Round Midnight〜ニカとモンク〜 | ジャズ・ヴォーカリストMASAYOブログ   〜高慢と偏見〜

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ジャズヴォーカリストMASAYO/北海道出身

真夜中の声が聞こえる

ラウンドミッドナイト

日が落ちるまではかなりよくやってる

でも夕食のときには悲しくなり

真夜中の頃には最悪だ


過去の記憶はいつも

真夜中の頃にはじまる

そんな記憶に耐えられる心を持ち合わせていない

心はまだきみとともにあるから

古き真夜中もそのことをわかってくれる


けんかは仲直りのためにあったのに

それは終わりだったということなのか

今ならわかる、ダーリン、きみが必要だ

きみは私の腕をすり抜け

私は我を失っている


いつかの真夜中に

我らの愛に翼を授けてくれ

天使にきみの帰還を歌わせてくれ

古き真夜中が現れ

我らの愛が無事に守られるように



こんにちは、MASAYOです。


特にライブとは関係ないのですが、今回は、セロニアス・モンクのラウンド・ミッドナイトという曲につけられた歌詞を、訳してみました。


最近、

ナタリー・リヴィングストン著

『ロスチャイルドの女たち』

古屋美登里訳、亜紀書房

という本を読み、


ジャズ・ミュージシャンのパトロンとして知られる、パノニカさんについての印象を新たにしました。


そこで、彼女が最期まで愛したモンクのこの曲を取り上げつつ、私が彼女について考えたことを、書くことにします。


まず、この本の素晴らしさは、ロスチャイルド家の歴史を、一族の女性中心に語っているという点にあります。


これまで、ロスチャイルド家についての研究書は、男性の業績ばかりが取り上げられてきました。


一族の女性については、個々が残した日記や手紙、新聞記事などの資料が、熱意ある研究家や図書館が大切に保管しているにしろ、完全には整理されず散逸している状態であり、


家系としての歴史、もっと広くはユダヤ研究やヨーロッパ史の中に、積極的に取り上げられ、まとめられることは、ほぼなかったそうです。(文筆を得意とした女性が、自伝を発表しているものはあります)


(この本を読んだ後では、女性を省いて語られたものって逆にどんなん。と思ってしまいます)


この著者は、それらの無数の資料を、たくさんの人々の支援のもと慎重に丹念に集め、この一族の男性女性、また精神薄弱として記録から消されていた人物などを合わせ、複雑で巨大なパッチワークキルトを作り上げました。


