蛇(へび)に睨(にら)まれた蛙(かえる)は恐怖のために動けなくなって蛇にのまれる。
国が国を恐れるとき莫大な軍費を要する。
就職試験に臨んで恐怖を起こす青年はその就職に失敗する。
入学試験に臨んで恐怖する学生はその入学に失敗する
恐怖が自己の境遇を支配すること斯くの如く甚だしい。
更にそれが自己の病気や健康に影響するに至っては云うまでもないのである。
此の恐るべき恐怖心を人生より駆逐すべき道を示さんとするのが『生命の實相』の念願の一つである。
吾を伸ばすものは、
絶えず與へていると云う感じ、
絶えず人から喜ばれてゐると云う感じ、
與へる歓びは自己拡大の感じ、
自己の愛が次第に拡がる感じ、
この感じのうちに生命は伸び行く。
兄弟よ、海の波が巌にたわむれるように、困難にたわむれよう、猿が木の幹を擧(よ)じのぼろう。もし軽業師(かるわざし)が綱の上を渡らないで、平坦な大道を歩くだけならば、誰も喝采する者はないであろう。梅の花は烈々たる寒風の中で開くので喜ばれるのだ。兄弟よ、わたしは苦しみに耐えよとは言わない。「生命の實相」では苦しみに戯れるのだ。いかなる苦しみをも戯れに化するとき人生は光明化する。
盤根錯節(ばんこんさくせつ)は「生命」がたわむれるための一つの運動具である。諸君はスキーを多難だと言うか。登山を不幸だと言うか。ゴルフを艱難だと言うか。競泳を悲惨だと言うか。いかなる苦しみも戯(たわむ)れに化するとき人生は光明化し、そこから剛健(ごうけん)なる無限の生命力が湧いて来る。
○ 心の法則
われわれは人間として生まれて来た以上、幸福に暮らしたい。これは人間として、本能的にもっている欲望である。しかし人生はそんなに幸福な人ばかりで充たされていない。それはどうしたわけであろうか。
その一つは彼らが「心の法則」を知らないこと、その二つは幸福とはなんぞやということを知らないからである。人間が人間として幸福に生活するためには幸福とはなんぞやということを知って「心の法則」にしたがってその幸福を生活の上にあらわさなければならぬ。
かくのごとくして本当の幸福を生活の上に実現するのが、「生命の實相」の生き方である。わたしは諸君の家―日本中のわれわれの兄弟の家を、心の法則に則(のっと)った生活をしていただくことによって、みんな一つ一つ「幸福」にしたいこの希望をもって書いたのをあつめたのが「生命の實相」である。
人が「心」を有っているということは実に尊い。(本当は「心を有つ」)のではなくて「心」こそ自分なのだ。)人間は金があっても必ずしも幸福にはなれないが、心をこの生き方にしたがわすとき、ひとりでに幸福になれるのだ。この簡単な幸福生活法は、どんな種類の発見や発明よりも人類にとって有益だと言ってよいだろう。
自分は何を犠牲にしてもこの幸福な「生命の實相」の生き方を、日本中、世界中の兄弟たちに知らしたい。そして一緒に手をつないで明るく高らかに哄笑(こうしょう)できる日を期待したいのだ。諸君もまたこの生活法に賛成されたら、知人に知らして「生命の實相」の生き方をひろめて日本全国、否(いな)世界全体を「幸福」にして欲しい。
では、「生命の實相」の生き方―幸福生活の秘密―を次に順を追って説明してゆく。