20090418 メガネビジョン企画「メイドインジャパン vol.04」 | chiaki's "CHEEKY" annex

chiaki's "CHEEKY" annex

1999年開設のオマージュサイト“CHEEKY”http://home.att.ne.jp/wind/cheeky/ の別館ブログ。メガネビジョン、石田ショーキチのライヴレポの他駄文掲載。

いま電車は古河を過ぎた。日は落ちきってない。18:13。
新宿を17:09に出た湘南新宿ライン快速は当初ばかみたいに混んでいて、大宮まで座れなかった。ゴールデンウィークの名残がまだ乗車客の空気に混じっている。列車は黄昏時を北に向かって疾走する。今日は5月9日。土曜日。

「あの日」からたった3週間後の今日、こんな風にまた宇都宮に向かうことになるなんて想像もしていなかった。3週間もの間「あの日」の記録を書かずにいるとも想像していなかった。私は私の中のメガネビジョンを終わらせることはおろか休ませることさえできなかった。結局「あの日」を経て分かったことはそれだけ、ただそれだけだった。

18:20。小山到着。栃木に入った感。湘南新宿の最前車両の乗客の多くが立ち上がり降りようとしている。車内は一気に閑散とする。ドアが閉まる。

今日気温は最高28度を示し、真夏の空気の匂いを嗅いだ。あの4月18日はどんな日だったろう、確かに今日のように晴れていて、でもまだ空気は春先のそれで、でも宇都宮の桜はもう散り過ぎて、田川を大きな鯉幟が渡ってなびいていた。

あの日宇都宮に行くのは最後まで気鬱で、午前遅くまで私は自宅の寝室でうつ伏せて呻いていた。14時半ごろ友人と待ち合わせて湘南新宿に乗った。その道中ライヴのことを考えるたびに腹がしくしく痛み、ばかみたいに大きなため息をついていたことを本当に、ほんとうに昨日のことのように思い出す。

・・・

そうして昨日は「昨日のこと」になる(現在2009年5月10日の日曜日、17:01)。

今書いている文章、これから書く言葉たちがいったい何のために吐かれるものなのか、綴られることに意味があるのか正直いってこう書いている私自身にも分からない。ぜんぜん分からない。

「でも私は書き文字でも言葉を信じてる。」

言葉は無力だとかいう言質が世の中にはあるけど、そんなの言葉遣いの下手なやつが苦し紛れに流布したデマだ。個人的な仮想敵はいつもそういうデマだから私は断固として戦う。

そうこれから私が書こうとしていることは全部個人的な話だ。ていうか私が書く文章なんて全部個人的な話だ。だから個人的な話が嫌いな方はここでお引き取りください。そして非個人的な話をどこかでお楽しみください。ファックユー!

・・・

だから時系列も滅茶苦茶!

・・・

私が唯一布教に成功した友人ながらこの日初めてメガネビジョンのステージを見ることになる連れのAちゃんを、本当に今日、ヘブンズロックに連れて行って大丈夫なものなのか。「あの日」私の心を占めていた憂いはその事に尽きた。

でもメガネビジョンの音楽を楽しんで聴きライヴにいける日を楽しみにして、活動休止の報には私と一緒に泣きさえした6歳の娘を連れてくるのも、私より先にメガネビジョンの音楽を気に入った夫を連れてくるのも最後の最後に日和って止めた私は一人で宇都宮に乗り込む覚悟すらも無かったのだ。

見届けられるんだろうか。
正気で見届けられるんだろうか。
Aちゃんが幻滅したらどうしよう。
私はそれに耐えられるんだろうか? 