はい。


私はニカさんを、そんな時空曼荼羅の中に描かれた一人として、このたび読んだのです。


キャスリーン・アニー・パノニカ・ロスチャイルドは、家系図でいうと6代目の世代に当たります。


結婚して姓がコーニグズウォーター(ケーニヒスヴァルテル)となり、夫が男爵だったため男爵夫人と呼ばれることもありますが、


こちらでは以下、ニカさん、と呼んでまいります。


彼女については武勇伝があまりにも多いし、それゆえ、ニカさんは一族の変わり者であった、というのがジャズ界隈の通説です。


確かに痛快なエピソードばかりで、大げさに聞こえるようなものもありますが、報道の問題はあれ、それらのどれもがだいたい事実のようです。


しかし、では一族の嫌われ者であったかと言えばそうでもなく、もうあきらめられていた、という感じです。


私は、ニカさんが問題を起こすたびに支払いに現れる、ニカさんのお兄ちゃん、ヴィクターがなかなかいい味出していると思います。


もともと、ヴィクターがテディ・ウィルソンのピアノレッスンを受けていた縁で、彼女はジャズ・ミュージシャンたちと知り合っていきます。


戦争が起こったとき、ニカさんも物資の運送や暗号解読に従事し、中尉となるまでの働きをしました。


そして戦後、外交官の地位についたニカさんの夫、ジュールズ・アドルフ・ド・ケーニヒスヴァルテル男爵は、


アウシュビッツで母を失くすなど、戦争の影響のせいか横暴になり、もう、ジャズを愛しニカさんと飛行機で世界を飛び回っていた、戦前の頃の彼ではなくなっていました。


彼との生活に苦しんでいたニカさんは、ウィルソンから勧められて聞いた、モンクの『Round Midnight』に、背中を押されることになります。


メアリー・ルー・ウィリアムズが、ニカさんと、パリ・ジャズ・フェスティバルに参加中だったモンクを引き合わせ、それが二人の運命の出会いとなりました。


彼女はその年のうちに、ニューヨークへと旅立ちます。


そこからが、彼女のジャズ男爵夫人伝説の始まりです。(詳細は、ぜひ関連本をお手にとってみてください)


さて。


ニカさんの献身的な、一般的にはパトロンとしか言いようのないこの活動の中身ですが、私はこの本を読むことによって、


ロスチャイルド家の少なくとも女性たちが、何代もかけ連綿と行ってきた生き方に、通ずるものだったのだと思いました。


一族の女性たちはその富を、その時々の社会問題に投じてきました。ただ貪るだけではなかった。


ロスチャイルド家には、宗教と政治がもたらす差別や貧困や虐殺と、闘い続けた歴史があります。


その系譜から考えると、ニカさんが表向きジャズを通して、当時もっとも社会の底辺にいた黒人社会の基盤を形作る手助けを、無意識にしろ、行っていたように思えました。


そして。


もうひとつ私が考えたのはやはり、個人の心の問題でした。


ニカさんの場合、父親や伯父、姉が、社会生活を送るのが精神的に難しい人たちだったということでした。


それ故ニカさんは、そういう病を抱える人々のことを、十分理解できる人だったのかもしれません。


そして自分も、その心の暗闇を、恐れていたのかもしれません。


これは、ニカさんがモンクと意気投合した理由にも、つながる気がします。


モンクの作る曲は、彼のもつその暗闇から紡ぎ出されたものであるがゆえに、ニカさんはその曲に、まぎれもなく癒されたのではないでしょうか。


二人は、同じ暗闇を見つめることができたのでしょう。そしてニカさんは、そのモンクの音楽が、自分にとどまらず人種も宗教も超えて、同じ暗闇を抱えるあらゆる人々を救うものだと、直観したと思うのです。


だから、ニカさんは自分の命をおびやかしてさえ、モンクやミュージシャンを文字通り、生き延びさせる活動にのめり込んだのだと思いました。


ニカさんは、1988年に亡くなりました。告別式はモンクのときと同じ教会で行われ、彼女の場合は火葬されました。遺灰についての遺言は、ニカさんらしいものでした。


それらはラウンド・ミッドナイト、つまり「真夜中の頃」に、ハドソン川の暗い河面に、撒布されたということです。


最後に。


先に私が訳した歌詞は、ジョー・バーニー・ハニゲンによるものでしたが、


最後に、カーメン・マクレエの歌唱で有名な、ジョー・ヘンドリクス作詞のバージョンを、お届けします。


今回も読んで下さり、ありがとうございました。


青白く孤独な月は

暗い夜空を照らすことができる

夜が明ける前

俺は部屋にいてため息をつく

来ては去る一日のことを思いながら

またひとつ孤独な日は過ぎて

新しい日が始まろうとしている

真夜中の頃には


今日流した涙は

明日まで待っていたりはしない

夢になりかけているようなものが

おずおずと俺に近づく

視界には真新しい一日

真夜中の頃には


人生はチャンスをつかむゲームだ

おまえはマイナープレイヤーでしかない

愛すべきものを探せ

少しは手に入る日も来よう

闘いの心を静めよう

真夜中の頃には


毎日はいくらかの悲しみをもたらし

毎日はいくらかの喜びをもたらす

だから喜びを選ぶことだってできる

つまらないものに快楽を求めるな


一日を振り返ってみるがいい

幸せでないこともあったろう

恐れを追い払おうとするより

恐れない大いなる力だけが日の目を見る

目に光を宿そう

真夜中の頃には