違ってていい

違うものを嫌いでもいい


そのうえで、自分と違う価値観のひとのことを

認められることができる。




整然と並べられてる美しさは確かに気持ちがいい。



ごちゃごちゃで、汚れていて
壊れていて

それでもそこに、美しさを感じる時。


この少年僧たちのお経を読む姿のように。





その整然とした美しさと
この少年僧たちの「汚くてごちゃごちゃ」の中にある美しさ

どちらにも
同じ本質をみたとき

それらの違いを愛することができた自分に
気付けるだろう。





社会の中で生きていると

どうしても「合わせなければならない」と

思うときもあるでしょう。


わたしも、違うけど合わせなきゃ、と
深く考えずにしてきたことがたくさんあることに
年末あたりから自分を見つめる中で気づいた。


違うときに、違うままで
「合わせなくても」
「お互いが主張したとしても」
ケンカや争いにもならず
そのままでいられることが必ず、ある。




それは、自分自身の中に
違いを違いのまま
葛藤せずに
置いておけることができたときに初めて気づく。

そしてそれは無関心であることとは全く違う。


花が咲いているときに、花に気づかないで通り過ぎることや、みてみぬふりをすることと、

花の存在に気づいていることのでは、全く違うのだ。




心屋塾のメンバーも
自分をもっともっと立てていく時代だ。



心屋仁之助というひとりの人間の考え方に
すべてをぴったりと合わせる必要など
最初からどこにもない。

もともと、ないし
それをぢんさんも、はなから求めてはいない。


そこにハマるひとは
自分が苦しくなる。

わたしも昔、苦しくなったからわかるのだ。



なぜなら
人間が違うのだから
思うことや考え方は違ってていいし
違わないとおかしいし
違うことが素晴らしい。



そこに気付けたひとは
宇宙からの祝福だと思っていい。


自分の感じるまま
思うままに
もっともっと
表現してみよう。






松森沙織ちゃんと写真撮った〜

昨日は認定講師のミーティング。

コバは4月から心屋塾の新塾長になるよ〜😃

かずちゃんzoomありがとね。







またね!