時々、語録を思い出し、身を引き締めることがある。

音もなく降り続ける雨を浴びて、新緑の樹冠は生命力を放っている。

大いなる自然のみわざ、雨にも似て、「六中観」は枯渇した心に染み入る。

忙中閑有
(忙中閑こそ本当の価値)
苦中楽有
(苦しみの中に楽を発見する)
死中活有
(身を棄ててこそ道は開ける)
壺中天有
(世俗の中に別天地を持つ)
意中人有
(常に心の中に人物を持つ)
腹中書有
(常に腹の中に哲学を持つ)

意中に「マザーテレサ」がいる。
マザーテレサは
「微笑むことが愛の始まり」と説いた。
そして、いつ、いかなるときも自らそれを実践した。
マザーテレサのアピールは本当に届いたのだろうか?
そして、21世紀の今も世界はマザーテレサを必要としているのだから。
「わたしたちは忙し過ぎます。微笑みを交わすひまさえありません」
「大切なのはどれだけたくさんのことをしたかでなく、どれだけ心をこめたかです。」

私の意中の人はいつも囁いてくれる。
雨にもまけず、
風にもまけず、
曇にも夏の暑さにもまけぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
………………………
………………………
みんなにでくのぼーとよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういうものに
わたしはなりたい

そんな私でもいい
こんな私のままでいい。

沢山の出会いを繰り返し、ほんとに心真っ直ぐな人の出会いはいくつあったのだろうか。

派手に、華やかに、和合してた人達の笑顔。
蜃気楼のように、揺らいで、うそぶいて、消えていく。

朴訥として出会い、埴輪が触れ合うような人間の原形が立ち上る、温かい出会いもある。

控え目に静かに頷いていたその人が去った後に、その存在を大きく感じる。

そんな本物の人間に出会えるよう。
深い深い深呼吸の時を持ってリセットし、さらなる研鑽していこう。

黄昏れの光に包まれた書斎で、静かな決意をする。
心の変化
軸がずれた訳でもない。
ただ、その軸にまとわる何かを捨てよう、整理しよう、外そうとする心の動きなのか。

約三ヶ月を一生命の誕生に携わり、寄り添ってきた。

ただひたすら、「生きること」を無心に、自然のあるがままに、恐るべき大きなエネルギーで生命を謳い、成長させていく偉大なる神の御業の日々をみつめ、感じることが大いにあったからだろう。

一生命の誕生をみつめながら、自分を重ね、宇宙のちっさなちっさな生命の自分が灰色化しているのではないか。
多忙ながら、リセットするに十分な時間を得たようだ。

ならば どうするのか。
---朝、太陽が昇る、一日を自然に託し、夜に自分なりに出来たことに感謝し、眠りに就く--

静かに内観し、リセットしよう。
「天行健なり、君子以って自ちょうして息まず」

用事をつくり、計画をつくり、慌ただしく、スケジュールが埋まっていく。
ドンドン多方面に広がっていくのだ。
そこで、そんな自分の存在が求められ、大切なのが。
そうではない。
別に大した支障も起こらないではないか。

すっきり自然体に戻ってみよう。
出来るだけ捨てて自然を友にしてみよう。

一度、リセットして見つめ直そう。