南阿蘇から | Pura Vida !! ぷ~ら・びぃ~だ !! ‐ コスタリカ ‐

Pura Vida !! ぷ~ら・びぃ~だ !! ‐ コスタリカ ‐

中米コスタリカに棲む動植物たち

熊本地震
まだ余震は続いてますが
ようやっと部屋のパソコンに向き合える
気持ちの余裕ができました。
ご心配頂いた方々
改めてありがとうございました。

4月14日の夜9時代の前震は震度5強でしたが
少し軽いものが落下する程度で済みました。
ただその後は夜通し
ゴーという地鳴りのあとに揺れる
なんとも不気味な地震が続き
不眠のまま朝を迎え仕事へ。
15日の夜は地震の回数も減り
安堵して早めに就寝…

そして眠りに就いて3時間後…
突然ベットから体を突き飛ばされるような衝撃のあと
家が壊れそうなぐらいの激しい揺れ
揺れと同時に携帯から鳴る地震警報と
落ちたり割れたりの音が家中に響きわたり
電気も消え
暗闇の中での恐怖を覚えながらも
身動きもできず…

少し揺れが弱くなって起き上がるとまた激しい揺れ
弱くなったり激しくなったりの繰り返しで
一向に揺れが収まる気配もなく
(体感的には5分近くは揺れ続けてた感じだった)
たまたま枕元に置いてた懐中電灯とバックと
クローゼットから落ちてきてた寝袋を抱え
まだ揺れが続く中
1階へ下り
母を連れて車に乗り込み
隣の空き地に移動。

南阿蘇村はもともと
村内で被害が酷かった立野地区などがある元長陽村
被害が酷かった西原村と隣接する元久木野村
被害が割と少なかった高森町側の元白水村
が合併したところ

我が家は西原村に隣接し
立野地区の土砂災害現場も
前方に望める地域にも関わらず
築10年未満の別荘地帯ゆえ
運よく倒壊は免れ
あちこちの壁に細かいヒビが入った程度で済みました。
ただ近くの昔ながらの民家は数件倒壊
道はヒビ割れ陥没等で通れないとこ多々…

本震は震度6強と言われたけど
前震の震度5強との揺れとは格段の差。
益城町や西原村の震度7は
どれほどの恐怖だったのだろう?
考えただけでも心が痛みます。

我が家の近くにスーパーがないこともあり
普段から家にいろいろとストックがあったため
外でカセットコンロで調理し
水は近くの道の駅に湧き出る水を汲んで
近所の人たちと仮電気と水が来る20日まで
避難所へ行くこともなく車中泊で
孤立の場をしのぐことができました。

20日にはガソリンスタンドも
お隣の高森町のスーパーも営業し始め
南阿蘇にある職場も大きな被害がなかったため
20日から出勤して
患者さんの対応に追われつつ…

家が損壊して避難所、車中泊生活の
友人知人に食糧を届けに行ったり…
配給所ではお年寄り子供優先ということで
食糧をもらえないこともあったので…

余震が続くため
我が家も10日間ほどは
車中泊だったこともあり
家の中は片づける気力もなく…
ようやっと連休に入って
ボチボチ日常生活に近づけている感じです。

福岡、宮崎、熊本の親戚や友人たちから
いつでも避難しにおいでと
あたたかいお言葉をたくさんいただき
感謝しております。
そして
自衛隊、全国各地から駆けつけた救援の方々
たくさんの支援物資
目の当たりにするたび
有難く感謝の気持ちでいっぱいです。

避難されて心痛を抱えていらっしゃる方々が
まだまだたくさんいらっしゃいますが
少なくとも私や家族や友人知人たちは
前向きにやってます!

この地球上に住んでいる限り
自然災害はどこでも起こりうるもので
誰を責めるものでもない
真摯に受け止めざるを得ないものだと
小さいころから
災害のたびによく孤立していた
自然とともに歩む椎葉村で
植えつけられた私の持論です。

ちなみに
コスタ・リカのモンテベルデ滞在中も
大雨で道路が寸断され
数日間孤立を経験しました。
もちろん田舎なので
不自由は感じなかったですが…

これから先
またどこでどのような自然災害があるのか
想像もつきませんが
皆とともに今を共有できることを
感謝して過ごしたいと思います。
これからもよろしくお願い致します!