古代最大のクーデーターは大化の改新です
その密談があったのが多武峰の談山神社
(たんざんじんじゃ)なので潜入調査しました
談山神社第5駐車場
駐車場は5つぐらいあるのですが第1、第5
駐車場以外は閉まっている事も多いです
第5駐車場が一番談山神社に近いです
後醍醐天皇御寄進 石灯籠
元徳3年(1331年)南北朝時代に後醍醐天皇
が御寄進された灯籠です
南朝に味方したのかもしれません
灯篭亭
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参道には軽食堂や土産物屋が並んでいます
談山神社境内案内図
神社の後ろの二つの山があり右側が談所の森
(だんじょのもり)左が御破裂山(ごはれつやま)です
鳥居
天武天皇7年(678年)唐留学から帰った鎌足の
長男定慧(じょうえ)が摂津安威山の鎌足の遺骨
の一部をお祀りするため
十三重の塔を建て供養した多武峰 妙楽寺を
建立したのが始まりです
鳥居の横で拝観料を払います
拝観料600円
石段
多武峰 妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)という
寺院だったのですが明治の神仏分離令に
よって談山神社(たんざんじんじゃ)と改称
されたのです
手水舎
水口が鳥で嘴が銅製で非常に珍しい
拝殿入口
拝殿に入ることができていろんな藤原鎌足
ゆかりの巻物や屏風などが貴重な物がたく
さん展示されています
拝殿内部
向かいの本殿は格調高い本殿です
本殿
御祭神
藤原鎌足公
藤原鎌足(ふじわらのかまたり)は元は中臣鎌足
(なかとみのかまたり)という名前でした
中臣氏は祭官の家柄でしたが鎌足は法興寺
の蹴鞠の会で中大兄皇子と知り合います
百味の御食
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嘉吉祭の供物です
2人は意気投合して時の有力者蘇我入鹿暗殺
の密談をするのです
皇極天皇4年(645年)三韓(新羅、百済、高句麗)の
使者が進貢(三国の調)に来日して
三国の調の儀式の時に大臣蘇我入鹿が
来るだろうと、この時に暗殺を決行しました
これを乙巳の変(いっしのへん)といいます
乙巳の変 入鹿暗殺
*多武峰縁起絵巻より
左の弓矢を持っているのが中臣鎌足で
右の太刀を持っているのが中大兄皇子
で
宙に舞っているのが蘇我入鹿の首です
子供の時に見た時もえげつない絵やなぁ
と思いました
右の皇子の後ろの2人はいざとなって足が
すくんで暗殺できなかった暗殺者です
暗殺というのはよっぽど根性のいるもの
のようです
多武峰マンダラ
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真中に藤原鎌足と右下に長男定慧(じょうえ)
左下に次男不比等(ふひと)が描いてあります
乙巳の変のあと、中大兄皇子は皇太子に
なり後に天智天皇となります
中臣鎌足は唐のような天皇中心の国家制度
に変える大化の改新を進めていきました
十三重塔
中臣鎌足は死の前日に天智天皇から大織冠
(たいしょっかん)という最高位の冠位と藤原姓
を賜りました
後に1300年に渡って天皇を補佐する
藤原氏の誕生です
さてこの十三重塔が摩訶不思議!
十二層目までは順調に工事がすすんだので
すが部材が足りずに工事中止になります
ところが・・・
月夜の雷の夜
*談山神社パンフレットより
朝に定慧和尚が塔を見に行くとなんと十三層目が
完成しているのです
夜の間に雷神を筆頭に魑魅魍魎が塔のてっぺん
を運んできたらしい
拝殿の横の事務所で改新玉があったので
東殿にお参りに行く事にしました
厄割り改新玉(やくわりかいしんだま)
初穂料2個で300円 一人で2個要ります
紅葉で有名な談山神社は石段を降りた所に
御朱印所がありました
御朱印
東殿は別名恋神社と呼ばれ恋愛のパワースポット
です
東殿(恋神社)
御祭神
鏡女王(かがみのおおきみ)
藤原鎌足の嫁さんで鎌足が病気の時に山階寺
(後の興福寺)を建立しました
定慧和尚(じょうえおしょう)
鎌足の長男でここに妙楽寺を建立しました
藤原不比等(ふじわらふひと)
鎌足の次男で後に朝廷の実力者となります
先ずは厄割りです
厄割り石
一つ目の玉に厄や災難をうつしを石に落とし
願い事を願ってもう一つの玉を石に落とします
割れなかっても決して拾ってはいけません
厄落としのパワースポットです!
