思いつくままにしつこく野球の話 | 【はらどけい】 by SB

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日頃の「喜・怒・哀・楽」を思いつくまま,気の向くまま(写真は1月の京都:比叡山 我が家の近くから)

 

昨日,秀岳館の監督さん鍛治舎巧さんいついてちと書いたが
実は,彼には少しだけうらみがあるので今日も書く。
まあ,恨みと言ってもちっぽけな話で甲子園で負けた話

超古い話で恐縮だが
1969年昭和44年春の選抜大会
私は丁度一浪し,大学受験を終えた頃
本当は東大に行くつもりだったが,
残念ながら大学紛争(安田講堂事件)で入試は中止になった。
残念だ。東大にいって政治家になって,日本を改革しようと思っていた夢ははかなく消えた。(嘘)
まあ、夢は大きく語ろう。あ、夢は「ほら」と読みます。はい。

入試も終え,家で「これからどうしようか」という時期
多分,駄目かなあ・・なんてことを考えていた頃である。

選抜大会が始まった。
郷土の滋賀県代表は比叡山高校
2回戦からの出場で対戦相手は県立岐阜商
マラソンの高橋尚子選手の母校でもある。
野球部は名門で,数多くのプロ野球選手がいる。
中日の監督だった高木守道もさんも出身選手

鍛治舎巧さんは,その時のエースで4番

いわゆるワンマンチーム

しかし、野球の名門校でワンマンなんだからすごい。
大会通算100号も打っている。
持ってる人は、やはりちがうんだなあ・・・(金も運も)
 

初出場の比叡山が勝てるとは正直思わなかったが
案の定,5-2で負けた。
しかし,岐阜商も次の3回戦で博多工に負けた。
その,博多工は堀越に負けた。

この年は京都から常連校の強豪の平安も出ていたが
初戦で三重に負けた。
三重は尼崎西・浪商と連続で近畿勢に勝った。
そして決勝まで進み堀越に負けた。
なんか近い者同士でつぶし合いをした大会でもあった。

勝ったチームが次に負けの繰り返しゾーン
比叡山が決勝まで行くことは絶対に無理だっただろう。
比叡山高校のエースは左腕の間柴茂有(しげくに)選手
しなやかなピッチング。好きなタイプの投手だった。
春の近畿大会では桜宮を相手にノーヒット・ノーランを達成している。
夏の大会では京滋決戦まで進み平安に延長11回で負けた。

当時の滋賀県は京滋大会というのがあり,
京都と滋賀県から1校しか夏の甲子園に出られず,いつも平安に負けていた。

平安さえいなければ・・・と,滋賀県民はどれほど思ったか。
琵琶湖の水,京都だけ止めたろか?と,どれほど思ったことか。

京滋大会がなくなったと思ったら,今度はなんとまあ福滋大会となり
福井と滋賀で1校出場と,これまた苦難の道が続いた。
敦賀気比はまだ創立もされてなかったが,福井商・若狭高などが強かった。
福滋大会となり,これまた夏の甲子園は遠くなった。
結局ここでも滋賀県勢は勝つことなく甲子園への道は断たれた。
鯖街道封鎖したれ!!滋賀県民は思ったとか思わなかったとか,
滋賀県の高校野球は春にしか望みが持てなかったのである。

さて,比叡山の間柴選手は高卒後ドラフト2位で今はなつかし大洋ホエールズに入団した。
 

1年目で初登板
2年目は鳴かず飛ばず
3年目は6連敗を記録
4年目にはクビになりかけたがなんとかつながり
5年目で初勝利。そして,なんとまあ5勝をあげる。
6年目は3完封を含む開幕6連勝!そして,その後は悪夢の7連敗。二軍降格
7年目は4連敗と再びシーズン0勝。
8年目で3年ごしの連敗を13でストップ
9年目はトレードで日本ハムファイターズへ移籍。そして,自己最多の7勝!!
11年目には初の2桁となる10勝を挙げてオールスターゲームにも出場。
12年目は開幕から連勝を重ねていきパ・リーグタイ記録の12連勝
   南海戦(後楽園)で日本プロ野球タイ記録の13連勝
   阪急戦(西宮)で当時の日本プロ野球新記録の開幕14連勝
   西武戦(後楽園)で15連勝
   フォークボールを覚え,上手く使ったのがよかったのだろう。このシーズンはなんと15勝0敗。戦後初の「勝率10割」を達成。
20年目に福岡ダイエーホークスに移籍。コーチ兼任
21年目で実働20年、500試合登板を達成し、現役引退。
22年目からはダイエーの二軍投手コーチ
26年目にフロント入り
という大波小波の波乱の野球人生

滋賀県の生んだ名投手間柴選手
面白い野球人生だ。
3年かけて13連敗するかと思うと,いきなりの15勝0敗
平均して分けときゃいいのにと思うのだが・・・

麻雀とか競馬とかパチンコなどのギャンブルをやらせたら凄いかも分からない。
とことん負け込んで駄目かというときどーんと大勝ちするタイプかも知れない。
できれば,彼のそんな面も知ってみたい。

私も結構野球好きで,というか,少年時代は野球しかなかった,
テレビではなく,ラジオで野球中継を楽しんだ。
子どもなりに,配球を推理したりするのが好きだった。

テレビが普及し画面でも選手を確認できるようになったころだ思う。
九州高鍋高校のエース清俊彦(せいとしひこ)選手が記憶に残っている。


確認のしようがないのだが,彼のピッチングフォームが好きだった。
流れるように,むちがしなるように,しなやかに投げるのだ。

細身なのにびゅんと球が伸びてくる感じ。
彼は100勝投手,ノーヒットノーランもやっている。
間柴投手もそんなタイプの選手だったように思う。

阿波野・堀内・能見・岩熊などが彼等によく似たタイプ
間違っても,筋肉隆々の松阪とか,阪神の安藤,昔の阪急米田というタイプではない。
「筋肉」で投げるのではなく,「」で投げるタイプ。
肉と筋の違いだが,焼き肉屋さんと違ってこの手のタイプが私は好きだった。

素人ながら私の持論。
「投手は筋肉系は駄目」
松阪なんかは大リーグに行って,無理矢理,食事・薬・サプリで筋肉をつけたのではないだろうか?
身体は出来ても肝心の投げる筋肉というか筋というか,そのあたりが駄目になったように思う。
投手は撫で肩が一番
唯一の例外はえもんかけと言われた巨人の高橋一三投手
いまだにあの肩でプロ野球で活躍したのが信じられない。
ユニフォームの下に肩パットを入れていたにちがいない。

ぐだぐだとまとまらない話に付き合っていただき感謝。
そんなに肩いからせて怒らないでね。