というよりもむしろ、私がなぜこんなにまでも苦しむんだろう? 意味わかんない。理解できない。ぜんぜんわかんない。

たかがお気に入りのインディーズバンドが活動休止するという話なだけ、そのラストライヴに足を運ぶというだけ、ただワーイって聴いて騒げばいいだけ? たかがそれだけの話。

それなのに。

・・・

後が無い。
「これが最後なんて事ありませんように」と願いながら覚悟している。
矛盾。

結局私は彼らを信じ切れなかった。
信用し切れなかったから、身近な音楽馬鹿の評価が厳しく彼らの上に下されるのを避けた。

一生「あのグダグダなライヴに連れて行かれた話」をされるカモシレナイという恐れに負けた。

負けて一縷の望みに縋った。「これが最後でさえなければリベンジの機会はある」と自分に言い訳をした。

その愚かさを後に私は大いに悔やむことになる。

・・・

思うに1月11日から4月18日までの間。

なんだったんだろうあれは。

と、何度も何度も私が立ち戻り反芻したのはあのさいたま新都心でのライヴのことだった。



あの日私はあの場で完全に気圧されたのだった。



ライヴが終わった後、メンバーに言いに行ったせりふを微かに覚えている。「凄くうまくなったね」と言った。「凄い進化したね」とも言った。3ヶ月前の宇都宮のライヴの印象と全く次元の違うそれは衝撃だったから。それにしてもそのせりふの陳腐さには自分でも笑ってしまうけれど。

バンドってこういう風に変わるんだ、というのはそれまでの私の人生に無い驚きと発見だった。甲虫が脱皮するように、変態して別のかたちの生き物になったかのように、集中した演奏は切っ先を研ぎ澄ました刃物のようで、真夏の雷光のようで、私はライヴハウスの床に頭頂から土踏まずまで射抜かれて完全に竦んだのだった。

見ていかなくちゃ、一生見ていかなくちゃ、って思った。
思ったんだよ。


メガネビジョン。

・・・

4月18日に戻ろう。

JR宇都宮駅に降り立ったのは16時ごろだったと思う。西に傾いて蜜色に染まった宮の橋を渡り、少し大通りを歩いた後私たちは田川のほとりを少し歩いたんだ。そう、鯉幟がはためいていて、あぁゴールデンウィークももうすぐだね、なんて話して。この川の感じ京都の鴨川に似てない?なんて駄弁って。

そのまま大通りに出ないままオリオン通りを目指した。途中通り過ぎた病院はあの渋谷系の歌姫の実家なんだよねとか、オリオン通りのレコード屋のメンバー募集掲示板があのホコ天バンドの発祥なんだよなんてトリビアルな(みんな知ってるけど)話を得々としながら。

でもメガネビジョンの話はできなくて。

宇都宮出身のAちゃんの青春時代があるユニオン通りに連れて行ってもらったころには17:30を回ってた。会場に行きたくなかったからそこで十数分を過ごしたんだ。いやんお洒落くない?ここほんとに宇都宮?とかなんとか言いながら通りを行って戻ると17:45。観念してヘブンズロックのロッカーに向かい荷物を黙って詰めるのだった。

ああ、階段を下りたくなかった。
おなかが下りそうだった。(尾篭でごめん)

・・・

『マボロシ』の歌詞。

 いつでも僕らは
 本当の言葉を
 本当の心を
 この胸に抱いて歩いていく



新都心でライヴの後、漸く手に入れたこのセカンドミニアルバムの表題曲。サインしてもらったCDの歌詞カードをけやき広場のロッテリアで舐めるように読んだんだよね。で、かなりグッサリと来たんだ。

本当の言葉って何


言葉を上滑らせるのは得意だ。というか癖だ。そうやってのらりくらりと逃げていく。うなぎのように。

だから誰の心にも引っかからない。
こんな私が本なんか書いたところで誰の心にも響かないに決まってる。
あぁ、
感動と嫉妬は紙一重だったね。
そうだったよね。

ロッテリアで絶品バーガーを咥えて泣いた33歳女がいたことをここで暴露しよう。もう時効。

あれ以来、絶品バーガー、食ってない。

・・・

あの日私はAちゃんにチケット1枚手渡し、自分でも1枚使って入場したけど、実はまだ手元に半券切ってないチケットが4枚ある。

つまり6枚買ったんだ。ローソンチケットの通し番号、2から6、あと20番台を1枚。10,000円のライヴ。なかなかないでしょう。

その価値は「あった」。それは後から言う。断言する。
でもあの階段を下りているときの私はそんな気持ちになれず膝が笑ってた。なしてそこまで。

フロアにはまだ余裕があった。いつもいる壁際にはもっと弱っている人たちがたむろしていたから、私とAちゃんは入り口近くでぼんやりしてたんだ。SEはやっぱりはっぴぃえんどだった。今畜生。

