ユリが咲いたんだ〜
光が綺麗でね。
で、光って、光だけでは表せない。

 

光と影のグラデーション。

光と影は、表裏一体。

 

 

 

 

 

みなさま こんにちは~

 

突然だけど

 

怒り、嫉妬、悲しみ、罪悪感、くやしさ、さみしさ、、、

 

この言葉を見て、何を感じる?

 

 

最近、あらためて気づいたことがあるからシェアするね。

 

 

 

いわゆるネガティブといわれる感情って

 

それそのものは、実はそこまでネガティブさはないんじゃないか?と思ったんだよね。

 

しかもさ

 

 

 

怒り、嫉妬、悲しみ、罪悪感、くやしさ、さみしさ、、、

 

 

ここに書いたそれらは、ただの文字だ。

 

黒い、文字だ。 小さく小さくしてったら、ただの点にすぎないもんだ。

 

その、ただの文字を通して

自分のなかの、それらの一部が反応して、イメージをつくる。そこからエネルギーが「自分から」放たれる。


 

 

試しに、ピンクにして

いろんな絵文字で飾ってみたけど、印象は変わるんだろうか(笑)

ラブラブ音譜怒り照れ、嫉妬、照れ悲しみ、ドキドキ罪悪感、てへぺろくやしさ、ニヤニヤさみしさラブラブ音譜

 

 

まあそれはよしとして。

 

文字じゃなかったとして。

 

それらのネガティブといわれる感情。

 

怒り、嫉妬、悲しみ、罪悪感、くやしさ、さみしさ、、、

 

 

それって実は

自分が思っているほど、ネガティブではないんだよね。

 

 

 

それをネガティブにしてしまうからこそ

悪者にしてしまう。

悪者にされたら

誰だって、さらにいやなきもちになる。 大事にされてないと思って、最後はそいつらが暴れだす。

 

 

なぜそんなこと言うかというと

 

私自身が、それらを、「ネガティブで嫌なもの」として扱っていたことに

今更ながら改めて気が付いたんだ。

 

 

 

 

 

丁寧に丁寧に、心の中を見てあげる機会があって

(大勢の人と感情を分かち合う、ということをしたの)

 

 

 

 

そのときに、他人のネガティブさを、重たい気持ちをもって接している自分に気づいたんだ。

 

 

 嫌な人だなあって。

(それが悪いとは思わない。でも、スルーしていたことに気付いた。それが自分の心にあることを)

 

 

 

それって

わたしは、自分のなかの、同じようなネガティブさの扱い方を、「扱いあぐねている」ということにすぎない。

 

 

 

私自身が、私の中の同じ部分を、癒していない、というサインに過ぎない。

 

言葉でいうとそんなことなんだけど

 

それがわかったら

 

怒り、嫉妬、悲しみ、罪悪感、くやしさ、さみしさ、、、

 

 

自分のなかの

これらを、もっともっと大切に扱ってあげようと思ったんだ。

 

 

 

わたしは、怒りです!

わたしは無価値観そのものです!

わたしは嫉妬まみれです!

わたしは悲しみそのものです!

 

 

と正々堂々と、なんなら笑いながら言えるくらいの人でありたい。

 

 

自虐ではなく

それは愛だ。

 

 

 

 

そららは、ダメなものでも、マイナスなものでもない。

 

 

誰の心の中にもあるもので

 

丁寧に扱ってあげることで癒しがおこり、いわゆる「統合」が起きるだけのこと。

 

 

 

いずれにしても

「わたし」を構成する要素の

 

大切な大切なものたちだ。

 

 

 

目の前の人は鏡。 外側は内側すべて。

 

よくいったもんで

 

本当に、そうだと思った。

 

 

いまは大勢の人と会う機会がそんなにないんだけど

 

Facebookの投稿で流れてくる記事を見ながら

 

それぞれの人が、それぞれの表現をしている場所なんだなあ、、、という風に見えた。

 

感情が流れていく。

表現が流れていく。

 

 

 

そこにも、カラフルに色づけされた

「自分自身の」内側の世界が広がる。

 

 

 

自分の、ひとつひとつを愛して、丁寧に扱おう。

 

 

 

 

 

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ともこ