ヒーリングによる「好転反応」とは。
「ヒーリング」というものの後、心や体調に不快な状態が起こることがあります。
「好転反応」と言われていて、変化が大きいほど、そういう状態が起こりやすいです。
個人差があるけれど、数日~数週間くらい、心や体調に好不調のアップダウンを繰り返します。
それが強いと気付くだけで、ヒーリング後というのは、実はみんな何かしら起こっています。
まあでも、それはいつか終わるし、そう長くは続かないものですが。
例えば、過去「SOUマスターコース」を受講されている方にもそれは起こっていましたし、私のセッションを受けた方にも起こっていました。
もちろん私自身もセルフワーク後は起こるし、
コース中に受講生さんと一緒にやっていくときには「SOU」の脳波状態でやるので、私にもいくらかそういう反応が起こります。
「ヒーリング」って、過去や過去世、遺伝、その人の全範囲をリフォームするみたいなものだから、一気に大規模にやればやるほど好転反応も強く出やすいです。
「ヒーリング」って、整形手術みたいなものかなと思います。
自分の容姿をどう感じるか、それは人それぞれで、目が小さいとか一重まぶたとか、足が太いとか、お腹が出てるとか、お尻の形、シミやシワ、毛深いとか、
「他人から見てどうか」じゃなくて、
「本人にとってそれがコンプレックスなのかどうか」なんですよね。
それのせいで
自分に自信が持てないとか、
どうしても好きになれない、
どうしても納得できない、
どうしても変えたい、
そういう人が整形手術を受けています。
手術だから、痛みはあるし、術後も傷が治るまではやっぱり痛いです。
でもその痛みを乗り越えてでも変わりたい、きれいになりたいと思うから、大金かけて痛い思いして手術するんです。
ヒーリングも、それが悩みでもなんでもない人、それほど気にならない人にとっては、なんでそんなことでそんなに悩むのか分からないかもしれないけれど、
本人にとっては大問題で、だからヒーリングセッションを受けたり、セミナーで学ぼうとするんだよね。
ヒーリングも、整形と同じで、大規模にやるほど傷も大きく広範囲になるし、やってる最中も痛いし辛いし、後の状態が治るのに時間がかかります。
「好転反応」って、まあ、そんな感じです。
「好転反応」が起きると不安になったり心配しすぎる人も多いのだけど、
ヒーリングで病気になったり死んだり、不幸になったりなんてしないし、
逆に、それで病気が治ったり生き返ったり、幸せになることもありません。
自分がそうなることを望んだらそうなりますが、ヒーリングでそうなるわけではないのです。
ヒーリングにそういう力があるのではなく、誰もが、なりたい自分になる力があるから。
→「ヒーリングで病気は治るのか」という問いについての私の見解
占い師や霊能力者やヒーラー、医者にカウンセラー、
誰であっても、誰かを病気にしたり治したり、運命を操ったり、そんな力はありません。
自分自身以外に、自分をどうにかすることはできないから。
「ヒーリング」を始めたころは必死で、自分の嫌いなところ、気に入らないところ、コンプレックスを変えよう、直そうとやりまくって、「好転反応」もたくさん経験して、
だけど、今の私になれたのは、「ヒーリング」のおかげじゃなくて、「過去の私」がそうありたい、そうなりたいと頑張って生きてくれたおかげ。
何度もバンジー飛ぶような思いでハードル越えて、たくさん転んで、身体使って経験しまくって、生きてくれたおかげ。
「ヒーリング」で悩みがなくなったり、素晴らしい自分になれたわけじゃない。
そうなりたくてやっていたけど最初は、でも、やればやるほど逆というか、
「良い・悪い」が無くなっていって、
「ダメでもいいや」の自分でも良いし、
「ダメじゃいけない」と思ってても良い、になっていきました。
「自分を許せても許せなくても、好きでも嫌いでも、どっちでもいい」になっていった。
悩んでてもいいし、
「自分を嫌っちゃいけない」と思ってもいい、
「自己嫌悪する自分に自己嫌悪」でもいいし、
向き合っても、
逃げてもいい。
表面は、「こんな自分じゃダメ」とあがく自分がいるけれど、
どこかで「ほんとはそれどうでもいいんだよね」と分かってる自分がいて、
みたいなね。
ある意味「悟り」(笑)
SOUヒーリングを自分にやりまくって、ひと段落したあたりからかな、
何の脈絡もなく、不意に、ものすごく幸せを感じる瞬間があります。
特に理由はないんです。
「ご飯食べれて幸せ」とか、
「猫が元気で幸せ」とか、
そういう日常の細やかなことももちろんだけれど、
そもそも、何かが「出来た」とか、「ある」とか、具体的理由はないんです。
なんか、ただ、幸せ。
幸せが滾々と沸き出てくるような、
幸せにしみじみと満たされるような、
「幸せの中にいる」感覚。
喜怒哀楽はあるし、
嫉妬も、妬みも、
劣等感も、焦りも、
自己嫌悪も、
無くなってないんだけど、
悩みもあるっちゃあるし、
でも、それ全部「無い」ともいえる、みたいな。
整形手術やりまくりモード(ヒーリングやりまくり)の時は、たぶんね、「人(外)から見た自分」の視点で自分を見ていました。
でも、やってやってやりまくって、いくうちに、
目線、視点が「人(外)」から「自分(内)」に変わった、から、
「変えても変えなくてもどっちでもいい」になったのだと思います。
世の「当たり前」基準、「常識」も「普通」も「道徳」も、自分じゃない他人の価値観で、
「どうみられるか」
「どう思われるか」視点なんですよね。
それに合わせていたから辛かったので、その基準が自分になっていくほど、自分の世界から「他人」がいなくなって、
そうしたら、「自分がどうしたいか」だけになっていく。
「ヒーリング」って手段で、道具みたいなもので、私にとっては最高の「おもちゃ」でもあったんだけれど、
いろんなノウハウ、手法、考え方を学んでいた頃、
「学ばなきゃいけない」と思っていた頃は「道具」だったそれ、ひと回りした今は、「道具」でさえなくなりました。
「ヒーリング」は日常で、
生活で、
空気で、
呼吸で、
私自身、
身体、
細胞、
五感、
私そのもの。
この感覚が「ヒーリング」でね、
「ヒーリングを学ぶ」っていうのは、「思い出す」こと。
私が伝えたいことがあるとしたらこれで、セッションもセミナーも、それはただの手段であって、伝えたいのはこのこと、なんですよ。
→「悩み」からも「自分探し」からも「ヒーリングジプシー」からも卒業したい