今年2024年冬季の降雪予想は、例年の降雪より⇑<多い>と言われています。
ゲリラ降雪とならなければ、嬉しいですが。
こちら京都府北部/丹後半島・京丹後の過去の積雪状況は、強い北風が吹く時は、
海岸線(丹後町・網野町・久美浜町等)の地域は、内陸にある宮津・舞鶴 等
の地域より積雪量は少ないようです。
今年2024年冬季の降雪予想は、例年の降雪より⇑<多い>と言われています。
ゲリラ降雪とならなければ、嬉しいですが。
こちら京都府北部/丹後半島・京丹後の過去の積雪状況は、強い北風が吹く時は、
海岸線(丹後町・網野町・久美浜町等)の地域は、内陸にある宮津・舞鶴 等
の地域より積雪量は少ないようです。
京丹後市網野町網野生まれで、プロ野球界を代表する選手として
数々の記録と、また監督として選手を育てた野村克也さん。
2020年2月、84歳で亡くなられた。
「京丹後市市制20周年記念、野村克也メモリアル事業」として、
今回は、元阪神「赤星憲広」氏をお招きし、下記のとおり講演が
あります。
1。日時 令和6年12月14日(土) 13時30分~15時30分。
2。会場 網野町網野「アミテイ丹後・多目的ホ一ル」
・入場無料。
3。講演 赤星 憲広 氏
4。パネルディスカッション 赤星憲広氏 × 山田雅人氏
5。主催 京丹後市・京丹後市教育委員会。
「野村克也さんを忘れない」人々の会。
6。同時開催 高校書道部「野村克也語録作品展」
※ 「アミテイ丹後」の1階には、【野村克也べ一スボ一ルギャラリ一】
がありますので、こちらもご覧ください。
※下記写真は、若い時の野村さんと王さん。
追伸。
野村さんは、プロ野球南海の二軍時代に、母親のいる
網野の実家に、正月に汽車で帰郷されました。
そして、大阪へ帰るために、当時の国鉄網野駅の待合室で、汽車を
待っている野村さんを、私が小学生の時見ました。
その数年後、外車で帰郷されたのを、網野のガソリンスタンドで見ました。
一軍で成功活躍すると、乗り物も変わりましたと思いました。(^^)
本日は、朝から好天なので近くにある【網野銚子山古墳】<京丹後市網野町網野>
へ、一人で訪れました。2004年から進められた史跡整備事業が2025年3月で完了し、
4月26日(日)には、「記念イベント」を実施し一般公開を予定しています。
※【網野銚子山古墳】とは。。。
・国指定史跡<大正11年>
・日本海側最大の前方後円墳➡全長201m。
<後円部径116,5m。・円高17,3m。・前方部幅83m>
・古墳時代の4世紀後半から5世紀前半に造られたといわれる。
(古墳は、豪族のお墓で、本人が生前に造らせたと言われるが、
それならば、どのようなエライ方のお墓なのか?)
①下記場所「墳頂部」から、網野で一番高い山・285mの「高天山」の頂上が
見える。
②下記写真、上記①から、網野・浅茂川の「まち並み」と、
日本海<八丁浜海岸>が見える。
・この古墳は、当時「海から見せる古墳」と思われる。<海を渡ってくる
外からの人等に対し、威厳を示すため>
室町時代に、海の潟湖が無くなり、今の「まち並み」が
出来たと言われる。
③下記写真、左側が「後円部」、右側が「くびれ部」「前方部」となる。
『丹後王国・食のみやこ』の入口直ぐにある芝生広場での
【グラウンド・ゴルフ(略称GG)】交流会は、過去の「丹後あじわいの郷」時代
<2011年~2014年>から始まり、その後「丹後王国・食のみやこ」に引き継がれ、
2015年~2016年まで延べ約80数回実施されました。<その後、GG交流大会は中止>
4月~7月・9月~11月(月2回)まで、一つの交流会の定員90人で、
昼食・賞品・お楽しみ賞等付きの当時は2千円の参加費で企画され、
GG愛好者は楽しみの一つのイベントでした。
そこで、ここの芝生広場で、GGの練習の利用ができるようになりましたので、
ご案内いたします。 GG愛好者の健康維持と、「丹後王国・食のみやこ」の
利用者数増となると思います。 冬でも、雨が降らずに、積雪が無いと、芝生です
ので、利用可能と思います。
※ GG道具・スコア表と筆記具を各人持参のこと。
※1つのコ一スのスタ一ト位置(黄マ一クと番号記入)と、
ゴ一ル位置(赤マ一クと番号)はセット済み。➡最初は、場所が分かりにくいかも?。
マ一クの位置の略図はGG倉庫にあり。
※ホ一ル・マツトをGG倉庫から利用者が運びセットする。終了後は倉庫へ片付ける。
(午前・午後毎に)。
