古代ローマのティトゥスの凱旋門は奇妙にローマ教皇が帰ってきた凱旋門 | 誰も行かない観光地をめぐる奇妙なトラベラーたかぼんブログ

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奇妙な物、奇妙な出来事に会わずして旅行といえない!!人は旅に行くことによって、自分と違う土地、違う食事、違う習慣、違う考えを見て、それらを認め合うようになるのです。あるいは、自分を発見するのかもしれません。人類の平和のためにLet's go トラベル

フェノロマーノを入るとすぐあるのが
この凱旋門です!ウインク
 
西暦82年ドミティアヌスが伯父ティトゥス将軍が
エルサレム攻囲戦の戦勝を祝して建てたものです
 
ティトゥス凱旋門正面
 
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正面には碑文がかいてあります
 
ローマの元老院と市民が
ウェスパニアヌスの子供
ティトゥスにこの凱旋門を贈る
 
というようなことが書いてある
 
美しい形なので16世紀以降の凱旋門は
これをモデルにしていますニヤリ
 
一番有名なのがパリエトワールの凱旋門
あのシャンゼリゼ通りにあるものですびっくり
 
 
アーチの上にも立派なレリーフがあります
 
アーチの飾り

 

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エルサレム攻囲戦とは西暦70年

 

以前から、ユダヤ属州のユダヤ人

ローマ帝国が神殿の事で戦争になりましたゲッソリ

 

エルサレムの街に籠城したユダヤ人ローマ軍

籠城戦になりユダヤ戦争の決戦となった戦いです

 

ローマ帝国軍がエルサレムを包囲し攻撃して

エルサレムの街や聖地エルサレム神殿を破壊

ボコボコにやったそうですショボーン

 

拠点を失ったユダヤ人は放浪の民族に

なったのです

 

その時破壊を免れたエルサレム神殿の壁が

『嘆きの壁』として現在まで残っています

 ユダヤ人の聖地ですキョロキョロ

 

右の柱のレリーフ

 

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右の柱のレリーフはローマ軍兵士馬車の戦車
戦いに行く様子ですねー!えー
 
左の柱のレリーフ
 
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左のレリーフにはローマ軍が勝って

エルサレム神殿からメノーラー(燭台の神器)

運び出す様子がレリーフに描かれていますポーン

 

メノーラー

 

 

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メノーラーは七つの枝を持つ燭台で

ユダヤ教の象徴になっています

イスラエル国の国章にもなっています

 

ティトゥス凱旋門の裏面碑文

 

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裏面にも碑文がありびっくり
宗教的にも、芸術的にも貴重なこの建築物は
時を経て古くなった
ローマの最高神祇官ピウス7世は
修復補強を命じ治政24年目に完成した』
 
実はピウス7世
西暦1804年ナポレオンの戴冠式に出席したが
 
その後関係が悪化!
 
1808年にはローマ教皇領をナポレオンに取られ
ガーン
1809年ナポレオンによってサヴォーナ監禁され
ゲッソリ
ナポレオン戦争敗戦したナポレオンが退位すると
 
念願叶ってやっと
1814年ローマにもどることができたのです
びっくり
ローマ市民は大歓迎!!!
 
1815年ウィーン会議で教皇領が返還される
ことになったのです
爆  笑
そして、1817年からピウス7世
ティトゥスの凱旋門の修復を始めたわけです
ウインク
たぶん
 
教皇自身がローマにもどってきた凱旋のための
ティトゥスの凱旋門の修復だったのだろうか?
えー
 
虫歯になった歯を修復するのは
 
ティトゥスの凱旋門 マップ