chiaki's "CHEEKY" annex

chiaki's "CHEEKY" annex

1999年開設のオマージュサイト“CHEEKY”http://home.att.ne.jp/wind/cheeky/ の別館ブログ。メガネビジョン、石田ショーキチのライヴレポの他駄文掲載。

 
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いま電車は古河を過ぎた。日は落ちきってない。18:13。
新宿を17:09に出た湘南新宿ライン快速は当初ばかみたいに混んでいて、大宮まで座れなかった。ゴールデンウィークの名残がまだ乗車客の空気に混じっている。列車は黄昏時を北に向かって疾走する。今日は5月9日。土曜日。

「あの日」からたった3週間後の今日、こんな風にまた宇都宮に向かうことになるなんて想像もしていなかった。3週間もの間「あの日」の記録を書かずにいるとも想像していなかった。私は私の中のメガネビジョンを終わらせることはおろか休ませることさえできなかった。結局「あの日」を経て分かったことはそれだけ、ただそれだけだった。

18:20。小山到着。栃木に入った感。湘南新宿の最前車両の乗客の多くが立ち上がり降りようとしている。車内は一気に閑散とする。ドアが閉まる。

今日気温は最高28度を示し、真夏の空気の匂いを嗅いだ。あの4月18日はどんな日だったろう、確かに今日のように晴れていて、でもまだ空気は春先のそれで、でも宇都宮の桜はもう散り過ぎて、田川を大きな鯉幟が渡ってなびいていた。

あの日宇都宮に行くのは最後まで気鬱で、午前遅くまで私は自宅の寝室でうつ伏せて呻いていた。14時半ごろ友人と待ち合わせて湘南新宿に乗った。その道中ライヴのことを考えるたびに腹がしくしく痛み、ばかみたいに大きなため息をついていたことを本当に、ほんとうに昨日のことのように思い出す。

・・・

そうして昨日は「昨日のこと」になる(現在2009年5月10日の日曜日、17:01)。

今書いている文章、これから書く言葉たちがいったい何のために吐かれるものなのか、綴られることに意味があるのか正直いってこう書いている私自身にも分からない。ぜんぜん分からない。

「でも私は書き文字でも言葉を信じてる。」

言葉は無力だとかいう言質が世の中にはあるけど、そんなの言葉遣いの下手なやつが苦し紛れに流布したデマだ。個人的な仮想敵はいつもそういうデマだから私は断固として戦う。

そうこれから私が書こうとしていることは全部個人的な話だ。ていうか私が書く文章なんて全部個人的な話だ。だから個人的な話が嫌いな方はここでお引き取りください。そして非個人的な話をどこかでお楽しみください。ファックユー!

・・・

だから時系列も滅茶苦茶!

・・・

私が唯一布教に成功した友人ながらこの日初めてメガネビジョンのステージを見ることになる連れのAちゃんを、本当に今日、ヘブンズロックに連れて行って大丈夫なものなのか。「あの日」私の心を占めていた憂いはその事に尽きた。

でもメガネビジョンの音楽を楽しんで聴きライヴにいける日を楽しみにして、活動休止の報には私と一緒に泣きさえした6歳の娘を連れてくるのも、私より先にメガネビジョンの音楽を気に入った夫を連れてくるのも最後の最後に日和って止めた私は一人で宇都宮に乗り込む覚悟すらも無かったのだ。

見届けられるんだろうか。
正気で見届けられるんだろうか。
Aちゃんが幻滅したらどうしよう。
私はそれに耐えられるんだろうか? 

というよりもむしろ、私がなぜこんなにまでも苦しむんだろう? 意味わかんない。理解できない。ぜんぜんわかんない。

たかがお気に入りのインディーズバンドが活動休止するという話なだけ、そのラストライヴに足を運ぶというだけ、ただワーイって聴いて騒げばいいだけ? たかがそれだけの話。

それなのに。

・・・

後が無い。
「これが最後なんて事ありませんように」と願いながら覚悟している。
矛盾。

結局私は彼らを信じ切れなかった。
信用し切れなかったから、身近な音楽馬鹿の評価が厳しく彼らの上に下されるのを避けた。

一生「あのグダグダなライヴに連れて行かれた話」をされるカモシレナイという恐れに負けた。

負けて一縷の望みに縋った。「これが最後でさえなければリベンジの機会はある」と自分に言い訳をした。

その愚かさを後に私は大いに悔やむことになる。

・・・

思うに1月11日から4月18日までの間。

なんだったんだろうあれは。

と、何度も何度も私が立ち戻り反芻したのはあのさいたま新都心でのライヴのことだった。



あの日私はあの場で完全に気圧されたのだった。



ライヴが終わった後、メンバーに言いに行ったせりふを微かに覚えている。「凄くうまくなったね」と言った。「凄い進化したね」とも言った。3ヶ月前の宇都宮のライヴの印象と全く次元の違うそれは衝撃だったから。それにしてもそのせりふの陳腐さには自分でも笑ってしまうけれど。

バンドってこういう風に変わるんだ、というのはそれまでの私の人生に無い驚きと発見だった。甲虫が脱皮するように、変態して別のかたちの生き物になったかのように、集中した演奏は切っ先を研ぎ澄ました刃物のようで、真夏の雷光のようで、私はライヴハウスの床に頭頂から土踏まずまで射抜かれて完全に竦んだのだった。

見ていかなくちゃ、一生見ていかなくちゃ、って思った。
思ったんだよ。


メガネビジョン。

・・・

4月18日に戻ろう。

JR宇都宮駅に降り立ったのは16時ごろだったと思う。西に傾いて蜜色に染まった宮の橋を渡り、少し大通りを歩いた後私たちは田川のほとりを少し歩いたんだ。そう、鯉幟がはためいていて、あぁゴールデンウィークももうすぐだね、なんて話して。この川の感じ京都の鴨川に似てない?なんて駄弁って。

そのまま大通りに出ないままオリオン通りを目指した。途中通り過ぎた病院はあの渋谷系の歌姫の実家なんだよねとか、オリオン通りのレコード屋のメンバー募集掲示板があのホコ天バンドの発祥なんだよなんてトリビアルな(みんな知ってるけど)話を得々としながら。

でもメガネビジョンの話はできなくて。

宇都宮出身のAちゃんの青春時代があるユニオン通りに連れて行ってもらったころには17:30を回ってた。会場に行きたくなかったからそこで十数分を過ごしたんだ。いやんお洒落くない?ここほんとに宇都宮?とかなんとか言いながら通りを行って戻ると17:45。観念してヘブンズロックのロッカーに向かい荷物を黙って詰めるのだった。

ああ、階段を下りたくなかった。
おなかが下りそうだった。(尾篭でごめん)

・・・

『マボロシ』の歌詞。

 いつでも僕らは
 本当の言葉を
 本当の心を
 この胸に抱いて歩いていく



新都心でライヴの後、漸く手に入れたこのセカンドミニアルバムの表題曲。サインしてもらったCDの歌詞カードをけやき広場のロッテリアで舐めるように読んだんだよね。で、かなりグッサリと来たんだ。

本当の言葉って何


言葉を上滑らせるのは得意だ。というか癖だ。そうやってのらりくらりと逃げていく。うなぎのように。

だから誰の心にも引っかからない。
こんな私が本なんか書いたところで誰の心にも響かないに決まってる。
あぁ、
感動と嫉妬は紙一重だったね。
そうだったよね。

ロッテリアで絶品バーガーを咥えて泣いた33歳女がいたことをここで暴露しよう。もう時効。

あれ以来、絶品バーガー、食ってない。

・・・

あの日私はAちゃんにチケット1枚手渡し、自分でも1枚使って入場したけど、実はまだ手元に半券切ってないチケットが4枚ある。

つまり6枚買ったんだ。ローソンチケットの通し番号、2から6、あと20番台を1枚。10,000円のライヴ。なかなかないでしょう。

その価値は「あった」。それは後から言う。断言する。
でもあの階段を下りているときの私はそんな気持ちになれず膝が笑ってた。なしてそこまで。

フロアにはまだ余裕があった。いつもいる壁際にはもっと弱っている人たちがたむろしていたから、私とAちゃんは入り口近くでぼんやりしてたんだ。SEはやっぱりはっぴぃえんどだった。今畜生。

4月18日土曜日の18時が回った。SEは鳴り止まない。入り口ドアも閉まらない。閉まらない。鳴り止まない。閉まらない。

動悸がして、両手にびっしょりと脂汗が滲み出て、
死ぬかと思ってた。

もう自分で自分を笑えなかった。

・・・

祈る気持ちで誰もいない薄明かりのステージを見てた。

・・・

ここで時間をぶっ飛ばす。5月8日、金曜、夕方。

雨雲の逆方向に夕焼けが冴えて、川崎当りを根っこにした馬鹿でかい虹が東京近郊の空をまたいでいたらしいのだけど、ちょうどその時間京浜東北で田端あたりを通過していた私はその虹を見ていない。有楽町で乗り換えたらもう雨が降っていて、新木場は土砂降りだった。

この晩ほとんど10年ぶりに夫と二人でライヴに行った。スタジオコーストでマキシマムザホルモン。ここんとこ毎月ホルモンを観ている夫は嬉しそうに最前列方面に行ってしまったけど私は久々にライヴで命の危険を感じていた!(あの走りながら殴りあうモッシュは本当に恐ろしい!)