4月18日土曜日の18時が回った。SEは鳴り止まない。入り口ドアも閉まらない。閉まらない。鳴り止まない。閉まらない。

動悸がして、両手にびっしょりと脂汗が滲み出て、
死ぬかと思ってた。

もう自分で自分を笑えなかった。

・・・

祈る気持ちで誰もいない薄明かりのステージを見てた。

・・・

ここで時間をぶっ飛ばす。5月8日、金曜、夕方。

雨雲の逆方向に夕焼けが冴えて、川崎当りを根っこにした馬鹿でかい虹が東京近郊の空をまたいでいたらしいのだけど、ちょうどその時間京浜東北で田端あたりを通過していた私はその虹を見ていない。有楽町で乗り換えたらもう雨が降っていて、新木場は土砂降りだった。

この晩ほとんど10年ぶりに夫と二人でライヴに行った。スタジオコーストでマキシマムザホルモン。ここんとこ毎月ホルモンを観ている夫は嬉しそうに最前列方面に行ってしまったけど私は久々にライヴで命の危険を感じていた!(あの走りながら殴りあうモッシュは本当に恐ろしい!)

包丁ハサミカッターナイフドスキリを後方で踊り狂った後私は2階席に上って殴り合いを高みの見物しながらナヲちゃんの煽りMCに心底痺れていた。「お前ら!!!!!! この音楽馬鹿野郎ども!!!!!!」と名指され罵倒された数千人の音楽馬鹿野郎がうねりながら狂喜していた。音楽馬鹿野郎ども…音楽馬鹿野郎ども…耳の奥にこだまする…そう、私は音楽馬鹿野郎。胸に刻んで、二階席の柵に抱きつき私も快哉の雄叫びを上げたのだった!!!(雌ですけどね)

・・・

18:15をようやく回る頃だったと思う。

ヘブンズロック宇都宮のドアが閉まった。

そして程なく客電が落ちた。

『落陽』がかかった。

悲鳴が漏れた。

・・・

そういえば私が生まれて初めて行ったライヴハウスはどこだっけ? 記憶をたどる。
たぶん日清パワーステーションだと思い至る。それは1991年か1992年のこと。
FAIRCHIRDだった。あの頃YOUも若かったけどMEも若かったのよ。
だって16歳くらいだったもん。

まぁ、そんな時代もあったっけ。
……。


あそこは日清製粉本社ビルの地下で。
地下とはいえお洒落でゴージャスで明るい。いつか大人になったら地下1階のほうの「ご飯食べながらライヴ鑑賞できる席」に行ってみたいと本気で思ってた。

大人になってみればあんな席に座って見たって屁のつっぱりにもならんわなと思うけど。
……。
まぁ、そんな時代もあったんです。
昔話です。



その後行くようになる地下のライヴハウスはどこも穴倉のように湿ってタバコの臭いが滲みてて。
その薄小汚い床に座って、ジントニックを飲みながら私は暗がりで目を凝らして周りの人々をずっと観察してた。

鬱屈した現実を折り合う穴倉に満ちたあの祝祭の香り。
アルコールとタバコと鼓膜を狂わす轟音の名残。
あの胸を焦がすような時間。

ああ、涙が出るくらい好き。
私はライヴハウスが好きなんだ。

それはあのパワステに始まるごく個人的な歴史なわけなのですよ。

・・・

その18年後に私は、メガネビジョンの出囃子の『落陽』がなかなか終わらないのとメンバーがステージに現れない、ほんの数分に焦れて息が詰まりそうになっていた。

限界だ。






その時。





そうして。





彼らが、ひとりずつ、現れた。
ひとりずつ、
ポジションに立ち、1,2,3,4……。
4人、ちゃんと出てきた。円陣を組み、
背中を叩き合って、

……。



嬌声とも悲鳴ともつかない声が鳩尾の辺りから漏れる。
Aちゃんの手をとり私は強引にフロア2列目の真ん中に身を滑らせた。
ここで、
ここでなければ。
私の場所。



そうして3ヶ月と1週間ぶりのメガネビジョンの生音がフロアを満たした。
あの瞬間に私は身体全体を記憶装置にしてこのステージの一分一秒を刻み込むって決めたんだ。



・・・



なんだか時間と空間が入り組んでしまったようで記憶が混濁する。
(現在2009年5月10日、20:45)


