あけましておめでとうございます。今年もみなさまのステキな作品をお待ち申しあげます。
ずいぶんまえに読んだ水上勉著の『近松物語の女』を読み返していました。若さとはもちろん未熟だけれど、〝若い一途〟は美しいとあらためて感じいり…… その人がお初です。
『曾根崎心中』。お初と徳兵衛がいよいよ死ぬことになり…、
徳兵衛「われ幼少にてまことの父母にわかれ、叔父であり親方でもある人の世話によって人となり、恩も送らずこのままに、亡きあとまでもとやかくと、御難儀かけんも勿体なや。罪をゆるして下されかし。冥途にまします父母には、追っつけお目にかかるべし。迎え給え」
お初「こなさまは羨ましや。冥途の親御に逢わんとある。われらのととさまかかさまは、まめでこの世の人なれば、いつ逢うことのあるべきぞ。便りはこの春聞いたれど、逢うたは去年の初秋のこと。あすは心中の噂が在所へ伝わり、どんなに嘆きをかけるやら。親たちへも兄弟へも、ここからこの世の暇乞いをしまするが、せめて心が通じたら、夢にも見えてくだされよ。なつかしのかかさまや。名残り惜しのととさまや」
あの世で父母と逢えるよろこびに浸る徳兵衛。心中のあとのお金もろもろの始末がこの世の父母にかかるであろうと慮り嘆くお初。男女の心の平行線にリアリティの視線が光ります。徳兵衛はお初に、あぁ、おまえさんはそのように嘆いているのかと、なぜ心を添わせてあげないのでしょう?
ラストへむけて、お初がこの物語の真の主人公であると、作者は観客をリードしてゆきます。そして観客はお初への憐れとリスペクトと美しさを満喫し、陶酔の頂点でむかえるエンディング。リアリティと構成。みごとですね。
「曽根崎心中」角田光代 (著) 近松門左衛門 (著)
出版社 : リトル・モア