包丁ハサミカッターナイフドスキリを後方で踊り狂った後私は2階席に上って殴り合いを高みの見物しながらナヲちゃんの煽りMCに心底痺れていた。「お前ら!!!!!! この音楽馬鹿野郎ども!!!!!!」と名指され罵倒された数千人の音楽馬鹿野郎がうねりながら狂喜していた。音楽馬鹿野郎ども…音楽馬鹿野郎ども…耳の奥にこだまする…そう、私は音楽馬鹿野郎。胸に刻んで、二階席の柵に抱きつき私も快哉の雄叫びを上げたのだった!!!(雌ですけどね)

・・・

18:15をようやく回る頃だったと思う。

ヘブンズロック宇都宮のドアが閉まった。

そして程なく客電が落ちた。

『落陽』がかかった。

悲鳴が漏れた。

・・・

そういえば私が生まれて初めて行ったライヴハウスはどこだっけ? 記憶をたどる。
たぶん日清パワーステーションだと思い至る。それは1991年か1992年のこと。
FAIRCHIRDだった。あの頃YOUも若かったけどMEも若かったのよ。
だって16歳くらいだったもん。

まぁ、そんな時代もあったっけ。
……。


あそこは日清製粉本社ビルの地下で。
地下とはいえお洒落でゴージャスで明るい。いつか大人になったら地下1階のほうの「ご飯食べながらライヴ鑑賞できる席」に行ってみたいと本気で思ってた。

大人になってみればあんな席に座って見たって屁のつっぱりにもならんわなと思うけど。
……。
まぁ、そんな時代もあったんです。
昔話です。



その後行くようになる地下のライヴハウスはどこも穴倉のように湿ってタバコの臭いが滲みてて。
その薄小汚い床に座って、ジントニックを飲みながら私は暗がりで目を凝らして周りの人々をずっと観察してた。

鬱屈した現実を折り合う穴倉に満ちたあの祝祭の香り。
アルコールとタバコと鼓膜を狂わす轟音の名残。
あの胸を焦がすような時間。

ああ、涙が出るくらい好き。
私はライヴハウスが好きなんだ。

それはあのパワステに始まるごく個人的な歴史なわけなのですよ。

・・・

その18年後に私は、メガネビジョンの出囃子の『落陽』がなかなか終わらないのとメンバーがステージに現れない、ほんの数分に焦れて息が詰まりそうになっていた。

限界だ。






その時。





そうして。





彼らが、ひとりずつ、現れた。
ひとりずつ、
ポジションに立ち、1,2,3,4……。
4人、ちゃんと出てきた。円陣を組み、
背中を叩き合って、

……。



嬌声とも悲鳴ともつかない声が鳩尾の辺りから漏れる。
Aちゃんの手をとり私は強引にフロア2列目の真ん中に身を滑らせた。
ここで、
ここでなければ。
私の場所。



そうして3ヶ月と1週間ぶりのメガネビジョンの生音がフロアを満たした。
あの瞬間に私は身体全体を記憶装置にしてこのステージの一分一秒を刻み込むって決めたんだ。



・・・



なんだか時間と空間が入り組んでしまったようで記憶が混濁する。
(現在2009年5月10日、20:45)


この馬鹿長い長文の冒頭の話を繋げてみよう。
そう、もう既に「メガネビジョン」というバンドは活動休止してしまったし、それは無期限であるからして戻りようがない。

でも昨日のちょうど今頃? 私は彼らの「4分の3」の生音に触れてまた射抜かれ棒立ちになっていた。
それは彼らが活動休止してすぐに心に決めた思いに思いがけず応えてくれた彼らによる福音だった。
さきに書くことじゃなかったかもしれない。
でも書きたかったのだから仕方ない。



・・・









刻み込まれた音。


『中学生ロック』

えびちゃんが絶叫するカウント。

ワン・・・ツー・・・スーーバーーラーーシーーー
初めて気づいたときにはキョトンとしてしまったことを思い出す。
初めてメガネビジョンのライヴに来た時、
ピンクのTシャツつきチケットを受け取ったとき、
小川くんがすっと手を出してくれて、握手。
でもビックリして「は?」って、
そのときにもキョトンとしてしまったことを思い出す。

この曲のタイトルにも歌詞にも度肝を抜かれた。
でもそれすら最近のこと。私は長くこの曲の良さに気づけなかった、
「は?」って、そんな風に。

わたしは、ばかでした。

知ってる。でもそれは、もう一度向き合うのがずっと怖かっただけだって、知ってる。

「あの頃僕は教室の隅っこで 冷めた振りして君を見ていた」

そう、私も教室の隅っこでずっとそういう風にしてた。
ずっとずっとそういう風にしていた。

おんなじだったんだよ。
忘れていたかったけれど。
痛かったから。
でも、憶えてた。


1月11日のライヴでは、あの重い沈黙のあとのアンコールで演奏されたこの曲を、この日は11月1日のライヴのように一曲目に持ってきたことが、ただ嬉しかった。


『手紙』

「あなたの声が」

そう一番最初に刻み込まれたメガネビジョンの音がこの『手紙』の、「あなたの声が」。
この一瞬の空白にしてやられた。

「あの“あなたの声が!”っていう、あの曲だけ聴きたい」と、メガネビジョンにあまり興味が無かった初期の頃すら私、思ってた。
楔のように小川くんの唸り声が刺さり、その後一呼吸先のドラムとベースとギターに撃ち抜かれる。
それはヤバイくらいに、気持ち良かったんだ。

抜けのいいタイコ、スネアの音が天井に跳び、ベースが腹腔の底から感情を沸きあがらせて、ギターは肋骨の辺りをビリビリ震わせて嘶く。

 あなたの声が僕の名前を呼ぶ声が
 あなたの声が聞こえた気がして振り向いた
 あなたの声が人ごみに消えるその声が
 僕はその声に心を打たれて歌うのさ

誰の声を探しているんだろう。思い出せない。
でも探している。その声を覚えている「気がする」。
でも思い出せない。

この歌を聞いているといつも自分の顔がくしゃくしゃになっているような気がする。
誰かに対して無意識に(ウソ、意識的に)してきた残酷な仕打ちを懺悔したくなる「気がする」。
苦しい。


 僕は今でもあの頃のまま この町の片隅で生きている
 今年もあの花が咲いてました
 あなたに手紙を書きました

それが穏やかな気持ちを綴った手紙じゃないのは分かるよ、だっていつもあなた半泣きだもの。
泣いているのがばれないように怒鳴るのでしょう。
仕方ないね。
それでも書かずにいられないのだものね。


『風』

立て続け旋風のように駆け抜ける初期のハイペースなナンバー。
『風』はゴメン、iTunesでもあんまり再生しない曲なんだ。
でもライヴで聴くのはいつも好きだったよ。

 あの花が咲くころまでに
 伝えることかあるのです
 歌いたいことがあるから
 僕はここにいる


外交的か内向的かって言ったら満場一致で内向的な少年の独り言みたいな歌詞だと思う。
びびりでヘタレでしょうもない。私の息子がこういう男の子だったらとりあえず心配だ。
でも彼に吹く“風”は不思議といつも追い風なのに母親なら気づく。早いうちに。
それでも息子は必死に向かい風に立ち向かっている様子なのを、微笑ましく見ているように。


私は微笑みながら、いた。

・・・

ここで漸くMCが入る。
そしてこのあたりから漸く鬼気迫る感じがメンバーから解けていく。

この3曲は正直言ってちょっと怖かった。怖いくらいに研ぎ澄まされていて、研ぎ澄まされているほどに虚ろで血の気が引いていたような気がするんだ。演奏しているほうも必死で、聴いているほうも必死で。

ね、そういう空気だったよね。

・・・

『ミッドナイトトレイン』

チョクナリ君のベースソロ、音がトグロを巻いていてカッコ良過ぎる、悶えてしまう。
「えびチョク」リズム隊のこの日の集中振りというか壊れっぷりというか一糸乱れぬ息の合いようが最後まで貫かれていて、壮絶だった。

メガネビジョンはやたら青臭くて泥臭いナンバーが多いのに、時折こういう俺様系ロックンロールスターキラキラナンバーがあって面白い。これも慣れないうちは「…は?」って言う感じで聴いていたのにもうウッカリのりのりですよ。どこまでも飛んでいける気がします。どこまでもったらどこまでもだ!!!