この馬鹿長い長文の冒頭の話を繋げてみよう。
そう、もう既に「メガネビジョン」というバンドは活動休止してしまったし、それは無期限であるからして戻りようがない。

でも昨日のちょうど今頃? 私は彼らの「4分の3」の生音に触れてまた射抜かれ棒立ちになっていた。
それは彼らが活動休止してすぐに心に決めた思いに思いがけず応えてくれた彼らによる福音だった。
さきに書くことじゃなかったかもしれない。
でも書きたかったのだから仕方ない。



・・・









刻み込まれた音。


『中学生ロック』

えびちゃんが絶叫するカウント。

ワン・・・ツー・・・スーーバーーラーーシーーー
初めて気づいたときにはキョトンとしてしまったことを思い出す。
初めてメガネビジョンのライヴに来た時、
ピンクのTシャツつきチケットを受け取ったとき、
小川くんがすっと手を出してくれて、握手。
でもビックリして「は?」って、
そのときにもキョトンとしてしまったことを思い出す。

この曲のタイトルにも歌詞にも度肝を抜かれた。
でもそれすら最近のこと。私は長くこの曲の良さに気づけなかった、
「は?」って、そんな風に。

わたしは、ばかでした。

知ってる。でもそれは、もう一度向き合うのがずっと怖かっただけだって、知ってる。

「あの頃僕は教室の隅っこで 冷めた振りして君を見ていた」

そう、私も教室の隅っこでずっとそういう風にしてた。
ずっとずっとそういう風にしていた。

おんなじだったんだよ。
忘れていたかったけれど。
痛かったから。
でも、憶えてた。


1月11日のライヴでは、あの重い沈黙のあとのアンコールで演奏されたこの曲を、この日は11月1日のライヴのように一曲目に持ってきたことが、ただ嬉しかった。


『手紙』

「あなたの声が」

そう一番最初に刻み込まれたメガネビジョンの音がこの『手紙』の、「あなたの声が」。
この一瞬の空白にしてやられた。

「あの“あなたの声が!”っていう、あの曲だけ聴きたい」と、メガネビジョンにあまり興味が無かった初期の頃すら私、思ってた。
楔のように小川くんの唸り声が刺さり、その後一呼吸先のドラムとベースとギターに撃ち抜かれる。
それはヤバイくらいに、気持ち良かったんだ。

抜けのいいタイコ、スネアの音が天井に跳び、ベースが腹腔の底から感情を沸きあがらせて、ギターは肋骨の辺りをビリビリ震わせて嘶く。

 あなたの声が僕の名前を呼ぶ声が
 あなたの声が聞こえた気がして振り向いた
 あなたの声が人ごみに消えるその声が
 僕はその声に心を打たれて歌うのさ

誰の声を探しているんだろう。思い出せない。
でも探している。その声を覚えている「気がする」。
でも思い出せない。

この歌を聞いているといつも自分の顔がくしゃくしゃになっているような気がする。
誰かに対して無意識に(ウソ、意識的に)してきた残酷な仕打ちを懺悔したくなる「気がする」。
苦しい。


 僕は今でもあの頃のまま この町の片隅で生きている
 今年もあの花が咲いてました
 あなたに手紙を書きました

それが穏やかな気持ちを綴った手紙じゃないのは分かるよ、だっていつもあなた半泣きだもの。
泣いているのがばれないように怒鳴るのでしょう。
仕方ないね。
それでも書かずにいられないのだものね。


『風』

立て続け旋風のように駆け抜ける初期のハイペースなナンバー。
『風』はゴメン、iTunesでもあんまり再生しない曲なんだ。
でもライヴで聴くのはいつも好きだったよ。

