長いこと、一緒に過ごしたなかで
一番最初の風景として、記憶の中に
残っているものは、なんなんやろうと
以前、思い出そうとしたことがあって、
完ちゃんに関する、一番幼い私の記憶は、
古いほうの家の台所で、完ちゃんが
晩御飯の用意をしていた時のこと
昔から、いつも母は、白い割烹着
を着ていたので、何か野菜を切っている母の
左横に立って、割烹着のポケットのあたりの布を
ひっぱりながら、
お母ちゃん、何、作ってるん?
卵焼き?
と、尋ねると、完ちゃんが、
もうちょっとやから、危ないし、
あっち行って待っとき!
と言うものの、なんとのう立ち去り難うて
ずっと割烹着をひっぱりながら、黙って
ご飯の用意を続けている、母の傍にいたこと。
そして、父に関する一番幼い記憶は、
保育園に通い始めたころ、私ひとり
節分の夜に風邪をひいて寝込んでしまった
夜のことです。
節分にお寺の周りに出る露店のなかに、
指人形を売っている露店が、あって、
そのお店に、人形を買いにいくのを
ずっと楽しみにしていたのに、
壬生寺の夜店に行けへんいうて、泣いていたら
父が、指人形、いうのを買ってきてくれたんです。
そやけど。。。
私が欲しかったのは、1本、1本の指にはめる
指人形で、父に買ってもらったのは、
片手全体に、手袋のようにはめる指人形やったので、
こんなんと、ちがうんねん!!
こんなんが欲しいんと違うねん!!
と、父に向かって、布団の上に指人形を投げつけた時、
なんともいえへん、困った様子で、哀しそうな顔を
した父が
どんなんがええんかわからへんかったから。
もいっかい、行って買うてこうか?
と言いながら、投げつけられた紺色のフェルトの
指人形を、そおろと拾っていた姿、です。
そうそう、あと、いつも寝られへんというと
父が自分の布団の中に入れてくれて、
<畑の泥棒>いう怖~~~い話をしてくれたのも
懐かしいです。(*^^*)
シテシテシテシテ。。。と言いながら
畑の畦道を、追いかけられた泥棒さんが、逃げていく
そのくだりは、いつも可笑しいて、二人で
布団のなかで、大笑いしたのを覚えています。
そして、私自身の、一番最初の記憶は、
うちが、着物の染め物工場をしていたので、
いつも、工場の横にある、支度部屋で
家族やら、働いてくれてはったひとやらみんなで
翌日に染めるための着物の下準備をしていました。
当時、私は保育園の小さい組で、本が好きで
<ひかりの国>いう、月刊誌を買ってもろてました。
それには、いつも小さい付録がついてきていたのですが、
ある日、肩から下げる小さい、緑色の、
今でいういポシェットみたいな小さいカバンが
付録についてきたことがありました。
そうや!!ええこと思いついた!!!
そう思うて、そのポシェットのなかに、
家の救急箱の中にあった、中途半端に残ってる
使いかけのお薬やバンドエイドやらを詰め込むと
支度部屋まで走って行って、入口でみんなに
得意げに、大きな声で、伝えたんです。
みんな、ちょっと聞いて!
私が、バンドエイドや薬やら、ここに色々持ってるさかい、
しんどうなったり、怪我したりしたら、
すぐに、言うてな!
子供なりに、なんとも、すごいことを思いついたと大喜びで
みんなに伝えたのにも、かかわらず、
父も、母も、家族は、みんな、だんまり(*^^*)
黙々と、翌日の支度を続けていましたから
がっかりしている私を見かねて、働きにきてくれてはった
まさる兄ちゃんだけが、声をかけてくれはりました。
ありがとうな。今は怪我してへんのやけど
また、怪我したら、バンドエイドもらいに行くしな♪
そう言うてもろて、ほんまに嬉しいて、それからしばらく
ひかりの国のポシェットをずっと大事にいつも肩から下げて
困ってはるひとがあったら、これがあるさかい
すぐに、自分が手当を、お世話をしてあげられる、
そう信じて、ずっと待ち続けたのでした。(*^^*)
幸いというか、なんというか、私のまわりで、
救急ポシェットの必要なひとは、出えへんかったので
いつのまにやら、その小さな緑のポシェットは、
肩から下げへんように、なっていました。けど、
考えてみたら、それが、私の原風景、
私という人間の原点、なんかもしれへんです。
ひとの役に立ちたい、困ってるひとがあったら
自分にできることをしてあげたい、
そうできたら、嬉しい。。。
つまり、
長い間、母や父のお世話をしてきたのも、
自分がそう、したかったから、で、
ひかりの国のバンドエイドの、緑の救急ポシェットの
延長やったんやって、近頃、思ったりしています。(*^^*)
ひとは、そんなに変わらへんもん、かも知れへんですね。(*^^*)