東殿と若い女性
東殿で縁結び恋愛成就祈願をする方法
正面からお詣りし時計回りに東殿の背後
でもお詣りをしてこれを3度繰り返します
若い女性が熱心にお詣りされていました
縁結びのパワースポットです!
極めてつけは如意輪観音堂です
如意輪観音堂
如意輪観世音菩薩
実はここ絶縁祈願ができるのです
え〜〜!
縁結びの神様の近所で絶縁祈願!?なんで??
絶縁祈願神木案内
いた人柄じゃなかったらここで縁切り祈願を
すればいいわけです
縁切り祈願神木300円
これで心おきなく東殿で縁結びを祈願
できます
縁切りのパワースポットです!
パワースポットはこれだけではありません
福運上昇のパワースポットがこの龍珠の
磐座です
龍珠(りゅうじゅ)の磐座
談山神社になる前の妙楽寺の講堂を
建てる時に光る石が発見され神の宿る
磐座(いわくら)として
パワースポットになっています
龍珠の磐座の近くにはむすびの岩座
があります
むすびの岩座(いわくら)
この岩座も神の鎮まる岩座といわれ
岩を撫でまわして祈願する岩座で
ここも縁結びのパワースポットです!
西側の蹴鞠の庭隣に神廟配所があります
神廟拝所と蹴鞠(けまり)の庭
蹴鞠の庭では4月と11月にけまり祭りが行われ
ていますが今年は新型コロナウイルスの影響
で中止になっています
けまり祭り
*談山神社パンフレットより
けまり祭りは中大兄皇子と中臣鎌足の出会い
を再現しようと行っています
神廟拝所壁の全面に妙楽寺の時の
五百羅漢図が描かれてあり見事です
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向いの総社拝殿には何か大きな
木像があります
総社拝殿
福禄寿大神でしたが独特の風貌で
大和七福八宝めぐりにも入っています
福禄寿大神
この神社の神木から作られた福禄寿大神
で彫刻家の斎部哲夫さんの作品です
粗削りですがパワーあふれる福禄寿像
ですね!
崩れそうで崩れない微妙なバランスの
彫刻です
開運出世の福玉を持っている神様で
凄いパワースポットです
龗神社(おがみじんじゃ)
御祭神
高龗神(たかおがみのかみ)
龍神様のことで龍神社とも呼ばれています
パワースポットです!
その横の石段を登って談山(かたらいやま)に
行きます
中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿暗殺を
密談をした山です
龗神社横の石段
談山 これより290m 徒歩約10分
御破裂山 これより510m 徒歩約20分
と案内がありました
10分ぐらいだったら・・・と思ったのが浅はか
ず〜〜っと登りの290mは大変です
やっと談山と御破裂山の分岐に着きました
談山分岐
30mほど行くと立派な石碑が建っています
おおー!ここが密談の現場かー!
御相談所石碑
今から1375年前にここで中大兄皇子と
中臣鎌足が相談したのかー!
相談といっても蘇我入鹿を暗殺するという
物騒な相談です
談山で相談
*多武峰縁起絵巻より
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こんな風に密談したのでしょう
飛鳥宮(飛鳥板蓋宮)からは山道で6km
こんな遠いところまで来て密談しなければ
いけないほど都(飛鳥)では密談場所が
無かったのでしょうね
そこから歩くこと10分で鳥居が見えてきます
ここが塚になっていて御破裂山(ごはれつやま)
と呼ばれ藤原鎌足のお墓になっています
御破裂山(ごはれつやま)
御破裂山(ごはれつやま)の由来が凄い
天下に異変のある時は激しく鳴動する
と言われており
昌泰元年(898年)から慶長19年(1614年)
まで716年間に53回も鳴動したらしい
展望台が鎌足の墓の横にあるのですが
さも大和平野が展望できるような絵図まで
ありますが・・・
大和平野展望絵図
上の展望絵図が建てられたころには大和平野
が見えていたのでしょうね
展望台からの展望
一部見える山が二上山かなぁ~???
という感じで山頂感がありません
下に降りると
談残神社は
紅葉の名所です
紅葉狩りをして秋を堪能しました
秋の美味しいもので堪能したい方はこちら
↓
談山神社 マップ