 あの花が咲くころまでに
 伝えることかあるのです
 歌いたいことがあるから
 僕はここにいる


外交的か内向的かって言ったら満場一致で内向的な少年の独り言みたいな歌詞だと思う。
びびりでヘタレでしょうもない。私の息子がこういう男の子だったらとりあえず心配だ。
でも彼に吹く“風”は不思議といつも追い風なのに母親なら気づく。早いうちに。
それでも息子は必死に向かい風に立ち向かっている様子なのを、微笑ましく見ているように。


私は微笑みながら、いた。

・・・

ここで漸くMCが入る。
そしてこのあたりから漸く鬼気迫る感じがメンバーから解けていく。

この3曲は正直言ってちょっと怖かった。怖いくらいに研ぎ澄まされていて、研ぎ澄まされているほどに虚ろで血の気が引いていたような気がするんだ。演奏しているほうも必死で、聴いているほうも必死で。

ね、そういう空気だったよね。

・・・

『ミッドナイトトレイン』

チョクナリ君のベースソロ、音がトグロを巻いていてカッコ良過ぎる、悶えてしまう。
「えびチョク」リズム隊のこの日の集中振りというか壊れっぷりというか一糸乱れぬ息の合いようが最後まで貫かれていて、壮絶だった。

メガネビジョンはやたら青臭くて泥臭いナンバーが多いのに、時折こういう俺様系ロックンロールスターキラキラナンバーがあって面白い。これも慣れないうちは「…は?」って言う感じで聴いていたのにもうウッカリのりのりですよ。どこまでも飛んでいける気がします。どこまでもったらどこまでもだ!!!


『オスは不自然 メスは不機嫌』

 オスは不自然 メスは不機嫌 見破られてるようじゃ問題外
 
この煽情的かつ挑発的なナンバーの世界にメガネビジョンというバンドが雪崩れ込む前に活動休止というのがどうしても悔しい。悔しいというか…大人の階段上ったところをガツンと見せて欲しかった。少年の時間を終わりにしてでも。力ずくででも。

演奏はもう充分カオティックでエロティックだった。そしてライヴ盤に収められている歌詞がグダグダなのがこの日の歌を聴いていればよく分かる。ちゃんと歌っていたから。

グルーヴは丹田(分かる?)に澱み溜まり放出の機会を待つ。いーじゃん、出しちゃえよ、ホラ。

そうして小川くんはギターを下ろす。マイクスタンドに手をかける。


『チョットまってよ』

これ、ライヴで聴いたことあったろうか、初期の頃あったかな? もしかしたら初めてかもしれない。頭の中で「マーイシャローナ♪」と被さりながらもこの曲はこの曲でキッチリ屹立してる。

Eキャンジってなに? 「あの感じ」ちゃんと感じさせてくれてありがと。

 ビームが目から出ちゃった
 
振りがつく。瞑って見開いたまん丸い目。笑っちゃう。


『新曲』

ハンドマイクで新曲。リズム隊とギターがここでも収斂している。たぶんそんなに「合わせて」ないんだろう。透けて見える。

それでもグルーヴのいちいちが腹に刺さるようで、ぐっとくる。今でもこの曲のサビが頭の中をグルグル廻っている。私身体の中に刻んだから。

曲終盤、果てしなく根本君のギターソロ。続き、チョクナリ、小川、海老原3人がステージ下手で肩を組んでニヤニヤしている。その様子をチラッと見ながらニヤリとして弓のように身を撓りながら弾き続ける根本君。あぁ、いつまででも聴いていたかった。止まって欲しかった。時間。

時間、止まって欲しかった。



『笑顔のままで』

丁寧に、丁寧にベースが綺麗なメロディーを奏でる。チョクナリ君が大事そうにベースを抱えている姿は今でも嘘みたいに鮮やかに見える。「???」そのソロが終わってからカウント。これが『笑顔のままで』に繋がった。初めて聴いた。それが最後? なんて無いよね。

無いと言って欲しい……。


『ハル』

どうしてショーキチ師匠が録った音源にこの曲が入っていないのか未だに解せない。
それくらい凄い曲。
オーディオリーフで試聴(というかフルでデモ音源が聴ける)して吃驚したもの。
ライヴでは何回か聴いたことがある。絶対、この日もやると思ってた。