『オスは不自然 メスは不機嫌』

 オスは不自然 メスは不機嫌 見破られてるようじゃ問題外
 
この煽情的かつ挑発的なナンバーの世界にメガネビジョンというバンドが雪崩れ込む前に活動休止というのがどうしても悔しい。悔しいというか…大人の階段上ったところをガツンと見せて欲しかった。少年の時間を終わりにしてでも。力ずくででも。

演奏はもう充分カオティックでエロティックだった。そしてライヴ盤に収められている歌詞がグダグダなのがこの日の歌を聴いていればよく分かる。ちゃんと歌っていたから。

グルーヴは丹田(分かる?)に澱み溜まり放出の機会を待つ。いーじゃん、出しちゃえよ、ホラ。

そうして小川くんはギターを下ろす。マイクスタンドに手をかける。


『チョットまってよ』

これ、ライヴで聴いたことあったろうか、初期の頃あったかな? もしかしたら初めてかもしれない。頭の中で「マーイシャローナ♪」と被さりながらもこの曲はこの曲でキッチリ屹立してる。

Eキャンジってなに? 「あの感じ」ちゃんと感じさせてくれてありがと。

 ビームが目から出ちゃった
 
振りがつく。瞑って見開いたまん丸い目。笑っちゃう。


『新曲』

ハンドマイクで新曲。リズム隊とギターがここでも収斂している。たぶんそんなに「合わせて」ないんだろう。透けて見える。

それでもグルーヴのいちいちが腹に刺さるようで、ぐっとくる。今でもこの曲のサビが頭の中をグルグル廻っている。私身体の中に刻んだから。

曲終盤、果てしなく根本君のギターソロ。続き、チョクナリ、小川、海老原3人がステージ下手で肩を組んでニヤニヤしている。その様子をチラッと見ながらニヤリとして弓のように身を撓りながら弾き続ける根本君。あぁ、いつまででも聴いていたかった。止まって欲しかった。時間。

時間、止まって欲しかった。



『笑顔のままで』

丁寧に、丁寧にベースが綺麗なメロディーを奏でる。チョクナリ君が大事そうにベースを抱えている姿は今でも嘘みたいに鮮やかに見える。「???」そのソロが終わってからカウント。これが『笑顔のままで』に繋がった。初めて聴いた。それが最後? なんて無いよね。

無いと言って欲しい……。


『ハル』

どうしてショーキチ師匠が録った音源にこの曲が入っていないのか未だに解せない。
それくらい凄い曲。
オーディオリーフで試聴(というかフルでデモ音源が聴ける)して吃驚したもの。
ライヴでは何回か聴いたことがある。絶対、この日もやると思ってた。

曲に入る前に小川くんのMC。寂しい曲だけど、前向きな気持ちを歌ったもの。
そうなの? そうなのかもしれない。でも切ない。苦しいほどに、せつないんだ。

 行き場がなくて
 泣く夢を見て
 退屈なままで
 生きていた


あー、これは大学に全部落っこちたときの私だ、と呆けたように思ってた。人生初で最大の挫折。初とか言ってる時点でいかに自分が甘ちゃん育ちか分かるって言うもんだ。

被さって、重なる。

あの「春」にリアル私が聴いていたのはZABADAKの『桜』ってアルバムだったものだけど(どうでもいい情報)、「私どうしてこんなトコ来ちゃったんだろう?」っていうあの情けない気持ちのBGMとして未だに心穏やかに聴けない。もうあれから倍近く生きているのに。馬鹿みたいだけど。

蘇って芽吹く。

 どうして僕らは
 すれ違うのでしょう
 前に進むために
 生きている

 別れを歌い
 誰かに出会い
 今が始まる
 繰り返す

ああ、繰り返すね。嫌になるほど。でもそれが生きているって言うこと。
わかってるんだ。


『夏の陽の残像』

ごく珍しいメジャーコードのナンバー。元気があって明るいのに完全に夕焼け系。
そして歌詞があまりにも神なのに初めて聴いたときから震えたもんだ。私は物書きが本業だから、嫉妬した。
本気で嫉妬したんだ。

 ごめんねと 僕に言った うそっぽい笑顔
 
全敗という感じで。

終盤のコーラス、CDでは石田ショーキチ師匠が縦横無尽という勢いで重ねている。ライヴではチョクナリ君がとてもいい声で歌う。

このハモりにいつもゾクゾクしてしまうから、ここでも時間よとまれと呪いながらもう毛穴から音を吸い込むように聴いていたんだった。


『花のように』

いつだったか、初めて聴いたとき。

 夕暮れ街を歩いたら
 北風が冷たすぎて
 あなたを思いました
 カレーの香りがしました
 僕は急に切なくなって
 急いで帰りました

「カレー」の発語の瞬間に「ズルい!!!!!」と目を見開いてしまった。
この瞬間に「完敗」とおもった。何に負けたのか定かじゃないけど。

スローな曲は正直得意ではないのです。飽きちゃう。でもこの曲だけは初っ端から飽きず引き込まれた。
ライヴ盤を耳で歌詞起こしてもコンプできない。どうしてマイスペのベリテン音源を下げちゃったんだ!!! また上げて欲しい。死ぬ気で聞き取るからさ。

 あなたに届きますか
 あなたに届きますか
 今なら僕の声が
 あなたに届きますか

届いてるから。
届いてるから……。


・・・

残り時間が少ないのを私たちは体感してた。

・・・

『さよならサタデーナイト』

雷鳴のようなえびちゃんの重い重いタイコのソロから入る。
このアレンジを最初に聴いたときには一体何の曲が始まるのか私には全然わかんなかったのを思い出す。

 ぼーくーはーわーすれない

節のある木管が響くようなヴォーカル。胸に迫る。
汽車は東に向かうのか西に向かうのか。はたまた北か南か。
走り出してしまったんだね。

MCで、サタデーを演奏したい日がサタデーナイトでないと困ったし、サタデーなのに演奏したくない気分(主に小川くんが)という事情があってなかなか土曜の夜に演奏できなかったという話。

苦笑に紛れる。
とすれば、「今夜はサタデーナイトだね」というMCから聴けた、去年の夏のラママは非常に稀有な体験だったのだ。あれには痺れた!

終盤のコーラス、被せ合うような。いい色気が出ていたよね。
あぁ名残惜しいよ。惜しい。

時間はもう僅か。


『ダンスダンス』

この不思議なダンスビートもメガネビジョンらしいというか、らしからぬというか、異国風の織物みたいな、でもメイドインジャパンだぜみたいな。

夜通し馬鹿みたいに踊り続けたい。奇妙なフレーズが好き勝手に織り込まれていく。笑ってしまう。
「終わるな」「止まるな」願い、呪う。
応えるようにリフレイン「続いてくよ…続いてくよ」。続いてくれよ。毒づく。


『多感期センチメンタル』

ぐしゃぐしゃしたイントロが整然と並んでヴォーカルが統べる。しかしなんつってもタイトルが秀逸だ。この曲に傾倒した不肖34歳女は20年すっ飛ばし、恥知らずにも「中二」を標榜しだす始末。痛いね!

 まだ17歳の君は思い出の中
 
その倍も生きてしまったけど確かに私の思い出の中にも「17歳の君」はまだいるよ。
健在。


『花鳥風月』

そしてとうとうこの曲に辿り着いてしまう。
私たちは終わりを予感する。

苦しい。



1月11日には告知の直後に演奏された。それをバンドの死に手向ける献奏と捉えたのは私の感傷だった。
ファンじゃない頃には耐えられないくらい冗長だと思って、ipodでも迷わずスキップさせていた。
この曲の凄みに気づいたのもこれまた最近で泣ける。

 今も笑ってますか あの頃のように
 この町のどこか 夕暮れに染まるこの街角で

本当かどうかは俄かにわからない、バンド活動休止の理由に小川くんはこの曲を挙げていた。
私は勝手に半分本当で半分は後付の言い訳だろうと踏んでいる。
聞こえが良すぎるから。

ヴォーカルとギターがクロスして世界が反転し、天蓋に映った夕焼けが視界を覆い尽くす。
『鉄コン筋クリート』みたいな情景が見える。


『マボロシ』

NHK-FMで何ヶ月もパワープレイされたのに、あの頃一度もエアチェックしてなかった。
この曲を初めて電波に乗せて聴いた人はどう感じたんだろう。想像できない。想像つかない。
それがまた悔しい。


あの物凄いPVを考え出した人は凄いな。あれ撮って1年も経ってないのでしょう。なのにどうして止まる? また詮無い問いが胸に充満してくるからそれを丹念に片付けながらこの繊細なメロディに身を委ねた。

去年の夏ごろの一番に詰まっていた季節を助けてくれたこの曲への感謝と嫉妬を。
ありがとう。

・・・

そうして最後の曲だと言われて始まったのが宇都宮ソング。
そう、

・・・

『君とYOZORAとヤイヤイイェ』

これも初めて聴いたときには度肝抜かれたよね。「はぁ?」の再来。
うつのみや~って歌ってるよおい、目まんまる。
それにしては皆嬉しそうじゃないか。
10年も前に捨ててきた街なのに。私は見限って出てきたのに。こんなに愛されてて、「うらやましい!」。

