「ヒーリングで病気は治るのか」という問いについての私の見解。
この世って、誰しも未来が分からないようになっていて、
「こんな日が明日も明後日も続くのだろう」と油断していたところへいきなり、青天の霹靂のような出来事が起こることがあります。
心の準備なんて出来ないまま、ある日、どん底へ叩き落されて、世界が一瞬で色を失ってしまう。
「なんで私が?」
「なんで私だけ?」って、
抗いようもなくどうしようもなく、自分の無力さに絶望しながら、誰を恨んでいいか分からないようなショックなことが、いつでも起こりうる。
こんなひどい世界だから、
誰もが必死であがいて生きる、このハードな世界だから、
神様や、宗教や、スピリチュアルや、ヒーリングみたいな、救い、心の拠り所が、必要なんだと思います。
ヒーリングで病気が治ったり、寿命が延びることはあります。
でも実はそれは、ヒーリングの効果だけで、というわけではなく、
①そもそもそこで死ぬ予定ではなく、「どっちみち治る予定だった」場合
②本当はそこで終わる予定だったけれども、本人が「治る」「生きる」と決めた場合
この①と②のようなとき、ヒーリングで「病気が治り」、「寿命が延びた」ような結果が起こります。
(それでもヒーリングをしたその時に症状に何らかの改善、治癒が起こったとしたら、それは「ヒーリングが効いた」のだけれど、その場合のヒーリングは「治る運命」という中の一つの要因でしかない)
例えば癌でも、本人が「治る」と決めていて、「まだ生きる」と決めたら、たとえ本当はそのタイミングで寿命だったのだとしても、治ったり、寿命も伸びることはあります。
その場合、どんな方法の治療であっても、
現代医療、薬、抗がん剤や放射線でも、自然療法でも、ヒーリングでも、それらの併用でも、なんでも、「治る」結果になるんです。
逆に、本人が「治さない」「ここで寿命を迎える」と決めていたら、何をもってしても治りません。そのまま逝きます。
もちろん、ほとんどの人は、本人の顕在意識では「生きたい」「死にたくない」と思っています。
でももっともっと奥の魂、生まれてくる前のこの世での予定、それを変更するほどの「新しい何か」を本人が見つけない限り、この地球での「その人」の人生は終わります。
生きる人に対しては、ヒーリングは、うまくその人に響けば奇跡的な結果も起きることがあります。
心にも、身体にも。
特に、ヒーリングに対して受容的な心の人には、効果も出やすい。
本人が「効いてもいい」「これで変化してもいい」と決めているからです。
ヒーリングって、とてもパワフルでありながら、でも、この世界においては「本人の自由意志」を超えるものではないので、ヒーラーとしては、時に、無力感で絶望します。
「治したい人を、期待したように治せるわけではない」から。
治すことはできなくても、例えば癌や、他の病において、その病気の痛み苦しみ、治療や薬の副作用の辛さ、そういうのを、和らげることはできます。
病気が治らず、どんどん進行し、死の恐怖と向き合わされるその人の心の苦しさ、孤独を、癒すことはできます。
私たちは、必ず「死」という「時」が来ます。誰にでも。
大切な、かけがえのない存在の「時」に立ち会わなければならないし、
自分にもやがて、「時」が来ます。
それがいつなのか、どのように来るのかもわからず、対抗することも、覆すこともできず、
いざ「時」が始まったら、
その「時」が、かけがえのない存在でも、自分自身でも、そうなれば私たちはみんな、ただ、その地獄の苦しみに耐えながら受け入れ続けるしかない。
この世の「どうしようもない苦しみ」を癒してくれるのが、
「考え方を変える」とか、「習慣を変える」とか、そういうレベルではない苦しみ、
そのつらさから救ってくれるものが、ヒーリングだと私は思っています。
病気、体の不調は、心の在り方によって筋肉や、様々な体の代謝や機能に影響して起きていることも多いです。
それには過去、過去世、遺伝で受け継いだ心の質、先祖の心の在り方やそれからの体質、すべてが絡んでいます。
ライトであれハードであれ、
今の悩み、
困りごと、
叶っていない願い、
それらの原因を根本から、「すべて」のレベルでしっかりヒーリングしたら、「今の困りごと」「悩み」も解消するのと同時に、「今」の体調不良や病気に良い影響が出ることもあり得ます。