曲に入る前に小川くんのMC。寂しい曲だけど、前向きな気持ちを歌ったもの。
そうなの? そうなのかもしれない。でも切ない。苦しいほどに、せつないんだ。

 行き場がなくて
 泣く夢を見て
 退屈なままで
 生きていた


あー、これは大学に全部落っこちたときの私だ、と呆けたように思ってた。人生初で最大の挫折。初とか言ってる時点でいかに自分が甘ちゃん育ちか分かるって言うもんだ。

被さって、重なる。

あの「春」にリアル私が聴いていたのはZABADAKの『桜』ってアルバムだったものだけど(どうでもいい情報)、「私どうしてこんなトコ来ちゃったんだろう?」っていうあの情けない気持ちのBGMとして未だに心穏やかに聴けない。もうあれから倍近く生きているのに。馬鹿みたいだけど。

蘇って芽吹く。

 どうして僕らは
 すれ違うのでしょう
 前に進むために
 生きている

 別れを歌い
 誰かに出会い
 今が始まる
 繰り返す

ああ、繰り返すね。嫌になるほど。でもそれが生きているって言うこと。
わかってるんだ。


『夏の陽の残像』

ごく珍しいメジャーコードのナンバー。元気があって明るいのに完全に夕焼け系。
そして歌詞があまりにも神なのに初めて聴いたときから震えたもんだ。私は物書きが本業だから、嫉妬した。
本気で嫉妬したんだ。

 ごめんねと 僕に言った うそっぽい笑顔
 
全敗という感じで。

終盤のコーラス、CDでは石田ショーキチ師匠が縦横無尽という勢いで重ねている。ライヴではチョクナリ君がとてもいい声で歌う。

このハモりにいつもゾクゾクしてしまうから、ここでも時間よとまれと呪いながらもう毛穴から音を吸い込むように聴いていたんだった。


『花のように』

いつだったか、初めて聴いたとき。

 夕暮れ街を歩いたら
 北風が冷たすぎて
 あなたを思いました
 カレーの香りがしました
 僕は急に切なくなって
 急いで帰りました

「カレー」の発語の瞬間に「ズルい!!!!!」と目を見開いてしまった。
この瞬間に「完敗」とおもった。何に負けたのか定かじゃないけど。

スローな曲は正直得意ではないのです。飽きちゃう。でもこの曲だけは初っ端から飽きず引き込まれた。
ライヴ盤を耳で歌詞起こしてもコンプできない。どうしてマイスペのベリテン音源を下げちゃったんだ!!! また上げて欲しい。死ぬ気で聞き取るからさ。

 あなたに届きますか
 あなたに届きますか
 今なら僕の声が
 あなたに届きますか

届いてるから。
届いてるから……。


・・・

残り時間が少ないのを私たちは体感してた。

・・・

『さよならサタデーナイト』

雷鳴のようなえびちゃんの重い重いタイコのソロから入る。
このアレンジを最初に聴いたときには一体何の曲が始まるのか私には全然わかんなかったのを思い出す。

 ぼーくーはーわーすれない

節のある木管が響くようなヴォーカル。胸に迫る。
汽車は東に向かうのか西に向かうのか。はたまた北か南か。
走り出してしまったんだね。

MCで、サタデーを演奏したい日がサタデーナイトでないと困ったし、サタデーなのに演奏したくない気分(主に小川くんが)という事情があってなかなか土曜の夜に演奏できなかったという話。

苦笑に紛れる。
とすれば、「今夜はサタデーナイトだね」というMCから聴けた、去年の夏のラママは非常に稀有な体験だったのだ。あれには痺れた!