下記の「案内書」のとおりですが、GGの利用日は、月曜日、水曜日、木曜日、金曜日の午後。
※ただし、土・日・祝、 春・夏休み期間・GW、イベント開催日、定休日の火曜等は除く。
火野正平さんが、自転車で全国を訪れる『NHKのこころ旅』は、
14年間継続してきました。 このたび、ご逝去にともない、正平さんによる旅は
終了となります。 お疲れさまでした。 新しい方の旅となりますかな。。。
正平さんは、私の住む京都府北部・京丹後市地域へも、数回訪れました。
※火野正平さんが、訪れた一つの「八丁浜海岸」<2014年4月>
※追伸。
『人生下り坂最高』というセリフは、心に残りました。
山陰海岸・冬の味覚の王さま【松葉ガニ】の初競りが、
11/9に始まりました。松葉ガニの解禁日は、毎年11/6ですが、
今年は悪天候で出漁できず、京丹後の間人漁港 他は、
11/9初競りとなりました。
さて、11/18から気温が下がりましたので、いよいよカニ鍋の到来と
感じます。
1。カニの漁期➡オスは翌年3/20まで。
メス(コッペ)は、今年の12月末日まで。
※追伸。ブランドガニ「間人(タイザ)ガニ」の産地偽装事件を受け、
漁獲履歴を可視化する新プレ一トを今年から導入しています。
2。カニは、水深230m~350m付近で、底曳き網漁船で漁獲。
カニがすむ世界は、水温は年中0~3度程度で、
太陽の光が全く届かない真っ暗な世界。
こちらは、ユネスコ世界認定済の『山陰海岸ジオパ一ク』エリア(京丹後市~
兵庫但馬地域~鳥取市等までの120km)にある京丹後市網野町の八丁浜海岸です。
11/14は、好天・波ありで、関西屈指のサ一フインに適していると言われる
「八丁浜海岸」に、大阪他から約100名のサ一フア一たちが集合しています。
※下記写真は、八丁浜防波堤の左側で、一人で楽しむ女性。
かなり沖の海までいかれていたので、ベテランの方でしょう。。。
※追伸。
八丁浜海岸となりの浅茂川漁港にいる
松葉ガニ漁獲の底曳き網漁船『大善丸(ダイゼンマル)』。
2009年から当ブログを書き込み続けて、15年間経過しています。
「よう続けた なあ。。」と、自分では思っています。
16歳もトシをトリました。
※そこで、私の好きな言葉は。。。
①『実るほど、頭(こうべ)を、垂れる稲穂かな』
②『あきらめなければ、道は続く』
③『人生は選択の連続』
④『ありふれた日々が、幸せと思う』
⑤『歩くだけで、体も整う』
★下記写真は、「兜山(かぶとやま)展望台」<京丹後市久美浜町>
・「兜山」➡流紋岩の溶岩からできている溶岩円頂丘です。
標高191,7m。
下記写真の場所から、「小天橋(しょうてんきょう)」が、よく見えます。
2024年の『立冬』は、11/7。➡京丹後も、最低温度12度と冷え込む。
こちらの山陰海岸地域では、天気【うらにし】の季節となります。
(注)天気【うらにし】とは、山陰海岸地域で、晩秋のころ吹く北西の風
及びそれに伴う天気をいう。
1。※昨年2023年・晩秋の京丹後地域の天気。
①11/10ごろ➡「丹後の天気・うらにし」へ。
②11/11 ➡「近畿の木枯らし1号」。
③11/18 ➡最高温度10,6度で冷え込む。「みぞれ」あり。
④12/17 ➡ 初雪となり、峰山地域で積雪8cm。
2。毎年【晩秋】からの京都府北部「丹後」地域では、下記のように
なります。
【松葉ガニの解禁・11/6】➡『立冬』➡『近畿の木枯らし1号・11/7』➡
【丹後の天気・うらにし】➡11月中旬ごろ「時雨(しぐれ)」・
「みぞれ」降る。
➡12月に「初雪」。
※追伸。
寒くなると、山陰海岸・冬の味覚の王さま「松葉ガニ」が、
頭に浮かび、口元がぴくぴくします。
11/5深夜からの日本海は大荒れで、「底曳き網漁船」の出航が
少し伸びた漁船もあると聞きますが。。。
11/2は、全国的に大荒れの天気でした。
11/3(日・祝)は、こちら京都府北部・京丹後市地域の天気は、
風はありますが好天となりました。
しかし、下記写真の八丁浜海岸は、「晩秋の海」で波高しです。
①京丹後市網野町浅茂川「八丁浜海岸」・・・11/3午前の様子。
②「八丁浜海岸」は、波高しで、サ一フア一は少なし。
③下記写真は、八丁浜海岸近くにある【鷹(たか)とあそべる
海辺のカフェとお宿】➡昨年オ一プンのお店『ことひ』。
④下記写真は、お店の玄関にいる【鷹(たか)】。 11/3撮影。
※俳句では、【鷹】は、冬の季語の一つです。