その声は誰の声なんだろうか?
 
 
自分の中から湧き上がる、恐れや不安をあおるその声は
 
いったい誰の声なんだろうか?
 
 
〇〇してはいけない
 
〇〇したら怖いことが起きる
 
〇〇したら嫌われる
 
だから、わたしはダメなんだ
 
だから、わたしが我慢しなければならないんだ
 
お父さんより稼いではいけないわよ
 
男の人を立てないといけないわよ
 
男の人の言うことを聞かないといけないわよ
 
いい子でいなさい
 
いい人でいなさい
 
がまんしなさい
 
道徳を守りなさい
 
 
 
 
 
 
 
昨日は、心みねちゃんと開催している
「幸せな使命を見つけるグループコンサル」第4回のオンラインクラスだった。
 
 
見事なくらいに
 
「お母さん」の口癖が
 
みんなの頭の中の判断基準や価値基準の柱となっている。
 
 
 
 
多かれ少なかれ
 
誰しも親の口癖的なものに影響を受けている。
 
言葉の脳は密接につながっているから
 
思考方法、思考回路に影響を及ぼす。
 
 
 
 
 
 
 
 
苦しみの原因は
 
自分の魂からの本当の声と
 
自分以外の内なる声との葛藤だ。
 
 
 
 
自分以外の内なる声とは
 
社会性
常識
決まり事
「みんな」
 
で、
 
そのもとをたどると、だいたい、お母さんの口癖であることがほとんどだ。
 
 
お母さんの口癖まるごと。
 
人格まるごと。
 
まるで、昭和初期の人が乗り移って目の前にいるのか?というくらいに、思えるほど。
 
 
 
 
きっと、母親の口癖を真似てしゃべる、
一見ものわかりのいいこどもは
 
本当の自分の鳴き方を忘れてしまったウグイスみたいなんだろうな
 
 
 
 
お母さんは、またそのお母さんから
 
そのお母さんは、またそのお母さんから
 
同じ口癖を引き継がれてきた。
 
 
 
それが悪いとかいいとか関係なく
 
 
お母さんも
 
同じ苦しみを、引きずったままなのかもしれない。
 
だから
 
誰も、悪くないし
 
誰にも罪がない。
 
 
 
 
 
なぜ、わざわざそんな「苦しみ」を背負うんだろう?
 
なぜ、わざわざ、自らその親を選んで生まれてきて、
 
わざわざ自分で自分を縛る、というところから
 
その「自縄自縛」に気づき
 
自らの手でほどいていくというプロセスを経ることが必要なんだろう?
 
苦労して壮大な一人芝居を神様に演じさせられるのはなぜなんだろう?
 
 
 
 
 
苦しみの最中にいるときは
 
その理由は全くわからないし
 
しんどいし
 
自らの運命と
 
その試練を与えた神様を恨むこともあるだろう。
 
 
 
 
一つ確実なのは
 
自分を苦しめている感情と向き合うとき
 
それに対して全力を尽くして尽くして
 
洞察力や理解力を
 
自分自身で磨くことになる。
 
それが、「力」。
 
 
 
その「自縄自縛」を解けるのは
 
やっぱり自分自身の力なのだ。
 
 
 
自縄自縛。自分が握りしめて、複雑にしてしまった縄を、自らの手でほどいていくんだ。
 
 
 
もちろん
カウンセリングや心理療法、ボディワーク、
メンタルプログラム
さまざまな
サポートを使いまくればいい。
 
 
 
その縄がとけたとき
 
周りを見渡したら
 
自分のサポートを必要としている
 
まだ、縄に絡まって動けなくなっている人たちに気づくはず。
 
 
 
今度は自分が、彼らの縄をほどくお手伝いをする番だと
気づくはず。
 
 
 
なぜ、なんのために?生まれてきたのか?
 
その答えが
 
だんだんと明らかになるはず。
 
 
 
 
あとは
 
ほんとうは、縄さえも存在してなかった!
 
と気付けると
 
きつねにつままれたようになっちゃうよね。
 
 
 
 
もがけばもがくほど縄はキツく感じる。
 
縄に縛られてるまんまで
 
まあいっかと、遊んでたら
 
知らないうちに
 
縄がするするほどけたりもする。
 
 
 
 
「苦」は、自分が苦しいと思うからこその「苦」なんだろうね。
 
生老病死は「苦」であると、お釈迦様は言った。
 
 
生まれることは普通は喜びなのに
 
それも「苦」と言っちゃうぐらいなのだから
 
 
転じて
 
「苦」って、実は本気で苦しまなくてもいいんだと
 
思うよ。
 
まとまりがなくなったから
 
この辺で終わります。
 
 
ともこ
 

 

 

 

 

 

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