20081221 メガネビジョン@渋谷La.ma.ma | chiaki's "CHEEKY" annex

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1999年開設のオマージュサイト“CHEEKY”http://home.att.ne.jp/wind/cheeky/ の別館ブログ。メガネビジョン、石田ショーキチのライヴレポの他駄文掲載。

少し暈けたような匂いの南風に煽られながら上る道玄坂は息の切れる傾斜で、
暮れ近いとは思えないほどの緩い人出と微かな喧騒に時代を感じながら至るラママのドアを「せーの」と声を出して押した。

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7月以来のラママは好きな部類のハコだとおもう。とりわけじゃまな柱があるあたり一番好きなクアトロに通じるところがある。
あの擂り鉢状のフロアも三十路に優しいから好き。

演奏中に入場した上にナナメからしか見れずよく分からなかったが上手かった、オープニングアクトのなんたらいうバンド(名前ぐらいチェックしろ)はこの後にもステージを控えているとかで、最前で踊るファンごとライヴ後に風とともに去っていたのが印象深かったが。

その後予感があって入り口ドア付近から移動してみれば、案の定次発がメガネビジョン。メンバーぞろぞろ出てきて音あわせに入る。その様子を眺めながら来たるライヴに思いを馳せる。いいステージになりますように。

クリスマスツリーの前、柱の脇、マコッチャンの真正面に座って待つこと数分、いつもの出囃子『落陽』が流れて客電が落ちる。この瞬間っていつもいい。誰がなんといったっていい。

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先月悩んだ末に出かけた下北は、終わった瞬間に記憶を抹消してしまったらしくあんまりよく覚えていないのだった。「この子達大丈夫なんかな」と不安に思いながら帰途に着いたあの日。胸の底がざらざらしたのは微量の怒りのせい。と同時に「無力だ」と自分の不甲斐なさを呪った気持ちもあったけれど、まぁ、そんなもんはアレだ。半分妄想だよな。

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2008年を1~6月の上期と7~12月の下期に分けたなら、下期、突然に私の生活をその音で埋めたのがメガネビジョンだった。記憶にある限りこんな勢いで聴いたのはSPIRAL LIFE以来で、私にもまだそんな音楽への希望と情熱が残っていたのかと自分でもびっくりした。思い出のミイラを諦めながら愛でるのとは違う「今」の音がそこに在った。直球過ぎて苛々して切なくて懐かしかった。

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100%の承認なんておいそれと人は得られない。親が子にそれを与えられるのが理想だけど親もキャパが足りなきゃそこまで手が届かない。むしろ自分に対する承認を泣き顔で求めるのだから始末に終えない。そのうちに人は学習し、きれぎれの承認をつなぎ合わせて100%を目指す。欲がもう少しあればより多くの人からの深い承認を求める。欲の深さはある意味生命力の強さだからそういう姿勢自体に感応して人が集まる。誰かが「世に出る」という行為とは突き詰めれば一言。その「アテンションプリーズ」だ。

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見ますよ。聴きますよ。感じますよ。だってそのために来たのだもの!

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ステージ上の彼らが、終始笑顔で、良かった。

『交差点』『オスは不自然 メスは不機嫌』『手紙』『笑顔のままで』『マボロシ』『花のように』順不同? あれ、こんなもんだっけ。

幸福な時間は駿足で過ぎ去る。
時計どーなってんのよ?
むしろ体内時計が。
しばしぼんやり。
この半年が走馬灯のように駆け巡る。
歌詞あらかた覚えちゃうくらいにまで聴いたなぁ。
あぁライヴ盤買わなきゃ遺憾!

で、我に返る。

で、買った(5枚も)。

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補記。フロアで会ったライヴ顔見知りのSさんの勧めで残って聴いた次発の「町田直隆」が、大変に良かった。ギター一本で逃げ場の無い直球勝負。なんだろうこの歳になると小手先のなんかより直球が来るなぁ。ぐっと来つつ幸福感を与える。感謝の意味も込めてCD購入。いいもの聴きました。いい時間でした。

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「僕」が「歌」というものの存在を忘れたあの世界で、朽ちかけたアコーディオンを手にしてその「音」に驚き、程なく「メロディ」というものの存在を思い出す。その経過を思い浮かべる。私が何故音楽を愛し、執着し、憎み、懇願し、憧れ、感謝し、畏怖し、やはり愛するのか。その理由を考え、考えるのを止め、また考える……それ、その行為自体が幸福の一端であると気づいている。

だから私は今この瞬間にそこで生きている音楽を聴くことを切望する。いまここで鳴っている手風琴の音を刻み込みたいがため。刻んだ音をよすがに生きていくために。

















どうもありがとう。
大切にします。