How My Heart Sings!〜日本語で歌うということ〜 | ジャズ・ヴォーカリストMASAYOブログ   〜高慢と偏見〜

ジャズ・ヴォーカリストMASAYOブログ   〜高慢と偏見〜

ジャズヴォーカリストMASAYO/北海道出身

こんにちは!MASAYOです。まだまだ寒い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。私は現在、3月に行う4年半ぶりのライブに向けた準備を進めているところです。近々再び、Facebookなど各SNSでご案内させて頂きます。(個人で存じ上げている方々には今後、メッセージやメールでもご連絡差し上げる予定です。)


さて、そのライブの際、日本語のオリジナル歌詞で一曲歌うつもりです。


選んだ曲は、How My Heart Sings!。


アール・ジンダースという人の作曲で、ビル・エヴァンスの演奏が有名なこの曲にもともと歌詞はありません。以前もお伝えしたように、ジャズにおいては歌詞がついていないインストものに後でヴォーカリストが歌詞をつけて歌っている、という曲がちらほら存在するのですが、こちらもそのようにして、多くのヴォーカリストに取り上げられてきました。


この曲をぜひ歌おうと決めたとき、私も自分で作詞することを思いつきました。そして最初は英語で考えたのです。経験上、ジャズのリズムにはアクセントの強い言語が向いていると知っていたので、英語でないとなじまないのではないか、と思ったからです。ところが。自分がこの曲から連想する世界は日本語のほうが著しやすかった。その感性に従い結局はそうしました。曲自体それほどジャズ色の強いものではなかったので、日本語でも十分成立していると今思います。


歌詞の中身は当日のお楽しみにしていただくとして、これまでも何度かお伝えした、自分が日本語で歌詞をつけたことの意味のようなものを再度書いておきたいと思います。それは自分のジャズへの態度とつながるもので、そのスタンスを忘れないためです。


10年ほど前にジャズを歌い始めた当時、カラオケを歌うような感覚で、あまり何も考えてはいませんでした。ジャズヴォーカルを聴いてはいましたがジャズというジャンルのことはよくわかっておらず、ジャズヴォーカルも、単にポピュラー音楽の基礎のようなものだとしか感じていませんでした。


どんな物事でもそうですが、やがて上達しようと思ったら、より専門的なレベルに足を踏み入れることになります。私も思い切って近所のカルチャーセンターの集団レッスンを飛び出し、神戸までジャズヴォーカルの個人レッスンを受けに通うことにしました。


そこでいよいよリズムやスキャットや理論など、ジャズ言語のむずかしさを思い知ることになります。


自分の歌が人の耳に多くさらされるようになると、ジャズじゃないと言われることへの恐れにも襲われるようになりました。しかし自分の歌がジャズらしくないと言われるのも、自分自身でもそう感じるのも、それはそれで当然のことなのだということにも気づきはじめました。


ジャズのむずかしさというのは、端的に言えば方言を獲得するようなものです。普通、何かができるようになって洗練されるという場合、身体に染みついたものを落として社会化していくことを指すと思うのですが、ジャズの場合、ベクトルが逆なのだということがやっとわかってきました。しかも、モダンジャズ時代のミュージシャンは、黒人の文化を白人に二度と搾取されぬよう、自分たちの音楽エッセンスを決して真似できないレベルまで凝縮し、ジャズの中に閉じ込めようとしたのです。そのようなものを、外部のものが簡単に習得できるわけがないのです。


私はそこであきらめたわけではなく、ジャズの見方を変えました。まず技術だけなら学べることは山ほどあるので人事を尽くします。ただし、その先にあるもの、もしくはないものがその人のジャズなのだと考えました。


今は曲選びや歌い方など、自分にどれだけ似合っているかを判断基準にしています。しかしその際、私自身は何かの単一の原点にかえるというより、たぶん長い歴史の中で混ざり合ってきたであろう自分にも未知のミックスのルーツ、文化をさまざまに組み合わせることで、ジャズとして共存するイメージを待っています。それは庭をすべてラベンダーの畑にするのでなく、いろいろな植物を美しく配置するガーデニングのようなものでしょうか。ジャズという土地でそんな多様な文化が育まれるよう、祈りの歌を歌いたいという気持ちでいっぱいです。


ライブ当日は、こんな理屈は抜きですのでご安心ください。皆さんと久々にお会いできるのを、とても楽しみにしています。ありがとうございました。


✳︎西山仁美さんがオーダー製作してくれたスワッグの写真を添付しています。美容師さんでもあり、お店にライブのハガキを置いて下さっています。