その感情にもまた驚いた。


 太陽が沈んでも 星たちが目を閉じても
 止まらないぜ 歌い続けるぜ
 
言ったな? 歌えよ!
声に出して突っ込む。

一瞬ずつ刻み込むように、ステージを端から端まで目に刻むように。

でも最後って言ったのに一拍置いて、


『交差点』

イントロが叩きつけられるように始まった。
ああ、正真正銘の最後の最後なのだ。
もう泣いてる子がいる。駄目じゃん、まだだよ。まだ終わってないよ。

 行き場をなくして また迷い込んで
 ただすり減らして 光が見えなくて
 君を思い出して 君を思い出して 君を思い出して
 
思い出すんだろうか。
思い出すんだろうか私は。




思い出すんだろう。何度も、何度でも。何度でも何度でも何度でも。





そうしてその最期の一瞬に、私は自分の内側でメガネビジョンの時間を止めた。
「終わる」前の瞬間に。

それは永遠で止まった。









いさぎよくアンコールなしで彼らは笑顔でステージを降りていく。

怖いほどに集中したまま。


あぁでも分かったんだ。その切っ先が描くものこそプロの仕事なんだよね。

ごめん、信じ切れなくて。ごめん、馬鹿だった。
誰も彼も、私の好きな人を全員連れてくるべきだった。こんな凄いステージだったのに。
見せたかった。見せたかった。見せたかった。


でも仕方ないから私が全部刻み込んで、後で書くしかない。
書くから!




・・・

でも、こんなにいいステージを観たのだから、すぐにでも書けると思っていたライヴレポートは、一日経ち、三日経ち、一週間経っても一文字も綴れないまま時間はどんどこ過ぎていった。

どうしても、書けなかった。
何を書いていいのか全然分からなかった。

でもいつかは書けるだろうとは思っていた。

でもそれがいつになるかは全然分からなかった。



・・・

そうこうするうちに『スリービート』という新バンド結成の報告がmixiでなされる。
およそこのライヴの10日後のこと。

私は、「あ。〆切キタ」と素直に捉えたんだ。



だからこのくそ長いライヴレポはそのスリービートのステージ開始数時間前に湘南新宿ラインの車内で書き始められた。

そうしてそれから48時間以内に怒涛の勢いで書き進められた。
祝祭のようにテキストの「フック」がいくつも降りてきたから。


・・・

まずスリービートのステージを見ている瞬間に「それ」は降りてきた。

“ヴィジョンを失ったメガネビジョン”

「ヴィジョン=小川君」。思い返せばその兆候は確かなものとして昨年11月のマイスペ日記に見え、あのまま更新を止めた彼が繰り返し書いていたのは「売れなくてもいい」という、ヴィジョンを失くしたそれだったのに、あの頃の私にはそれが分からなかったのだ。

そうして。

スリービートの予想をはるかに超えたあまりのグルーヴと音圧のステージに涙を滲ませてから一晩明けた今日(正確には昨日)の昼。

何気なくかけたiTunes。ライヴ盤、あの大好きだった『雨上がり』の音の薄さに、私は自分の耳を疑い、愕然とする。

でも確かなのは自分の耳!

あの子達……根本君とチョクナリ君とえびちゃんの3人……は、見事に「化けていた」。
一晩経ってそれを思い知った。
思い知って、私はこんなに嬉しいことは無いと思う。


その数時間後、また降りてきた。
“ああ、あの子達はキメラになったんだ”って。

「キメラ」がなんだかわからない人はぐぐってみてください。



そう、名実共に、あの子達は化けた。

盲いた頭部を失ったからといって諦めなかった。

貪欲に、どこまでも貪欲に、新しい身体に挿げ替えてでも進化していくのだという意思を示した。

昨夜のヘブンズで号泣してたお姉さん達も皆それを感じてたはず。その覚悟と意思が、嬉しくて泣いてたんだよね。
わかるよ。



そして、だから、私はやっと、今こうして書けている。
あの子達はまだ、成長をしようとしている。
あの子達はもっと、成長をしようとしている。
終わる気、全然無い。


どんなカタチになっても、聴き続けるから。

・・・

さてさ、4月18日のライヴが終わった後の話はもういいよね。
あんまりにも長く書き過ぎた。誰ももう読みたくないでしょう。

私も書きたくない。


あの後あったことは総て私の裡に仕舞う。誰にも言いたくない。
言わなくていい。

だからこの馬鹿げて長いライヴレポという言い訳で書いた個人的な長文はここで唐突に終わる。
でも私たちは知ってる。私たちは、また遠からず逢う。

同じ音楽を聴いて、同じ場所で、同じように時を刻む。同じ音楽馬鹿野郎として。
そして一緒に「明後日のほうを向いて」言おうね。




ヴィジョンが見つかったら帰っておいで、って。
待ってるよ、って。













音楽が無ければ生きていけない音楽馬鹿野郎より。
2009.05.11 01:53am










メガネビジョン ワンマンライブ
「メイドインジャパン vol.4」
会場 HEAVEN’S ROCK Utsunomiya VJ-2
公演日 2009/04/18(土)
開場 17:30
開演 18:00
店頭orローソンチケット Lコード 73362
チケット代 前売り2000円



SET LIST...

中学生ロック
手紙

ミッドナイトトレイン
オスは不自然 メスは不機嫌
チョットまってよ
新曲
笑顔のままで
ハル
夏の陽の残像
花のように
さよならサタデーナイト
ダンスダンス
多感期センチメンタル
花鳥風月
マボロシ
君とYOZORAとヤイヤイイェ
交差点


visionを見失ったメガネビジョンの、「メガネちゃんたち」が再始動すると聞いたら、
四角いものも丸くする勢いで状況を調整しないではいられず、
前日スタジオコーストのマキシマムザホルモンで死にそうになったくせに、
昨夜も無理やり宇都宮に行ったんでした。

そこで観たステージ、あまりのグルーヴと音圧には立ち尽くしあまつさえ涙が滲み出る始末で。
ずっと整理がつかずに書けなかった先月のライヴレポがこれでやっと書ける、ような気がする。
ってそこまですらやっとという気持ちで帰ってきて、
一晩明け、
さて仕事する前にちょっと聴こうと思って昨年11月の録音のね、
『雨上がり』iTunesでかけたら、「……えっ?」っていうくらいのったらくったらしてて、
陳腐で、
ぜんっぜん聴けないんだ。


























吃驚した。





















これは、つまり“メガネビジョン”のステージで過去何度か体験したアレの凄い奴を、
昨夜も体験してしまったということだ。







あの子達、また「化けてた」。

べつもんになってた。

ヒトカワむけて、

育ってた!!!






すげー。








昨夜観なかった人は損したよ。
残念だったよ。
ほんと。
そう思う。













ほんとでもすごい、
こんなにあからさまに私の耳が違うという。
私の中の「音楽馬鹿野郎(C)ナヲちゃん」が覚醒して「まだまだイケんだろテメーラぁぁぁぁぁあッ!!!」と恫喝する。




生きているって素晴らしい。

ほんとに。

ほんとうに。

音楽って素晴らしい、凄い。

音楽がないと生きていけない。























5月9日(土)
HEAVEN'S ROCK Utsunomiya VJ-2
開場:18:00
開演:18:30
前売り \2000
当日 \2500(ドリンク別)
スリービート
The Remember Me
ボロニカ
佐藤ひろこ



「スリービート」
Vo、G:加藤卓雄
G:根本学
Ba:鈴木直也
taiko:海老原康志
「目を閉じたら思い出して」

・・・

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……。

なんかふざけてるのかマジなのかわかんないエントリですいません。笑




あのね、こないだのメンテナンスからピグの画面の窓の外が時間とリンクした風景になってんですよ。

この夜景も結構いけるんですけど、やっぱり、
夕焼け系の人間としては、いかなピグといえどこの茜色にはぐっときちゃうんですわ。

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つかベッドの上では靴脱げって。笑

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挙句土足で立ち上がって泣いてる始末の今日この頃なのでした。

ああ、今週も終わるなあ。

一週間、あっという間だった。


土曜の、18日の、メガネビジョンのライヴについてはまだ書けませんので、
またもぴぐネタを書いちゃおうと思います。

つーかこのブログさいきんもう書くことなくてさー。笑
メガネのラストライヴのこと書いちゃったら当分ネタないもの。。

AIRも活動終了してしまい!
師匠のデスロックも6月だし!




