今日は敬老の日。

ご近所では、認知症のお年寄りが増えてきて

徘徊も珍しくなくなってきた今日この頃。

 

バイクのエンジンをふかして颯爽と走る若い兄ちゃんに

「散歩や徘徊のお年寄りが多いから、この辺を走る時は

 エンジン切ってバイクを押して歩いてよ、

 はねたら危ないからさぁ」

と、声をかけることがある。

 

神社周辺は参拝に訪れるお年寄りの歩行優先道路。

 

サライ

 

 

「アルツハイマー病」は脳の糖尿病と

言われているとは、初耳で知らなかった。

 

幼少時代に父の実家に行くたびに挨拶していた

明治生まれの祖父のことを思い出した。

 

離れの部屋には、万年床の布団が敷いてあり、

幼少の頃に、いつ行っても祖父は昼寝しているか

たまに布団の上でボーっと座っていて動かず

起きている時間の方が少なかった。

 

子供の私の目には、不思議の国の妖怪じいさんで、

ヨレヨレの着物がはだけてズルっと肌が出ていて、

殆んど、歯がなく四六時中口はモグモグ動いて、

何か喋ってくれても宇宙語にしか聞こえないので、

母が祖父の話を通訳してくれていた。それでも

さっぱり意味がわからず、近づいて来られると

怖くて逃げるので、いつも母に叱られた。

 

今にして思えば祖父は認知症だったかなぁ。

当時は、ボケ老人と言っていた。

 

「おじいさん、庭のそこら中にウンチして困る」

叔母がそんな話をしていた記憶がある。

 

今でこそ、

デイサービスなど介護施設が充実しているけれども、

昭和40年代は、そんな施設はなかった時代で、

叔母同士が、ボケた義父が徘徊しないように

腰ひもで身体を結わえて、爺さんを柱に縛り付けて

鍵をかけて家を出てきた、、、と、会話していた。

 

農家に嫁いだ叔母さん達が

嫁に入った時は散々イビラレて我慢した挙句に、

老いてボケた義理親の世話を押しつけられてさ~

徘徊するから縛りつけるしかないんだわ

と愚痴をこぼしていた。

 

昭和とはそういう時代で、生まれ育ってきて感じるのは

必ず、弱い立場になったほうが辛い目に遭い耐えた。

 

だからジャニー喜多川氏の問題でも、いまだに

私たち世代は、人権に酷く鈍感なところがあって

弱者、被害者を見過ごしてしまうのかもしれない。

 

 ヒマワリ        ヒマワリ        ヒマワリ

 

 

父方祖父は果物農家で桃やぶどう、米なども作っていて

大酒飲みで、晩年は認知症を患っていたと思う。

糖度の高い作物を作って食べていたし、おまけに

酒呑みで、遺伝よりは認知症になりやすい環境が

揃っていたかもしれない。

 

いつも何を喋っているかわからない祖父が

唯一、墓参りに一緒に行った時だけは

墓前の前では正気のお爺さんだった。

 

毎年毎年、、、

「ばあさん、わしはまだ生きとるがや

 早く、わしを迎えにきてくれんか」

 

亡くなる前の年に、、、

「やっとばあさんのところに行けそうだ」

 

何故か、いつも墓に向かって普通に語りかけていた。

その姿を見るにつけ、皆の前ではわざとボケた

フリしているのかな?と思ったことがある。

 

 ヒマワリ        ヒマワリ          ヒマワリ

 

 

私には、認知症とアルツハイマー症の違いが

あまりよくわからないけれども、、

いずれの病気も一度発症してしまうと

悪化することがあっても、回復することって

見込めないような気がする。

 

日頃から、糖質を摂りすぎないようにするだけで、

脳の糖尿病やらアルツハイマーが防げるのだったら、

これからも食生活に気をつけて過ごそうと思うけど

もともと、甘い物を食べる習慣がないけれども、、

脳が糖尿病になるなんてことがあるとは驚いた。

 

今、幼少のお子さんでも認知症みたいに

片っ端から物を忘れてしまう子がいるけど

もしかして、、あれも脳の糖尿病? 

 

子供さんにも

「甘い物ばかり食べすぎると忘れっぽくなるかも・・」

と話すかなぁ

 

 

今日のひとことブログ

 

 

 

 

 

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