『死んだ男の残したものは』

作詞:谷川俊太郎

作曲:武満徹

編曲:林光

受験生ブルース

風に吹かれて

調べたらボブ・ディランの曲だったけれども、、
日本人が唄うと微妙に日本人独特の歌いまわしで
日本の歌かと思った。
海外のフォークを日本に広めた人でもあるのかな、、

 

 

フォークソング歌手の高石ともやさんが

8月17日82歳で死去したと報じていた。

 

京都新聞

 

wikiを読んだら、1960年代から2020年代まで

ずっとご活躍なさっていたと知った。

フォークソングを広めた人であることを知った。

 

知っている音楽作品はなかったけれども、

「死んだ男の残したものは」の

作詞が詩人:谷川俊太郎さん、

作曲:武満徹さん

編曲:林光さん

豪華なクラシック音楽家勢ぞろいの作品で驚いた。

クラシック音楽の作曲家がフォークを作曲すると

どうなるんだろうか?と聞いてみたくなった。

 

ロシア民謡ぽく聴こえてきた。

それに知床旅情がミックスされたような、、

知床旅情は山本直純さんが編曲者なので、

やっぱりクラシック調になっていて、

どこか曲の雰囲気が似ている。

 

昔は、クラシック音楽分野で有名な方々が集まって

フォークソングを作っていた事にすごく驚いた。

 

武満徹さんというと、、日本を代表する

現代音楽家、作曲家として知られていて、

クラシック音楽の分野で活躍していた

印象がある。

 

林光さんも、私の記憶違いでなければ、、

子供のピアノコンクール課題曲や発表会作品など

ピアノ曲の作曲者としても知れていて、

フォークソングのアレンジャーとは想像できなかった。

 

高石ともやさんは、分野やジャンルを超えて

詩人や音楽家の方々と交流がもつことによって、

1960年代から70年代フォークソングが

日本の音楽の世界に新しい風を起こそうと

努力しておられたのを感じた。

 

私が学生の頃、学校で推奨する音楽以外の

フォークソングなど流行歌を高校で歌うと

不良みたいに思われていた時代だったんだけど、

その時代のフォークソングの作曲編曲に

裏でクラシック音楽家が関わっていたのか~~

 

戦争で、日本の音楽は閉鎖的になってしまった。

戦後、再び、海外の音楽との違いを感じた時に、

このまま音楽文化が錆びれてしまうことの不安に

駆られて1960年代から2020年代の今日まで、

ずっと見守って下さっていたのかもしれない。

 

その時代の先端で、若い私たちの感受性を育て

刺激を与えて下さっていた人であったことを知った。

 

私blog 2024年5月26日記事 フォークソング特集>

 


 

 

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