などと言い訳(誰にさ? 笑)しつつ内容無いようなネタですみません。笑




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ライヴが終わって家に帰ってきて最初にやったのがこういうことって。笑
痛いなこの女!(ほっとけ)



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ヤンキースタイルにこのさわやかなインテリアがそぐわないことにきづく私。




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で、もとにもどす(でもちょっと眉毛と髪の色を抜いてみた)。




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引換券ひさびさにスクラッチで当たって、秒速でベッドを購入。





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気づいたら見知らぬ女(うそ~ん! ほりきる!!!)が寝てた!
これ夜の4時ごろね。
キャプらなかったけど、この直後にこの方のだんなさん(のピグ)が訪問されて、
ちょっとビックリしました(いやかなりか。笑)。




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えづらがちょっとあやすぃ。笑




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ジャージを着て自閉しています。今日はそんな気分なんでス。笑




あぁ。もう、今日になってしまった。
なんだかんだで寝不足です……。

めちゃ落ち着かないので、今日もぴぐネタで。
おともだちとのツーショットをお披露目しておきます。
整形もしましたので、その記録も含めて☆



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これはおともだちじゃありませんが、謎の売人を発見したので激写!




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「尾道映画に出てくるような純朴な田舎の女子高生」に整形したおともだちです。
この姿で、「渋谷106前」でシクシク泣いてると、ぐっぴぐがものすごい勢いで集まるんだって。
面白すぎる。。。

あと3日この姿を楽しんだら、都会の水に洗われて蝶になるようなので、
楽しみ!!!




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おともだちの整形に触発されて、私は「北関東のヤンキー」を志向して整形!!!
整形と言っても、モトの顔を、

・眉毛を剃る
・髪が伸びて、脱色
・カラコン入れる
・ちょっと日焼け
・つけぼくろ

だけいじったものなのではあるのですよ。
でも立派なヤンキーになれて満足満足。

このなりで「豹がらシャツ+ジャージ」
でキメるといい感じです。

セーラー服を着て、「これってズベ公ってかんじ?」
と言ったら、12歳のぴぐちゃんに「・・・わかりません」って言われてしまいました。

長いスカートのセーラー服を所望します!

デーハなワンピを着ていたら夫(リアル)に「よくいるよね、こういう人」と言われました。

そんな夫(ぴぐ)とツーショットです。

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chiaki’s ”CHEEKY”  annex-未設定
約3ヶ月ぶりのメガネビジョンライヴを明日に控え、
落ち着かないので(笑)ピグのお部屋記録でもしておこうと思います。



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「廃品回収ジッグラト」部屋



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「地中海風トンチキ」部屋



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「迷路テイスト・オフィスちあき」部屋



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「色・ホワイトブレンド」部屋



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「シロクロオフィス」部屋



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「シロクロオフィス、ピンクのオイルヒーターがあった頃(もう捨てた)記念」



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「シロクロオフィス、ピンクのオイルヒーターがあった頃(もう捨てた)記念」



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「和テイストブラウニー」部屋



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「和テイストブラウニー」部屋バリエ



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「壁上の机ラピュタ」部屋



chiaki’s ”CHEEKY”  annex-未設定
「ラピュタ」部屋バリエ








以上、非常にどうでもいいエントリでした。
ちゃんちゃん!

笑。
chiaki’s ”CHEEKY”  annex-20090111


笑顔・暗転・空白。

・・・・・・・・・・

今頃書くか。と問い、今だから書ける。と答える。
さぁ、けりをつけよう。あの晩に。

・・・・・・・・・・

「音楽は楽しいですか?」

・・・・・・・・・・

波長が合う、合わないということって厳然としてあるんだ。というようなことを考えていた。波長。
チューニングが合わなければチラリと掠りもしない。聞こえない。
感じない。

一年も私そんなだったんだなぁ、メガネビジョンに。と回想していた。一年。
正確には2007年6月から2008年6月までの間。
4回もステージ観ながら全然ピンと来なかった。
記憶すらろくに残ってない。
観れば確かに巧いと思い、ロックだと思い、実に元気だなあと感心する。でもそれだけ。

それが、今はなに? この開演前の時間においてすら緊張のあまりに腹がシクシク痛むほどだなんて。
こんなに怯えている。
悪い予感がしていた。

いつもの壁際に背を付けて開場から開演までの30分を流す。マスクをしていても咽喉が渇き、ショールを背負って尚背が薄ら寒い。

Sound Effectは延々『はっぴいえんど』。Happy end?
おいおい冗談じゃない。

立てば腹が痛み、座ると冷え、借りてきたiPod touchで遊んで気晴らししようにも遊べるアプリケーションもろくになく、時間を持て余す。体調が悪い。自分を持て余す。でも帰るわけには行かないんだから、今日は、最後まで。


ようやく物販にメンバーが現れ動くのを見ていた。そこから何某かの明るい気配を察して取りたかった。確かに微かに笑顔は見て取れた。
でもそれだけ。

それだけ。

客電が落ちた。



“楽しい音楽の時間の始まりです”



・・・・・・・・・・

メガネのボーカル小川くんの、やや上ずった前説、さらにダブルメガネドラムの登場の後でOA.のドクターベイビーが演奏を始める。

ふーん、楽しいね、ボーカルの女の子かわいいね。
以上。
ほらね、チューニングが合わないから、こうだ。

早く終わらないかな。

消耗したくないんだ。ごめん早く終わって。
OA.だけに30分強で終わる。安堵する。
客電上がる。

でもここから先が勝負だ、と思い気が重くなる。次は竹内電気。かなり人気で名の売れたバンドらしいが「そっち方面」全く疎い私は全然知らなかった。

「何だろうあの山下達郎……」と怪訝に思うままに45分経過。当然のように「ごめん早く終わって」の念は飛ばしたまま。終わってほっとする。

自発のつばきでも同様。クールな感じのドラムの女の子にだけ注目(私は女の子ドラムは昔から好きなのだ)して時間を潰す。
まさに潰す。
あぁこういうオーディエンスって最低だなと思う。
ごめんでも早く終わって。
私、もう倒れそうなんだ。


客電、そこで上がる。

・・・・・・・・・・



微かなざわめき、人の流れ。
バーに行って一応ビールを替えるが飲む気はない。たぶん腹下す。
フロアをみっしり埋める人を掻き分けて強引に2列目まで移動する。
深呼吸して居場所を固める。なんとか持ちそうだ。
良かった。

吐き気止めの飴を口に放り込んで目を閉じる。いつもみたいに音合わせが始まった。
気持ちが収斂する。
ね、ほらねこの時点でもう、チューニングが合っちゃうんだ。
いつも通り。
音もほら、いつも通り。
心配は杞憂だったかもしれない。
だってこんなに音合わせですらかっこいい。

でもSEは相変わらずのはっぴいえんど……。

出囃子の『落陽』はいつも待ち遠しいけれどこの夜ほど切実に待ったことはなかった。
何はともあれ、これが始まればすべて明らかになる。

4度目の客電が落ちた。

・・・・・・・・・・

思い返せばずっとひとりで聴きに行って、ひとりで観て、ひとりで帰って来ていた。メガネビジョンを聴きに行くだけのライヴでは、話す相手もしりあいもなくフロアではいつもひとりだった。

これはわたし個人としてはとてもイレギュラーな聴き方で、たいていは何人ものしりあいや友達と邂逅するのがライヴハウス通いの楽しみのひとつなのだ。もっとも聴き手としてのキャリアも違う、方や15年、方や1年未満。さもありなん。

まぁおいおいだよな。と(存外)人見知りのわたしは思っていた。おいおい、そのうち。いずれ。
徐々に顔見知りなんて増える(はず)と思っていた。実際にさいたま新都心ではすっごい若い女の子と友達になり、暮れのラママでは顔だけ知ってる知り合いとすっかり意気投合できて一緒に帰りもした。

でも、宇都宮ではいつも一人だったと思う。

一列目に並んでいるコアなファンの人たちを羨ましく視界に含めつつ、フェイドアウトする『落陽』と同時にステージに現れたメンバーは「いつものように」円陣を組んで背中をぱたぱた叩き合う。見ながら「いつものように」ほのぼのする。

演奏が始まる。新曲から。
「ツェッペリンっぽい」カッコいいナンバーらしいがツェッペリンって何?と聴いてしまう程度に知識の浅いオーディエンスはただ楽しく聴く。初めて聴く曲って大概そうだ。歌詞もわかんないし。
でもそんなの関係ないし。

そういえば自分の音楽に対するボキャブラリーの無さっていったら呪わしいほどだよな、と思い知る。
「楽しい⇔イマイチ」
「カッコいい⇔どうしたものか」
というあまりにも低レベルな平面座標の上に全ての感想は記される。

でもそれでもよかった。

ライヴとはその言葉通りに目前で生きて表現する人を全身で観て感じる自分もまたここに生きていることを知る場なのだから(私にとっては)。

自分が楽器を捨てたのと同時に私は音楽を批評する言葉ごと失った。
18歳のときだ。
でもそれは僥倖だった。ただの聴く人になれて私はようやく音楽って楽しいと思った。
でも失ったのは批評の言葉だけではないことを私は後から思い知ることになる。