終盤のコーラス、被せ合うような。いい色気が出ていたよね。
あぁ名残惜しいよ。惜しい。

時間はもう僅か。


『ダンスダンス』

この不思議なダンスビートもメガネビジョンらしいというか、らしからぬというか、異国風の織物みたいな、でもメイドインジャパンだぜみたいな。

夜通し馬鹿みたいに踊り続けたい。奇妙なフレーズが好き勝手に織り込まれていく。笑ってしまう。
「終わるな」「止まるな」願い、呪う。
応えるようにリフレイン「続いてくよ…続いてくよ」。続いてくれよ。毒づく。


『多感期センチメンタル』

ぐしゃぐしゃしたイントロが整然と並んでヴォーカルが統べる。しかしなんつってもタイトルが秀逸だ。この曲に傾倒した不肖34歳女は20年すっ飛ばし、恥知らずにも「中二」を標榜しだす始末。痛いね!

 まだ17歳の君は思い出の中
 
その倍も生きてしまったけど確かに私の思い出の中にも「17歳の君」はまだいるよ。
健在。


『花鳥風月』

そしてとうとうこの曲に辿り着いてしまう。
私たちは終わりを予感する。

苦しい。



1月11日には告知の直後に演奏された。それをバンドの死に手向ける献奏と捉えたのは私の感傷だった。
ファンじゃない頃には耐えられないくらい冗長だと思って、ipodでも迷わずスキップさせていた。
この曲の凄みに気づいたのもこれまた最近で泣ける。

 今も笑ってますか あの頃のように
 この町のどこか 夕暮れに染まるこの街角で

本当かどうかは俄かにわからない、バンド活動休止の理由に小川くんはこの曲を挙げていた。
私は勝手に半分本当で半分は後付の言い訳だろうと踏んでいる。
聞こえが良すぎるから。

ヴォーカルとギターがクロスして世界が反転し、天蓋に映った夕焼けが視界を覆い尽くす。
『鉄コン筋クリート』みたいな情景が見える。


『マボロシ』

NHK-FMで何ヶ月もパワープレイされたのに、あの頃一度もエアチェックしてなかった。
この曲を初めて電波に乗せて聴いた人はどう感じたんだろう。想像できない。想像つかない。
それがまた悔しい。


あの物凄いPVを考え出した人は凄いな。あれ撮って1年も経ってないのでしょう。なのにどうして止まる? また詮無い問いが胸に充満してくるからそれを丹念に片付けながらこの繊細なメロディに身を委ねた。

去年の夏ごろの一番に詰まっていた季節を助けてくれたこの曲への感謝と嫉妬を。
ありがとう。

・・・

そうして最後の曲だと言われて始まったのが宇都宮ソング。
そう、

・・・

『君とYOZORAとヤイヤイイェ』

これも初めて聴いたときには度肝抜かれたよね。「はぁ?」の再来。
うつのみや~って歌ってるよおい、目まんまる。
それにしては皆嬉しそうじゃないか。
10年も前に捨ててきた街なのに。私は見限って出てきたのに。こんなに愛されてて、「うらやましい!」。

その感情にもまた驚いた。


 太陽が沈んでも 星たちが目を閉じても
 止まらないぜ 歌い続けるぜ
 
言ったな? 歌えよ!
声に出して突っ込む。

一瞬ずつ刻み込むように、ステージを端から端まで目に刻むように。

でも最後って言ったのに一拍置いて、


『交差点』

イントロが叩きつけられるように始まった。
ああ、正真正銘の最後の最後なのだ。
もう泣いてる子がいる。駄目じゃん、まだだよ。まだ終わってないよ。

 行き場をなくして また迷い込んで
 ただすり減らして 光が見えなくて
 君を思い出して 君を思い出して 君を思い出して
 
思い出すんだろうか。
思い出すんだろうか私は。




思い出すんだろう。何度も、何度でも。何度でも何度でも何度でも。





そうしてその最期の一瞬に、私は自分の内側でメガネビジョンの時間を止めた。
「終わる」前の瞬間に。

それは永遠で止まった。









いさぎよくアンコールなしで彼らは笑顔でステージを降りていく。

怖いほどに集中したまま。


あぁでも分かったんだ。その切っ先が描くものこそプロの仕事なんだよね。

ごめん、信じ切れなくて。ごめん、馬鹿だった。
誰も彼も、私の好きな人を全員連れてくるべきだった。こんな凄いステージだったのに。
見せたかった。見せたかった。見せたかった。


でも仕方ないから私が全部刻み込んで、後で書くしかない。
書くから!




