呼吸が止まった瞬間 | 結川さゆきオフィシャルブログ「To be part of...」Powered by Ameba

結川さゆきオフィシャルブログ「To be part of...」Powered by Ameba

株式会社アート・エージェンシー
お仕事のご依頼はこちらまで
info@art-agency.co.jp

皆さんこんばんは。


皆様からの暖かいコメントやメッセージ
イイネなどありがとうございます♪

落ち着いたらブログを再開すると
書きましたが
忙しい時こそふと気を抜くと
涙が溢れてとまりません。

そしてまだ鮮明な記憶と
自分の感情を
書き残しておきたいと
思います。



これより先の閲覧は
皆さんのご判断にお任せ致します。









2020年12月31日
午後に年内最後のブログを書いて
良く寝ている巖ちゃんを看ながら
ささっと夕食を済ませました。

それから19時過ぎ
様子がおかしいなと感じました。

目を閉じると無呼吸になり
ハッと目を開ける
それを繰り返しておりました。

それからすぐ痛いと私の手が
真っ赤になるほど握り
レスキューを2回追加。


痛みは治ったものの
無呼吸状態は治らず。

22時にママのナース仲間が
御節やら天ぷらなどを
持ってきてくれて
巖ちゃんの状態も確認してくれました。


ママのお友達から
心配がうつっちゃうから
笑顔でいないとだよ〜と
励ましてくださったのですが
嫌な予感しかしなくて…


そうこうしているうちに
年が明けて
巖ちゃんに新年の挨拶をしたら
手を握って欲しいと。。
ずっと手を握っているのですが
急に熱く感じたので
熱があるかもしれないと
測ってみたら37.5度。。

大騒ぎしだす私に
少し様子見てみようと
冷静な2人。。


とにかくもう寝なさいと
言われ
ベッドに入るも
夢ばかりみて眠れなくて
5時頃気になって起きようとしたら
訪問看護の方が来たタイミングでした。


その時のママは
弟やおばさんたちに連絡して。
それが終わったら
「お父さんの傍にいてあげて」
この言葉で全て察した…


先ず弟に電話して
それから巖ちゃんの兄姉妹に電話した。

それから巖ちゃんの所に行くと
鼻からだった酸素が
口に変わっていた。



1リットルで流していた酸素も
3リットルに。

もっと上がらないの?と聞く私に
今酸素屋さんが7リットルの機械を持ってくるとママ。

熱があるから先生の指示で座薬を
少し入れたよ。

お姉ちゃんバイタルや酸素フォワード
こまめにはかってねと。



弟が来て、巖ちゃんのお姉さんが娘と
来て
弟の奥さんと娘たちが来て
巖ちゃんの妹が来て
お姉さんの息子2人が来て
巖ちゃんのお兄さんがギリギリ間に合った。
都内に住んでいる親戚は
すぐ来てくれました。



7リットルの酸素の機械も
届いたが何とかなるものでは
ないのも感じていたが
もしかしたら?と言う私達家族の
最後の願いでした。


バイタルは結局最後まで取ることが出来ず
酸素フォワードは
98とれる時もあるし
85だったり
不安定でした。

鼻から入れていた
マーゲンチューブから
胆汁もほぼ出なくなり
肩で息をする様になり
何かを話しているんだけど
聞こえなくて
呼吸が不安定で
息をしなくなると
声を掛けて
又息をして。


ママはお父さん
私は巖ちゃん
すぐ下の弟は親父
1番下の弟はダディー

声をかけて
手を握って
甲斐もなく
呼吸が止まってしまった。。


人生で初めて
人が亡くなる時に
傍にいて
それが愛している父親で
こんなにつらくて
悲しくて寂しくて
パニック状態で
自分じゃないみたいで。


でも家族や親戚に囲まれて
眠りについた巖ちゃんは
寂しくはなかったんじゃないかと
思いたいです。


ふと時計を見ると
お昼の12:05でした。


しばらく巖ちゃんから
離れられない私に
ママや弟が
声を掛けてくれました。


ドクターが来るまで
葬儀屋さんも決めないとねと。


これが現実なんですよね。


パニック状態で
仲良くしている地元の先輩に
電話した。


巖ちゃん死んじゃったって
大泣きしながら電話したら
会社の繋がりもあるんだし
家族でちゃんと話してから
葬儀屋は決めた方がいいぞと
言われた。

ただ、斎場の空きは今聞いて
押さえておくから
何かあったら電話してこいと
言われた。


家族と話すと
お姉ちゃんの付き合いに
お願いしよう。
会社の付き合いの所は
お花だけお願いしたり
出来るからって。
葬儀屋によって
嫌な思いした人沢山いるから
仲良くしてる先輩なら
嫌な思いする事ないでしょ?と。


その後先輩の所で
お願いする事にした。


その時点でDr.が来る時間を聞かれて
1時間後くらいだと
伝えると
14時前に着くように行くから
取り敢えず
今は巖ちゃんの傍にいて
Dr.待てと言われた。


それから
幼馴染達全員に電話した。
後は全て任せようと思って。。



13:23
主治医の先生が
死亡確認をする。
先生、巖ちゃんダメだったよーと
大泣きする私に
優しくダメだったかーと
返された。
そして書類の作成に入る。

病院関係は全て私が任されていたので
最後まで私がと思い
書類を仕上げる。


先生からの最後の言葉は
巖さんはね、緩和ケアで診ていた患者さんの
中で2020年最も入院が多かった
患者さんでしたよ。
そして手のかからない患者さんでした。
痛みのコントロールって
本当に難しくて。
痛みには強い人でしたよと。
ウチの病院は入院する度
主治医が変わって
誰が主治医がわからなくなるんですよ。
なので緩和ケアでずっと診ている
僕のことを
主治医だと思ってしまうんです。
俺の主治医は○○先生だと
言っていたけど
実際は違くて…
でも最後は主治医になりました。
白黒ハッキリしてて
せっかちだからなぁー。
早いよ巖さん。


先生を見送り
葬儀屋さんを待ちました。



続く




@2020年12月31日
夕方自宅から見えた富士山🗻
巖ちゃんが好きな景色でもあります。