憧れと嫉妬は紙一重で、
絶望と安堵も紙一重で、
感動は恐怖と紙一重だから、私は自分に訪れる新しい音に心を開かないよう、注意深く、耳を塞ぐ。
私を揺らさないで。
揺らさないで。

でもそんな自閉した深い井戸の中にある日突然「その音」は洪水のように流れ込み私の澄んだ井戸の水を濁し、でも満たした。
それが忘れることはないだろう2008年7月6日の夜。
さいたま新都心、信じられないほどがらがらのフロアにいながら、
井戸の淵から水は溢れそうだった。

その帰途、濁りが澄み微かにさざめく水面に綺麗な満月が映って、
その美しさに私は涙を流した。

私は思い出した。
楽器を捨てた私にはもう目配せし合い、呼吸を合わせる仲間がいなかった。
この一瞬を分かち合う相手がいなかった。
誰とも、響き合えなかった。

そんなことは思春期の終わりとともに段ボール箱の中にしまい隠して一生忘れて生きるはずだった。
それが、その日、目前に突きつけられた。

世界のヴァージョンごとあの日変わったような気がする。

私にとってのメガネビジョンの音楽って、そういうものだった。
私は音楽を思い出し、揺れ、焦がれ、未だ適切な言葉も知識も持たない自分を悔やみ、呪い、
悲しみ、でも求めた。

間に合うものなら全て取り戻したかった。
そのために出来ることは何なんだろうと呆然としながら、必死に考え、
出した答えはでも大したアイディアではなかったけれど、
私にとっては大きな答え。

感動は口に出し、阿ることなく応援し、些少なりとも正当にお金を遣い、機会を逃さないよう注意する。

これが言うより難しいのはすぐに分かって、のろのろじたばたした。考えればあたりまえだけど私には子どももいて、時間には制約があって、物理的に無理なことも多くて、でもそのなかで遣り繰り家族の都合も貰い夫の後押しあってこそ漸く1本のライヴに足を運べる。万難排しても尚子どもの急病やら原稿の〆切やらに泣かされて諦める。

でもそんないちいちを含めて、いずれ自分の生がまるごと愛おしく感じられる一瞬が来た。
奇跡のようなステージ。晩秋の気配の中に輝く宵の明星を見たあの日を私は一生忘れないと思う。



それから一ヶ月も経たずに底の無い闇に打ち落とされた下北沢の夜のことも、
忘れまい。

思えばこの不安の通奏低音はあの晩から続いていたのだから。
あの穏やかなクリスマス前の渋谷の夜の笑顔も不安を消すことはなかった。なんなら笑顔過ぎた。

そして今晩のステージも終始笑顔とともにある。

私は気づいていたんだと思う。認めるのは嫌だけど。
彼らは、笑顔で終わりにすると決めたんだって。

手紙
笑顔のままで
夏の陽の残像
ミッドナイトトレイン
オスは不自然、メスは不機嫌
マボロシ
君とYOZORAとヤイヤイイェ

演奏はブレなく不測の事態(根本くんのギターの調子が狂う)にも揺れずどっしりとリカバリして集中し、
歌詞も(たぶん)正確にピッチも安定し、
リズム隊もキレつつ確かでもう言うことが無い。

楽しかった。
カッコ良かった。

本編が終わるころにはもう腹なんてちっとも痛んじゃいなかった。

高揚したままアンコールが始まる。

でもその時不意に吐き気が来た。

ものすごく怯えている自分を自覚した。


ほんの数分後にきっとすべてが明らかになる。

希望的観測に基づく可能性も挙げてみた。メイドインジャパンVol.4の告知なだけじゃん?
ないしは上京に伴うメジャーデビューとか?
新譜のお知らせかもよ?


……嘘。
たぶん、そんなんじゃない。
私、知ってる。



その後のことはあんまり良く覚えてない。



アンコールに応え、ステージ上に戻るメンバー。
言いかけた小川くんが告知できず、根本くんが後を引き継ぎ、
活動休止を告げ、
その一瞬で場の空気ががらりと変わり、
凍りつき、暗転。

そして永い永い沈黙の空白。



私はハニワのような顔で固まったまま動けず、
「花鳥風月」と「中学生ロック」が演奏され、
それがまるで献奏みたいで、
何に? バンドの死に。
どう拳を振り上げて乗れと?

何を言えと。



ありがとうとしか、言えないじゃないか。
馬鹿野郎。



終演後、早々に号泣している人が羨ましかった。
肩を抱き合っている人が羨ましかった。

誰ともこのショックを「分かち合えない」。
話し相手が誰もいない。

私は、泣けない。

泣いたら帰れなくなる。
新幹線に乗って来ているんだもん。
新幹線の中で泣き腫らしているなんて陳腐なまねはできない。
私もう大人だもん。


どうしていいかわからないのでまたCD5枚買って、
Tシャツとタオル(2枚目)を買って、
Tシャツにサインして貰って、
なんかくだらないこと、喋って、
タクシーに飛び乗ったらもうぐったりと力が抜けて、
焦った。


たかが25分の新幹線が1時間半以上に感じた。
その後の1週間は1ヶ月ぐらいに感じた。


分かっているのはあの4人で無ければダメなんだということだけだった。


そしてこの期に及んで私はようやく、ようやく「分かち合える」人とコンタクトを取る行動を起こし、
勇気を出してつながり、たぶん無意識に、でも途中から意識的に、喪の作業にいそしんだんだと思う。
人と会い、語り、整理し、また語って意味が分からないといわれながら言葉を捜し、書き留め、職業ライターとしてあるまじき文脈での文章も書き連ね、自己嫌悪の淵に落ち、でも這い上がり、また動き、語り、
ようやくここまで来られた。

まぁでもきっとここから先もまた長いんだろうけどな。



・・・・・・・・・・

度肝抜かれるほど真っ正直な音と歌と気迫で、私はあの晩、本当に驚いて、驚いて、でも嬉しくて、「やっと見つけた」と思って、その音と一緒に見えるだろう景色と未来を思って身体が震えて、でも同時に激しく自分自身を恥じたんだよ、メガネビジョン。

私は自分の描いた夢に対してこんなに真摯な覚悟を示したことがあるだろうかって。
どこまでの努力を自分に課しているのか、なにを目標にしているのか、
そのヴィジョンは本当に明らかなのか。

その前に私のつむぎ出す言葉は「本当の言葉」なのかって。

自問したら答えられなかった。だから変わろうと思った。
変わった新しいわたしが新しい景色の中に立つときいつも傍らにメガネビジョンの音楽があることを確信した。一生聴いていくんだと思った。

言い換えれば、新しい友達をやっと見つけたんだと思った。
本当の友達。


怒りは描けるはずだった景色を奪われたときの空白と伴う、身勝手なものだって分かってる。
でも私は皆がAXに立ち、スーパーアリーナに立ち、武道館に立ち、東京ドームに立ちする姿を確かに見た。見たんだ。
すべて勝手な妄想に過ぎないってことだって分かってる。
見たかった。
でも、見たかった。



見たい。







あぁ、でも、それは、今でも、そうなんだ。
ごめんね。



・・・・・・・・・・

「音楽は楽しいですか?」

・・・・・・・・・・


活動休止を新しい出発などと言祝げない私はせめて、
メガネビジョンのみんながこの先の人生でいつも、
楽しい音楽とともに在ることを。
祈ります。








2009.01.26 18:28pm
少し暈けたような匂いの南風に煽られながら上る道玄坂は息の切れる傾斜で、
暮れ近いとは思えないほどの緩い人出と微かな喧騒に時代を感じながら至るラママのドアを「せーの」と声を出して押した。

・・・

7月以来のラママは好きな部類のハコだとおもう。とりわけじゃまな柱があるあたり一番好きなクアトロに通じるところがある。
あの擂り鉢状のフロアも三十路に優しいから好き。

演奏中に入場した上にナナメからしか見れずよく分からなかったが上手かった、オープニングアクトのなんたらいうバンド(名前ぐらいチェックしろ)はこの後にもステージを控えているとかで、最前で踊るファンごとライヴ後に風とともに去っていたのが印象深かったが。

その後予感があって入り口ドア付近から移動してみれば、案の定次発がメガネビジョン。メンバーぞろぞろ出てきて音あわせに入る。その様子を眺めながら来たるライヴに思いを馳せる。いいステージになりますように。

クリスマスツリーの前、柱の脇、マコッチャンの真正面に座って待つこと数分、いつもの出囃子『落陽』が流れて客電が落ちる。この瞬間っていつもいい。誰がなんといったっていい。

・・・

先月悩んだ末に出かけた下北は、終わった瞬間に記憶を抹消してしまったらしくあんまりよく覚えていないのだった。「この子達大丈夫なんかな」と不安に思いながら帰途に着いたあの日。胸の底がざらざらしたのは微量の怒りのせい。と同時に「無力だ」と自分の不甲斐なさを呪った気持ちもあったけれど、まぁ、そんなもんはアレだ。半分妄想だよな。

・・・

2008年を1~6月の上期と7~12月の下期に分けたなら、下期、突然に私の生活をその音で埋めたのがメガネビジョンだった。記憶にある限りこんな勢いで聴いたのはSPIRAL LIFE以来で、私にもまだそんな音楽への希望と情熱が残っていたのかと自分でもびっくりした。思い出のミイラを諦めながら愛でるのとは違う「今」の音がそこに在った。直球過ぎて苛々して切なくて懐かしかった。

・・・

100%の承認なんておいそれと人は得られない。親が子にそれを与えられるのが理想だけど親もキャパが足りなきゃそこまで手が届かない。むしろ自分に対する承認を泣き顔で求めるのだから始末に終えない。そのうちに人は学習し、きれぎれの承認をつなぎ合わせて100%を目指す。欲がもう少しあればより多くの人からの深い承認を求める。欲の深さはある意味生命力の強さだからそういう姿勢自体に感応して人が集まる。誰かが「世に出る」という行為とは突き詰めれば一言。その「アテンションプリーズ」だ。

・・・

見ますよ。聴きますよ。感じますよ。だってそのために来たのだもの!

