にゃーこんばんは


心屋 智子と


しーにゃです。



image



ゆっくり、という言葉が好きです。



ゆっくり歩く


ゆっくり呼吸する


ゆっくりしゃべる


ゆっくり過ごす





しーにゃは一日中 ゆっくりどころか


同じ場所から動きません (笑)






もともと、自分はゆっくりな人間だと思っています。



ゆっくりすることで


はじめて見えてくる世界がある。



そういうものを感じるのが好きです。



そういうものに


ゆっくりひたれているとき


とても幸せを感じます。



ある意味


外側の時間の流れを無視することになるので


完全に内側の世界に没頭することになります。




で、わたしは


ずーっと自分はゆっくり派だと思っていた。



のに。



のに。






先生に


「急ぎすぎ」


という言葉をいただいてしまいました。


アイタタ




あれから一か月。





「急がなければいけないときもある。


でも、急がなくてもいいときに、急ぎすぎ」






言われて初めて気づきました。



はじめて、目を向けることができました。



自分が、急いでいたことに。





他人の目は


素晴らしいですね。




自分が気が付かないことを


自分が見えないところを


見えるように、ちゃんとできている。






そもそも


ゆっくりとか


早い、というものは


概念の世界です。


言葉の世界です。


比較の世界です。





ゆっくりも、早いも


そういう概念は


比べるものがなければ生まれない。





でも、そういう概念はとても便利だから


私たちはそれを


便宜上使っているわけですね。





わたしがもともと好きだ、という「ゆっくり」も


つきつめていうと


「自分だけのペースで過ごすことが好き」


という意味になります。





だから


「自分だけのペース」で


過ごしていたら



いつのまにか


「急ぎすぎ」になっていた!






まあ、もちろん


普通に


かなりゆっくりする時間は


生活の中で


意識的にに確保していますから


自分では本当に、気が付きませんでした。





だから、アイタタです。


そして、それを指摘してくれた先生に感謝です。






ああ、自分は急いでいたのだなー


そうだなーと


思ったわけです。





「学ぶ」という部分において


わたしは、急いでいたのです。




私の場合は


ヨガと瞑想に関することに触れるのが大好き。




だってね


面白いし。


好奇心をくすぐるし。






どんな分野でも


求めたら


このご時世


だいたい何かしら答えは転がっていますよね。






ネットや


本や


セミナーで


何かしら


ゲットできたりします。






でも


そこでゲットした答えは


どんなに素晴らしい先生が言っている言葉だったとしても


それをそのまんま、「素晴らしい」と採用したところで


「ただの教え」と変わりません。




ただの教えは


結局のところ


「新しくもらった考え」がひとつ増えたにすぎません。







さらにつきつめていうと


本当は


人は


学ばなくても


いいのだと思います。 



まあ、ヨガって、技術的な部分も多いですから


やっぱり


そうはいっても


学び続けることはするんですけど。





ただ


急いで学ぶのはもうやめよう。




そうシンプルに


感じました。






好奇心を満足させて


知らない世界と関わって


いろんな人と関わって


いろんな新しい人の価値観に触れて


自分の世界が広がっていく。




それが、とても楽しいと思っていました。




もっともっと


自分の世界が広がっていく手ごたえ。





それがつみあがって


自信になっていくような幻想。





そう。


それは、幻想。 (*^_^*)





それは幻想であることを知っているから


だから


急ぐ必要はどこにもない。







他人と比べて


ではなくて・・・




本来の自分と比べて


急ぐのは


やーめーた!



あなたは


どうですか?




(*^_^*)






ぢん&ともが夫婦で共演します。 @稲佐山 ←11月2日!


11月のカタヨガ瞑想クラススケジュール


11月のカタヨガ式なんちゃって太陽礼拝スケジュール


11月のカタヨガ平日クラススケジュール


お寺でカタヨガin Nagoya  ←キャンセル待ちになりました。ありがとうございました。