借りてきた本 | 難聴と共に生きる さよこの日記

難聴と共に生きる さよこの日記

どうにもスッキリしない毎日を送る50代女性のつぶやき日記です。

こちら、朝からすごい雨☔です。


みなさま お住まいのところは、いかがですか?大丈夫でしょうか。


昨日、久しぶりに図書館に行ってまいりました。


湊かなえさんの小説を1冊借りて、

それから、こちらも。




今年の12月に、いよいよ60歳になるわたしと、12月65歳になる夫。
わたしたち夫婦は、結婚が遅かったので、こどもたちはまだ20代で、ふたりとも独身です。

老後がもう目の前に迫っていて、『考えなくちゃ』と思いながら、何もしない間に、老後に半分突入してしまいました。
( ̄▽ ̄;) どうしましょう。



そして、もう1冊
こちらを借りてまいりました。


タイトルにひかれて、なんとなく手にとった本です。


わたしね、何かイヤなことがあったときや、仕事でミスした時など、

いつまでも、それをひきずるんです。
そりゃあもう熱心に💧‬

少し年上のわたしの同僚は、ミスはすぐに忘れて、ほんとに覚えてないので、いつも朗らかです。
正直、『もうちょっと覚えておこうよ』と思うこともありますが、あんな風に、朗らかに軽やかに生きられたらいいなと思います。



少し違いますが…

先日の…いとこの逝去も、わたしは、情けないことに、いまだショックで、気持ちが沈んだままです。
毎朝目が覚めると、『現実なんだ』と再確認しては、また沈むのくりかえし。

わたしがデリケート過ぎるのでしょうか?

葬儀で一緒になった70代のいとこにも、『さよこちゃんは、デリケートやな』と、言われました。

まもなく60代なのに、情けない。

いつまでも 若い子みたいに敏感で💧‬

図太くなりたいです。



この著書のなかで…

”忘れ” があるというのは、心よわい人間にとって、大きな福音である。



人間、すこし にぶい方がいいのではないか。

などと書かれていました。

わたしも、忘れたい。
ココロ ヨワイ ニンゲン ナノニ。

そうそう💡、『鈍感力』っていう本もありましたよね。


そして、

そうかんたんに忘れることはできない。
そういう人は頭がよすぎるのである。
デリケートすぎるのである。

と、書かれていました。

そうか、頭が よすぎるのか。わたし 滝汗
褒められてる気がしないけど。


何から何まで、自分の責任であるように考えるのはエリートの思い上がりである。


とも書かれていました。

なるほどね。



確かに、わたしは、責任感が強すぎるのかもしれません。
自分でもそう思うし、夫にも言われることがあるのでね。

そして、それって、わたしの 思い上がりなのか。

あ、そう言えば、30代のとき、精神科医にも言われたことがあったなうーん

思い出しました。

長男を出産した頃、かれこれ28年ほど前ね、

わたしは、新興住宅地に住んでいました。

そこは、同じような若い世帯ばかりが住んでいて、夏になると、自宅前のプールで、みんな一緒に、こどもたちをワイワイにぎやかに遊ばせたり、夜は花火をしたりするようなところでした。

そこで、長男と同じ歳のこどもをもつ、明るく、近所にママ友が多いお母さんと少し親しくなりました。

『うちでプールやるときは、さよこさんにも声かけるね』と、言ってくれて、うれしかった。

でも何が原因かわかりませんが、いつの頃からか、会っても無視されるようになったのです。
わたしなんて、まるで居ないひとのような扱いです。

べつに、その人に甘えて、彼女の家にばかりお邪魔していたわけでもありませんし、そもそも、行き来をひんぱんにしていたわけでもないので、突然の、彼女の態度の豹変にとまどうばかり。



近所にママ友が多い彼女なので、彼女に無視されると、周りも皆、わたしを嫌っているような気がしてきて、

わたしは、怖くて、次第に外に出て行けなくなりました。

その頃、精神科に通院しまして。

わたしが、こんなお母さんでこどもに申し訳ない。こどもに友達をつくってあげられなくて申し訳ない』と、精神科医に訴えたのです。

すると、医師は

『お母さん、こどもは自分で友達を作るんです。
自分のせいで友達ができないと思うのは、それは、お母さんの思い上がり です』

と、わたしに言ったのです。

この話を 思い出しました。

あの頃、この言葉で、わたしは少し救われたんだった。




肩の力をぬこう。
深呼吸しよう。