・・・

ステージ上の彼らが、終始笑顔で、良かった。

『交差点』『オスは不自然 メスは不機嫌』『手紙』『笑顔のままで』『マボロシ』『花のように』順不同? あれ、こんなもんだっけ。

幸福な時間は駿足で過ぎ去る。
時計どーなってんのよ?
むしろ体内時計が。
しばしぼんやり。
この半年が走馬灯のように駆け巡る。
歌詞あらかた覚えちゃうくらいにまで聴いたなぁ。
あぁライヴ盤買わなきゃ遺憾!

で、我に返る。

で、買った(5枚も)。

・・・

補記。フロアで会ったライヴ顔見知りのSさんの勧めで残って聴いた次発の「町田直隆」が、大変に良かった。ギター一本で逃げ場の無い直球勝負。なんだろうこの歳になると小手先のなんかより直球が来るなぁ。ぐっと来つつ幸福感を与える。感謝の意味も込めてCD購入。いいもの聴きました。いい時間でした。

・・・

「僕」が「歌」というものの存在を忘れたあの世界で、朽ちかけたアコーディオンを手にしてその「音」に驚き、程なく「メロディ」というものの存在を思い出す。その経過を思い浮かべる。私が何故音楽を愛し、執着し、憎み、懇願し、憧れ、感謝し、畏怖し、やはり愛するのか。その理由を考え、考えるのを止め、また考える……それ、その行為自体が幸福の一端であると気づいている。

だから私は今この瞬間にそこで生きている音楽を聴くことを切望する。いまここで鳴っている手風琴の音を刻み込みたいがため。刻んだ音をよすがに生きていくために。

















どうもありがとう。
大切にします。
100%の音と場所と時間。





・・・・・・

宇都宮に向かう電車を待つ駅のホームから、空を見上げると絵に描いたような雲ひとつ無い青空なのだった。

あの青空は予感だったと思う。

あの青空こそ予感だったと思う。


電車に揺られてようやく到着した宇都宮駅改札にはジャズ生演奏の音が響いていて、何かと思って人だかりを覗き込めば、街主催のジャズフェスティバルの簡易ステージが設えられている。

初老ともいえる年代の手だれなプレイヤーによる演奏は素人耳にも巧くて、ちょっと聴き入りたかったのだけど先を急ぐ。だって今日こそは石田屋の焼きそばを喰うのだ私は。

バスに乗り間違って二荒山前まで行ってしまい降りれば、そこでもジャズ。
PARCO前のステージで歌姫。道ばたには餃子の屋台。
まるでお正月のような人出。
音楽と美味しいものの溢れる街が祝祭でなくて何なんだろう。
この街全体を覆う空気もまた予感だった。
それにしても夕暮れ前なのに宇都宮の寒さは半端ないのだ。
上着の首をすぼめて地図を頼りに焼きそば屋を目指す。
あっという間にみつかる。

あったかいおばちゃんの笑顔とあったかい焼きたて焼きそば。
大げさでなく五臓六腑にしみる。

ほかほかした思いで店を出ると、釜川沿いにこじゃれた雑貨屋などがちょこちょこ出来ているのに気づき、ふらふら覗いた小さな店で、寒さに負けて巻きものを一枚買う。店番のわんちゃんが異常にかわいい忘れがたい雑貨屋さんだった。また行こう。いつか。

オリオン通りに戻るとまたもあちこちでステージ。宇都宮東武方面に歩きながら、春来た時入った雑貨屋ムジカリズモを再訪。今度は迷わずすぐ行けた。宇都宮らしからぬといったら失礼だがあまりに垢抜けた隠れ家風の店だ。アンティークの家具の値段が宇都宮価格(都内で買ったら3倍はするだろう的な)なのにまた悶えつつ(持って帰りたい、でも無理)紙ものだけ買って急いで外に出る。もうひと区画行って東武、でももう陽が落ちて風が冷たい。


・・・・・・

開場10分前にHEAVEN'S ROCK Utsunomiya VJ-2に着く。きょろきょろして赤いコートの女の子を見つける。

数日前にミクシメールに届いたメッセージ。メガネビジョンコミュ伝いに、今日メンバーへのサプライズを用意したいという企画同意を乞うメール! もちろん乗らないはずがありませんので企画者さんに声がけして用紙をいただき、開演までの間にこそこそとメッセージを4人分書いた。客電落ちるちょっと前に書き終わったのでギリギリ!

主催のメガネビジョン小川くんによるあいさつ。心なし晴れ晴れとした表情、程なくオープニングアクトの「バーバリアンズ」登場。

宇都宮大学の後輩バンドだというバーバリアンズ。学生とは俄かに思えないこなれた演奏は「やるじゃん」という思いを抱かせる。なるほどね、こういう子たちを呼ぶわけだ、とニヤニヤ。きっと育つはず。このステージがそのきっかけになるはず。

次発の「おとぎ話」はちょっと気になるバンドだったので今日聴けるのが楽しみだった。しかし予想以上の面白さ(笑)。ボーカル、不思議妖怪な見た目を裏切る高度なハイトーンボイス。

ナンバーもフォークロック一辺倒と思いきや突如パンクロック(すげ!)など芸達者でびびる。いわばおとぎ話ならぬ百鬼夜行……。

ボーカル以外のメンバーのヴィジュアルもなんだかすごいし。例えばドラムが義弟そっくりだったんだけどどうしようかと思ったよ。いやどうしようもないんだけど。かといって。いやすごいなぁ。忘れられません。

「おとぎ話」が終わると俄かにフロアがざわめきだす。前後で人の入れ替え的な流れが生じる。次は、そう、「キャプテンストライダム」。とうとう来た!

実は『流星オールナイト』1曲しか知らない私だけど、ステージが始まってすぐにぐわっと持って行かれた。すげー。そもそも1曲目からしてインストという強気さ。しかも3ピースバンドなのになんなんだこの音の厚みは。どうやって弾いてるのアレ?

巧い。巧すぎる。全部がキッチリ巧い。その上でソウルフル。エモーショナル。プロだ。
これがプロなのか。
まるで場違いなほどの完成度。

でも演奏には愛があるんだよな。ボーカル永友氏がフロアを煽動しながら連呼させる「メガネ!メガネ!」という叫びには愛以外の何物も無かった。そういうのって分かるでしょ。
ぐっときた。
瞬間のような速さで6曲が終わる。


また客電上がって人口移動。わたしも前列方面に移動する。
あぁ。予感は当たるのか、どうか?! ここでやっと企画者さんを発見してメッセージ4枚を渡す。これが何かになるらしいのである。何かって何だ? わかんないけど、たぶんすごくイイモノのはず。


・・・・・・

メガネビジョンのメンバーは客席フロアからじかにやってきた。沸き立つフロア。そこでおもむろに客交じりに組まれるいつもの円陣。客ごとしゅっと収斂するのが分かった。

きっといいステージになる。これは予感じゃなくて、確信。

1曲目から「ペース配分考えないで」飛ばす『中学生ロック』。
つんのめりそうな勢いで助走するヴィジョン。行け!
あぁ青春というのはこんなにも真っ正直に馬鹿なのだ。くー。
来るなー。

畳み込む『交差点』、曲名わかんないけどモノ凄いアレンジでのけぞった2曲。
加速するテンションと場のエネルギー。
なんだろう。振り切ってるんだよ。溜めがひとつもない。体力温存とかそういう発想?
まるでない!

