誰も行かない観光地をめぐる奇妙なトラベラーたかぼんブログ -32ページ目

誰も行かない観光地をめぐる奇妙なトラベラーたかぼんブログ

奇妙な物、奇妙な出来事に会わずして旅行といえない!!人は旅に行くことによって、自分と違う土地、違う食事、違う習慣、違う考えを見て、それらを認め合うようになるのです。あるいは、自分を発見するのかもしれません。人類の平和のためにLet's go トラベル

海岸旅行気分で宮古島に行ったのですが
国内なのでまずは土地の神様に挨拶しようと
宮古神社に潜入調査しました ニヤリ
 
小高い丘の上に宮古神社があり前に駐車場
があり10台ぐらい停められます
 
宮古神社入口
 
 
白木のとっても立派な鳥居があり、樹齢千年
ラオス産ヒノキを使っているそうですびっくり
 
二の鳥居
 
 
石畳が琉球石灰岩で出来ているので
エスニックですね!
 
しかも
日本最南端にある神社です!照れ
 
宮古総鎮守 宮古神社石碑
 
 
狛犬も琉球風に躍動感がありメッチャ強そう
です!ガーン
 
強そうな狛犬
 

 

拝殿の屋根も赤瓦葺きで中国風で金の鴟尾

(しび)がついていてカッコいい!!照れ

 

参道には新型コロナのためソーシャル

ディスタンスを意識させる床ステッカー

が貼ってあります

 

拝殿本殿

 

 
御祭神
 
速玉男尊(はやたまをのみこと)
清浄の得を司る神・豊年豊漁の神
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
天照大神の母神・国土五穀生みの神
事解男尊(ことさかをのみこと)
平和守護の神

あの霊験あらたかな熊野三神で那覇市の
波上宮(なみのうえぐう)より勧請されたそうです
びっくりびっくり
豊見親三神(旧町社宮古神社の御祭神)

目黒盛定政命(めぐろもりていせいのみこと)
宮古統一の祖
与那覇恵源命(よなはけいげんのみこと)
宮古開基の祖
仲宗根玄雅命(なかそねげんがのみこと)
宮古中興の英王

豊見親(とぅゆみゃ)とは宮古島で地方を
治めた親方、首長、英雄のことですえー

別鎮斎
竈三柱神(かまどみはしらのかみ)
火神(ひのかみ)

鳥居の近くに石碑があるので見に行くと
宮古熊野三所権現鎮座の碑がありました
 

 

そこに神社の由来が書いてます

 

天正18年(1590年)宮古の大首里大屋子

(役職:地頭職)の平良要宇?が海難漂流

して8年後に帰国したポーン

 

これも神々のお陰だと琉球第一の宮

波上宮を勧請してここに鎮座したらしいびっくり

 

宮古熊野三所権現鎮座之碑

 

 
この石碑少し変わっていて左に丸い玉
モニュメントがありますが何を象徴して
いるのでしょうか?
 
慶長18年(1611年)琉球政府は薩摩藩の
進言により「宮古熊野三所権現」と命名
したそうですウインク
 
大正14年(1925年)豊見親(とぅゆみゃ)
与那覇恵源仲宗根玄雅を祀る宮古神社
を建立したが内務省に公認されなかったショボーン
 
昭和15年(1940年)宮古熊野権現宮古神社
を合わせた新宮古神社の建立が決定された
そうでこれが今の宮古神社です
 
昭和天皇御製歌碑

 

 
わが船にとびあがりこし飛魚を
さきはひとしき海を航(ゆ)きつつ
*さきはひ=幸い
 
意訳
初めての外洋の時に宮古島の沖で飛魚が
戦艦に飛びこんできたことがあって航海の
幸いにしたことがあったよ!ウインク
 
 
大正10年(1921年)昭和天皇の皇太子時代
ヨーロッパへ外洋した時、御召艦香取
御奉艦で旗艦鹿島で航行途中に沖縄に訪問
 
宮古島沖で飛魚が両艦に3匹づつ飛び込む
という奇瑞があってびっくりびっくり
 
このことを戦後昭和42年歌会始に御製
されたのです
 
その歌会始のお題が「魚」だったらしいえー
 
 
琉球石灰岩の階段はあいにく雨に濡れている
ので黒いところが目立ちますが晴れていたら
きれいでしょうね!えー
 
一の鳥居
 
 ↑
街から歩いて神社に行く時はこちら側から
登って行きます
 
ここにネフスキー通りとネフスキー顕彰碑
あります
 
ネフスキー通りとネフスキー顕彰碑 
 

 

ネフスキーとはニコライ・アンドロヴィチ

ネフスキー(1892-1937年)のことです

 

ネフスキーはロシアの言語学者東洋学者

民俗学者で大正4年(1915年)に日本に留学し

大正6年(1917年)ロシア革命が起こり帰れ

なくなりましたショボーン

 

ネフスキー顕彰碑

 

 

ロシアからの送金が無くなり、日本の大学で

教職で働き日本人妻イソと結婚しましたえー

 

宮古島の言語に興味を持ち宮古島に幾度も

調査に来たそうですウインク

 

宮古島での研究は「月と不死」、「宮古島の

子供遊戯資料」、「アヤゴの研究」などで

発表されています

 

ネフスキー通り(別名: 漲水石畳道)

 

この石畳の古い道がネフスキー通りで90m
の道ですウインク
 
昭和4年(1929年)ネフスキーはソ連に帰国
サンクトペテルブルクで大学や研究所
美術館などで働き妻子を呼び寄せますえー
 
*古美術 三坂堂HPより
ネフスキーさんなかなかのイケメンですウインク
 
しかし
1937年(昭和17年)スターリンの粛清でイソ
夫人と共に国家反逆罪で逮捕され処刑された
ようですガーンガーンガーン
 
1957年ベラルーシ軍管区軍事裁判所で再審査
がなされて無実となり名誉回復されましたえー
 
ネフスキー夫婦の一人娘エレーナさんが
ネフスキー顕彰碑の除幕式の時、遠路
はるばる来られたそうです照れ
 
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