 

そう思っていいってことだ。

 

 

 

思いつくままに書いています。

 

矛盾してもいい、を受け入れるって大事ね。

 

image
オンラインサロンでももちろんカタヨガあります。
月額5500円 
8月の申し込みは締め切りました。
9月の申し込みは8月15日~

インスタグラム

 

 


ヒマラヤ

 

 

 

 

ともこ