そうまるで後が無いような切迫感が、悲壮でなくまっすぐ胸を打つ。
彼らが出す。それをがっぷり四つで受け止める。
そんな感じで曲が進んでいく。

『マボロシ』で泣けないはずが無い。闇の淵を見ながらそれでも生きることを選んでいるなら誰も。

号泣を踏みとどまるようなギリギリのテンションでヴォーカルが搾り出され、
ギターが代わりに泣きながら打ち震え、
ベースが思いをうねらせ、
タイコが割鐘のように打つ鼓動になって、

100%だった。
掛け値なしに。

『花のように』で吐露される弱さはソングライティングとヴォーカルを担う小川君のそれに違いないのだろうけれど、それはバンドメンバー全員のそれでもあるのだろう。

或いは言えないだけで聴いている誰もの心の中にある弱さなんだろう。

その弱さの吐露に強さを見る。
弱いがゆえの正直さに打たれる。

それが本当の言葉じゃなかったらこんな気持ちにはならないし、
こんなに確かに届きはしないはずだ。

確かに届いた。届いた。届いた。

そう念じながらアンコールの拍手を打つ。

ほどなく出てきたメンバーに若い女の子が声をかけて、アルバムを手渡した。

例の極秘プロジェクトだ! 怪訝そうに受け取りつつ中を確かめる小川君がみるみる崩れていくのが分かった。

泣かせてしてやったり?!

アンコール『夏の陽の残像』、半分以上歌が聞こえなかった。
きっと、声が出なかったに違いない。

だって、私まで泣けて泣けて仕方が無かったんだ。
参ったね。





もう降参です。





















ところで、こうしてこの感動を言語化する作業というのもどうも陳腐なもので、ファン外の傍目にどう映るかとか考えると顔から火!だったりはするのだけれど、それでも書き残しておかなくちゃいけないライヴというのは厳然としてある。

そのライヴのあったその日の空気ごと。すべてまるごと。
さもないと忘れてしまうのだ。私は忘れてしまう。記憶は薄らいで、輪郭はぼやけて、イメージだけが残って、それすらも、いつか。

普通のライヴならそれでもいい。
でも今日のあの時間を私は忘れたくない。
だから書かなくちゃ。

私としてはほぼ12年ぶりにそんな衝動を手に入れた。
それは喜び以外の何物でもない。
生きている喜び。
音楽が共に在ることの。



ちんぷだろうがなんだろうがこれが私の真実の言葉、本当の言葉なのだから。





メガネビジョン企画「メイドインジャパン vol.02」
■11月1日(土) HEAVEN'S ROCK Utsunomiya VJ-2
出演者 メガネビジョン, キャプテンストライダム, おとぎ話, バーバリアンズ
開場/開演 17:30/18:00
料金 前売り¥2,300- 当日¥2,500- (税込/ドリンク代別)
チケット発売 8/23~
問合せ ローソン (Lコード:74903)
VJ-2店頭






set list;

1.中学生ロック
2.交差点
3.雨上がり
4.手紙
5.君とYOZORAとヤイヤイイエ
6.ミッドナイトトレイン
7.新曲(オスメス)
8.マボロシ
9.笑顔のままで
10. 花のように

a.c.
11. 夏の陽の残像



2008,11,02 2:26am

体力回復のための仕事日。

義実家に行っている長女を引き取りがてら昼前夫が次女を連れて出た。

私は妻嫁業をおさぼりちゃんで家におり、
しかしマシンの前でずーっと硬直しておりました。

書けん。

なんもかけん。

ヤバス。



いちおう「安静」なんです。
でも15時ちょい前、家を出ることにしました。
寒いくらいだからちゃんとジーパンをはきましてですね、
CUNEの「コロス」と書いてあるラヴリーなTシャツの上に、
真っ赤なカーディガンもちゃんとはおってです。
長靴もはきましたのよ。

そうして、折角なのでオンライン注文した名刺の振込みも済ませ、
一路向かったのは埼玉県立近代美術館。


chiaki’s ”CHEEKY”  annex-秋雨彷徨


先月からやってた企画展「丸木スマ展-樹・花・生きものを謳う-」
http://www.momas.jp/3.htm
ずっと観たかったんだけどなかなか行けなくてさ。
先月この企画展と抱き合わせであったかわしまよう子さんのワークショップも、
行きたかったんだけどちょうど本の執筆が佳境で、
それも行けなくて。

会期、31日までだからまぁまだ日はあるんだけど、
このままじゃ行けなくなるなと思った。
そういうもんだ。

雨のそぼふる中。美術館に行くには、いい天気だ。
しとしと。
私はFamsの会員なので、企画展も無料でスルー。
思ったより混んでいたけど、子どももいないしで、
ゆったり端から、スマおばあちゃんの絵を観て行く事ができた。
懐かしい絵。
何年ぶりだろう。

・・・・・・

私と「スマおばあちゃん」との出会いは、
今から24年前にも遡る。
学級文庫にあったあの本だ。
『流流の家のお客さん』
担任の先生の私物で、
図書館にも置いてなかったような本だった。
(その後『原爆の図ものがたり』という書名に改訂されて、
こちらは知っている人も多いかもしれない。
でも私は流流の家、という言葉が好きだ)

丸木位里さんと丸木俊さんという画家のご夫婦が描いた、
『原爆の図』という絵、そして『ひろしまのピカ』という絵本を、
まったく知らないという人はあまりいないだろう。

スマおばあちゃんは、この位里さんのお母さんで、
広島で被爆している。
70歳過ぎてから絵筆をとり、
突然に才能を開花させて、
「誰この外人?!」とか言われつつ院展入選を重ねてしまった。
絵を習ったこともなければ、
字さえ、書けなかった。
そういう人である。

彼女の絵世界は、でも、
展示の最初からガツーンとパワフルで、
一気に惹き込まれる。

デッサンもへったくれもない。
遠近法もくそもない。

ただただ、楽しいのだ。
楽しさが半世紀を経て伝わってくる。
うまく描いてやろう、
ほめて貰おう、
感心させてやろう、
とかいう衒いも何もない、ただただ描くことが楽しい。

すごいなぁ、と思う。
人間って、
原爆に被爆して、親戚も夫もなくして、
70歳も過ぎてて、
そこから花開くことができるんだ。

スマおばあちゃんは苦労の人で、
でも絵を描き出す直前には、子どもたちの世話になって、
いきなり暇になってしまう。
働き者の人が暇になるということは、
生きている証がなくなってしまうようなものだ。

そうして「もうなんだか生きていたって」と後ろ向きだったのが、
絵を描き出して勢いに乗り、
「死にたくない」と言い出す。
そーだよね。
そーゆーもんだよね。

ずんずんと描き続け700点余。
なかでも『母猫』っていう絵の、猫の目に、
ぐっと来てしまった。

なんなんだろうこの感情。

山。魚。大根。鳥。
いっぱいいっぱいの鳥。
夕焼け。

最後のほうは、
泣きそうで、困った。

年譜を読んで、
凍り付いている人が多数。
そりゃそうだ。
スマおばあちゃんは、なぜか、
80歳も過ぎて、
顔見知りの青年に「殺害されて」この世を去った。
混乱するよね。
どうしてこのおばあちゃんが、
殺されなくちゃいけないの?!

……という、衝撃からか、
この20余年の間に私は自分の記憶から、
この事実を消し去っていたことに年譜の前で気づいて、
びっくりした。
今の今まで忘れていたこと、
でも「そのこと」は小学生のうちに、
知っていたこと(本に書いてあったんだな)。
忘れられるものなんだなっていうことに、
驚いた。

その死をひとは事故と書き表す。
きっとそうなんだろう。

スマおばあちゃんの残した絵はこうやって半世紀たって、
なおひとの目を楽しませ、いきいきウキウキという気持ちに導いて、
微笑ませる。

すごい仕事をしたものだねえ、スマおばあちゃん。

・・・・・・

私としては、めずらしく、
図録を購入した。

・・・・・・

惜しむらくは。

丸木夫妻を、
存命中に、訪ねなかったこと。

小学生の私は「そんなの無理」ってすぐにあきらめたけど、
大学生の私なら難なく東松山の丸木美術館になぞ、
行けたはずなのに。

夫妻がなくなって、
もう10年以上になる。

・・・・・・

大好きな何かに対して、
どうして衒いなく「好き」と言えないものか。
恥ずかしいからかな。
なめられちゃいかん、みたいな意地が出るのか。
なんだその意地って。
どうして斜に構えてしまいがちなのか。
手放しで賛美せず、
むげに評論家づらしてみたくなって、
何に、どうして、上から目線?みたいな。

そういう滑稽な態度をとりがちです。

・・・・・・

滑稽だ!!!

・・・・・・

最後にスマおばあちゃん語録より。

…(中略)…春、アンリ・マチス展へ連れて行かれ、「わしの絵によう似とるのう」と感想をもらす。


…(中略)…この頃、ピカソ作品展を見て、
「この男は、すこーし気が変じゃあないかのう」と感想をもらす。




・・・・・・

なるほどね、スマおばあちゃん。

思ったことを、すなおに口に出す。

今日の収穫だ!









仕事もがんばるよ。