千年王城の京都御所にみる奇妙な木の剪定! | 誰も行かない観光地をめぐる奇妙なトラベラーたかぼんブログ

誰も行かない観光地をめぐる奇妙なトラベラーたかぼんブログ

奇妙な物、奇妙な出来事に会わずして旅行といえない!!人は旅に行くことによって、自分と違う土地、違う食事、違う習慣、違う考えを見て、それらを認め合うようになるのです。あるいは、自分を発見するのかもしれません。人類の平和のためにLet's go トラベル

京都御所に行く TABICA(タビカ)のツアーがあったので行きました。

ガイドは櫻井勉さんです。

 

集合:清所門(せいしょもん)10:00集合

京都地下鉄今出川駅南に下ル5分です。

皇宮警察の厳重な警備のあるこの門が御所の入口です

 

 

清所門の前には大きな栴檀(せんだん)の木の前に、なんか丸い頭みたいなものが落ちている。

 

 

おおこれは何じゃ???

この栴檀の木にできた瘤、腫瘍みたいなものですね。

 

 

大きな瘤(こぶ)で直径70cmもあります。

さすが、御所!!栴檀(せんだん)の木健康にも配慮して、H14年8月2日に切除手術を行って。一部は病理検査に出されたようだ。

 

清所門を入ると、厳重な警備

日本語とその他4ヶ国語のパンフレット

 

 

先ずは御車寄(みくるまよせ)

 とてもくらいの高い貴族が牛車できた時に着けるところらしい

 

その前の松の木をみて下さい。全体が丸くなる様に剪定されて、まるで、大きなリアル盆栽

小さな一枝一枝きれいに剪定されています。

 

 

 太夫の間

貴族でも、位が5位下以上の天皇とお目見えできる人達だけが、待つ場所です。

 

奥から「虎の間」「鶴の間」「桜の間」と3つに分かれていて、「虎の間」が一番身分が高い。一番身分の高い「正一位」をもらったのは、豊臣秀吉、徳川家康、岩倉具視で、生前もらったのは、秀吉だけだったらしい。後は、お稲荷さんだけ~正一位稲荷

 

 

さて、この貴族の待合所の横に

新御車寄(しんみくるまよせ)が有ります。

大正4年に大正天皇が馬車で乗り付けやすい様にするために造ったらしい。

 

 ↑

朱の塀と承明門は平安時代風になる様に後世作られたそうです。というか、元々、平安朝の御所はここから、1.7km西の千本通り沿いにあったらしい。ここが、正式の御所になったのは、明徳3年(1382年)南北朝が統一されて後であったのだそうです。

 

承明門の内側が、紫宸殿

御所は何回も燃えているにで、ほとんど江戸時代の寺院建築で、昔の姿を見るには、仁和寺の金堂が姿をとどめています。

 

紫宸殿

本来はこのように二層の屋根ではないらしい。

この白い砂利は白川砂利と言ってとても高級。

元々花崗岩ですが、太陽の角度によっては雲母がキラキラ光るらしい。

 

建礼門(けんれいもん)

 

京都御所に天皇、外国の国家元首、首相などの国賓が来られた時だけ開く門です。

 

しかし、今上天皇は・・・( ̄b ̄) シーーッ!!タビカの櫻井さんに聞いてください。

 

春興殿(しゅんこうでん)

大正4年(1915年)、大正天皇の即位の礼に際し、皇居から神鏡(八咫鏡)を一時的に奉安して、儀式を執り行ったらしい。昭和天皇の即位の礼でも使用された

 

紫宸殿(ししんでん)

とても立派な寄木造り

 

 

この格子の所は蔀戸(しとみど)と言って中に板があって、外は胡粉(ごふん、貝殻の粉)を塗ってあって、内側は黒漆(くろうるし)を塗ってあるので、中は真っ暗らしい。

 

蔀戸の重さは一枚100kgぐらいあるので、昔の女官は毎日筋トレをしているようなものだったんでしょうね。

 

 清涼殿(せいりょうでん)

 

 

天皇が私的に住んでいるところです

 

左が漢竹(かんちく)

 

 

右が呉竹(くれたけ)

 

小御所

源頼朝が息子頼家のために造ったのが始まり、将軍が昇殿するときの控えの間だった。今の将軍が小御所で前の将軍が大御所と呼ばれたので、『大御所』という言葉のはじまりがこの建物です。

 

 

また、幕末大政奉還の後、徳川慶喜の処分を決めるために小御所会議があったのがここです。ただし、この建物は鴨川の花火で全焼して、昭和33年に建てかえられたものです。

 

御池庭

 

御池庭はほんとうにきれいですね。木の高さや一つ一つの枝ぶりほんとうにここまでやるか!!という手のいれよう。

 

紅梅が一つだけ咲いていたので写真をとりました

 

 

この右手の松の剪定を見てください!!うろこのようにモコモコに見事に剪定されています。

 

最期に御涼所(おすずみどころ)

 

京都の夏はメチャクチャ暑いので、天皇が涼まれるところ、薄着して、扇子か団扇で煽いでもらってるのが目に浮かぶ

 

入口の清所門の横に参観者休所があり

DVDが上演されています。

 

土産物も充実

 

 

結婚式用に袱紗(ふくさ)を買いました、弔慶どちらも使えるようになっていて、菊の御紋が入っています。限定品に弱いので、ろうそくも買いました。

 

 

最期に蛤御門(はまぐりごもん)

 

幕末、1864年8月20日に長州藩兵と桑名藩、会津藩、薩摩藩が大激戦をしたところで、

長州藩がいろいろなところに火を放ったので一条から本願寺のある七条あたりまで京都を火の海にしたのですが・・・

 

柱や戸に鉄砲の弾の跡が残っています

 

みんながそこを触るので、少し白く写っているところです。

これをみると、戸のところはそれほど弾の跡がなく、柱のところに残っていますが、激戦というほどではなさそうで、刀で斬りあいをしたのでしょう。それか、さっさと逃げて行った。

たぶん、幕府側(桑名藩、会津藩、薩摩藩)が圧倒的に強かったと思う。

 

 

タビカのガイドの櫻井勉さんです。

本当に細かいところまでメチャクチャ知っている。

裏話も盛り沢山

 

同じツアーに現役の京都ガイドの人もいたのですが、一生懸命メモを取っていて、「このネタ使ってもいいですか?」と聞くぐらいでした。

タビカの御所ツアー

https://tabica.jp/travel/1045

 

御所を見て思うのは天皇がいかにシンプルに生活していたかということです。

もともと、神道ですから自然と一体という感じで、庭木のメンテナンスには手間をかけていますが、その他はほんとうにシンプル。

 

たぶん、世界で一番贅沢をしてない元首だと思いますね。正倉院を見ても、金銀玉なんてなんもなく、紙や木、漆、瀬戸物、銅彫金ほんとうにシンプルなので皇室が2000年以上続いたのがなぜかわかりました

 

長く持つ歯を訴求している歯科医院はこちら

http://takasaki-d.jp/