セミナーやセッションを受けて余計落ち込んだり惨めになったことがある?
世には、様々な「セミナー」や「セッション」があります。
元気になりたくて、もっと幸せになりたくて受けたはずなのに、
「期待外れ」くらいならまだしも、
傷ついたり、
なんか余計凹んだり、
自己嫌悪が増したり、
劣等感がより強くなったり、
という悲しい結果になる方もいらっしゃいます。
一番の原因は、
「その提供者(講師、ヒーラー、コンサルタント、など)と合わなかった」
ということなんですが、
ではなぜ、そんな人を選んでしまったのかというと、
「期待外れ」については、
「自分が本当に求めるもの」を自分でしっかり把握していなかったから、ズレた提供者を選んでしまった、
なんですが、
それが、「傷つく」とか「より惨めになる」ようなダメージを負うまでになる場合。
それは、その人が、
「今の私は至らないところだらけ」とか、
「私は直さないといけないところがある」とか、
「私はもっと努力しないといけない」とか、
つまり、
「今の私は嫌い」
「私はダメ」
と思ってるから、なんですね。
そういう信念(自己イメージ、思考パターン、ブロック)があるから、
「それを体験させる現実」を引き寄せたんです。
「提供者と合わない」というだけでなく、提供者とのやり取りで嫌な思いをすることももちろんありますが、
提供者に攻撃や指摘の意図がなくても、受講生さん自身の世界観がそうだから、何もかもをそう受け取ってしまって、自分の世界の中で一人傷ついてる、というパターンもあります。
ただどちらにしろ、根本の問題というか、気づくべきは、
その人が
「私はダメ」
「今の私は不足している」
「もっと頑張らないといけない」
みたいに思っている、ということ。
これがあるから、人も出来事も、そういう場を引き寄せるし、惨めで悲しい思いをするし、後悔や自己嫌悪の世界になっているんです。
「ダメなところを直したい」で提供者を探すと、
「ダメなところを指摘してくる人」
「自分はダメだと思わせられる人」を選んでしまうことがあります。
「ダメなところを直したい」も、その人の願いの道のりの一部ではあるので、方向性としては間違いじゃないんですが、それは「手段の一つ」であって、真の目的、願いじゃないんですね。
気付かないといけないのは、
ダメなところを直して
「どうなりたいか」
今の悩みを解決したら
「どうなれるのか」
という結果で、これが本当の願い、欲しいものなんです。
つまり、
「私はダメをもうやめたい」
「自分を好きになりたい」
なんですが、
もう少し進んで、
「そうなった先の自分」、
「その感覚」にフォーカスすること、
そして、
「そうなる」と決めること、です。
ここまでマインドセットできると、もう現実がそっちへ動き出しているので、それに必要な情報もどんどん来るし、直感、ひらめきも来ます。
例えば、セミナーやセッションを探すにしても、自分にとって合う、合わない、必要なのかそうでないのか、分かるようになります。
ぶっちゃけると、そうだとしても「私はダメ」とか「もっと頑張らないと」とかいう思いがまだあるわけなので、そう思わされる現実(セミナーやセッション)を選んでしまうこともあるんですが、
ぼんやりと受けていたころならそこで打ちのめされて、「ああやっぱり私はダメなんだ…」と同じところを堂々巡りしがちだったのが、
「私はダメを辞めたその先に行く」ということをもう決めているので、
その経験からも何かを掴んで、もっと先に進むことができます。
ぼんやり受けていたころも、しっかり顕在意識に落とし込まれていないだけで、本心の願いはもうそうだったわけなので、どっちにしろ「私はダメを辞めたその先」には向かいます。
ただ、イメージ的に、「私はダメを辞めたその先」を顕在意識で自覚出来ていないと、なんていうか、「大きな螺旋を描くように進む」感じになります。
はっきり自覚できるまで意図できるほど、「螺旋の円が小さくなる」というか、まっすぐに近づくというか、ゴールがどんどん早くなります。
「私はダメを辞めたその先」については具体的にイメージできなくても良くて、
それよりも、
「そこにいる」
「そうなった」時の自分の心、感覚、
そういうのを感じるのが良いです。
未来はまだ決まっていなくて、体験したことがなく、まだ知らない世界で景色なので、今の自分が具体的にイメージなんてできるわけがないんですよ。
だから「大体」で良くて、
「こんな感じだけど、うまく言えないけど、なんか“もっと良い感じ”な感じがする」みたいなワクワク、
「安心で楽で幸せ」を感じていたら良いです。
「そうなった先の自分」、「その感覚」にフォーカスする。
そして、「そうなる」と決める。
そうすると、たくさんのそのための手段が目の前にもたらされますが、
「変わる」というのは、それが今までの自分から離れるほど勇気がいるもので、
その手段が大きく自分を変えてくれるものほど怖くて、ドキドキして、ザワザワして、キューっと縮こまるような感覚になって、
場合によってはバンジー飛ぶくらい勇気が要ったりしますが、
怖いものほど学びは大きいし、一気に進めます。
とっても大事なことは、
「このセミナーやセッション(この人)だったら私を変えてくれるかもしれない」
という依存の心ではなくて、
(というか、表面がそうであるのは良いんですが、そうでなくて)
その奥の大前提として、
「私は変わる」という決意が根本の土台にあって、
どんなセミナーであれセッションであれ、
「これ(この人)だったら私は変われる(私の目的に役立つ)かもしれない」
みたいな、道具、手段として選ぶ意識、
自分が「主」の意識で選ぶと間違いないです。
この意識で選ぶと、どんなセミナーもセッションも、その体験で多少痛くても、その痛さは惨めさや悲しみにはならず、単にクリアする課題で、
それをこなした後の爽快感や喜びや、嬉しさや、
そうなった自分を感じる充実感や、
見える世界が違って見える新鮮さや、
そういうワクワクやドキドキ、ときめき、充実感、
それまで味わったことがないような
キラキラした「たくさんの感動」が味わえます。
→「潜在意識や集合意識や、過去や過去世、時間や空間や次元を超えた様々な領域にアクセスしつつ干渉する」というのがヒーリング