・・・

でも、こんなにいいステージを観たのだから、すぐにでも書けると思っていたライヴレポートは、一日経ち、三日経ち、一週間経っても一文字も綴れないまま時間はどんどこ過ぎていった。

どうしても、書けなかった。
何を書いていいのか全然分からなかった。

でもいつかは書けるだろうとは思っていた。

でもそれがいつになるかは全然分からなかった。



・・・

そうこうするうちに『スリービート』という新バンド結成の報告がmixiでなされる。
およそこのライヴの10日後のこと。

私は、「あ。〆切キタ」と素直に捉えたんだ。



だからこのくそ長いライヴレポはそのスリービートのステージ開始数時間前に湘南新宿ラインの車内で書き始められた。

そうしてそれから48時間以内に怒涛の勢いで書き進められた。
祝祭のようにテキストの「フック」がいくつも降りてきたから。


・・・

まずスリービートのステージを見ている瞬間に「それ」は降りてきた。

“ヴィジョンを失ったメガネビジョン”

「ヴィジョン=小川君」。思い返せばその兆候は確かなものとして昨年11月のマイスペ日記に見え、あのまま更新を止めた彼が繰り返し書いていたのは「売れなくてもいい」という、ヴィジョンを失くしたそれだったのに、あの頃の私にはそれが分からなかったのだ。

そうして。

スリービートの予想をはるかに超えたあまりのグルーヴと音圧のステージに涙を滲ませてから一晩明けた今日(正確には昨日)の昼。

何気なくかけたiTunes。ライヴ盤、あの大好きだった『雨上がり』の音の薄さに、私は自分の耳を疑い、愕然とする。

でも確かなのは自分の耳!

あの子達……根本君とチョクナリ君とえびちゃんの3人……は、見事に「化けていた」。
一晩経ってそれを思い知った。
思い知って、私はこんなに嬉しいことは無いと思う。


その数時間後、また降りてきた。
“ああ、あの子達はキメラになったんだ”って。

「キメラ」がなんだかわからない人はぐぐってみてください。



そう、名実共に、あの子達は化けた。

盲いた頭部を失ったからといって諦めなかった。

貪欲に、どこまでも貪欲に、新しい身体に挿げ替えてでも進化していくのだという意思を示した。

昨夜のヘブンズで号泣してたお姉さん達も皆それを感じてたはず。その覚悟と意思が、嬉しくて泣いてたんだよね。
わかるよ。



そして、だから、私はやっと、今こうして書けている。
あの子達はまだ、成長をしようとしている。
あの子達はもっと、成長をしようとしている。
終わる気、全然無い。


どんなカタチになっても、聴き続けるから。

・・・

さてさ、4月18日のライヴが終わった後の話はもういいよね。
あんまりにも長く書き過ぎた。誰ももう読みたくないでしょう。

私も書きたくない。


あの後あったことは総て私の裡に仕舞う。誰にも言いたくない。
言わなくていい。

だからこの馬鹿げて長いライヴレポという言い訳で書いた個人的な長文はここで唐突に終わる。
でも私たちは知ってる。私たちは、また遠からず逢う。

同じ音楽を聴いて、同じ場所で、同じように時を刻む。同じ音楽馬鹿野郎として。
そして一緒に「明後日のほうを向いて」言おうね。




ヴィジョンが見つかったら帰っておいで、って。
待ってるよ、って。













音楽が無ければ生きていけない音楽馬鹿野郎より。
2009.05.11 01:53am










メガネビジョン ワンマンライブ
「メイドインジャパン vol.4」
会場 HEAVEN’S ROCK Utsunomiya VJ-2
公演日 2009/04/18(土)
開場 17:30
開演 18:00
店頭orローソンチケット Lコード 73362
チケット代 前売り2000円



SET LIST...

中学生ロック
手紙

ミッドナイトトレイン
オスは不自然 メスは不機嫌
チョットまってよ
新曲
笑顔のままで
ハル
夏の陽の残像
花のように
さよならサタデーナイト
ダンスダンス
多感期センチメンタル
花鳥風月
マボロシ
君とYOZORAとヤイヤイイェ
交差点