ジャズ・ヴォーカリストMASAYOブログ   〜高慢と偏見〜

ジャズ・ヴォーカリストMASAYOブログ   〜高慢と偏見〜

ジャズヴォーカリストMASAYO/北海道出身

こんにちは!MASAYOです。


今日は後編となりますので、早速、前回の続きをお話しします。


MCの中で、今度はベーシストの時安さんにも、影響を受けた音楽家をうかがいました。すると彼の答えもまた、私にとって大変興味深いものとなりました。


時安さんは、端から一言では答えず、「語り」に入りました。もともと、この質問に一人や二人の名前だけ選んで挙げるなんて無理な話だと私もわかっていましたが、そうきたか、と思いました。


実は、具体的なベーシストの名前は、当日聞いている側から忘れてしまったので、ここでは彼の回答の要点だけ、お伝えしてみることにします。


もう何十年も昔のこと、ベースの速弾き革命が起こったそうです。まだインターネットなどない時代なので、アメリカの音楽院などが交流地となることでその奏法が世界に広まり、浸透していきました。技術的にとても難しいそうですが、皆がその習得を目指すようになっていきました。


しかし、そのようにベースの速弾きが流行ると今度は、それを疑問視する声も出てきました。一体これは、ギターの速弾きと何が違うのか?と。これでは単に低い音のギターではないのか?と。それはつまり、ベースの存在意義は?という問いでした。


そのような疑問を持つ人が、電子音楽やヒップホップなどの台頭も影響し、それとは違う路線の、ベースという楽器の持つ低音の魅力や温かい音といったアナログ的な側面へと、回帰していく。そんな流れもあるそうです。


あと、この人の名は覚えていたのですが、かつてコルトレーンのバンドにジミー・ギャリソンというベーシストがいて、その方の息子、マシュー・ギャリソンさんという、速弾きの技術もさることながら、親とは違う表現を模索され、ご自身の世界観を築いている現役ベーシストの名前も挙げて下さっていました。


さて、私としてはまず、このような答え方に誠実さを感じましたね。


話を聞いている人たちは、いろいろなベーシストの名前を聞いたところでわからないとは思うけれど、だから表面的に答えておこう、という態度ではなく、だから理解しやすいようアーティストの「物語」レベルで回答してくれたのがうれしかったです、長かったけど。


そして何より、私としてもこの「物語」に共感できるものがありました。


ジャズヴォーカルにおいても、ヴォーカリストが楽器演奏のようにソロを取る、スキャットシンギングが出てきたときが、ひとつの革命でした。


それまでは、楽器が歌うという褒め言葉があるように、楽器奏者がいかに歌手のような豊かな表現を手に入れるか、という時代でした。


しかし、モダンジャズの高速奏法が席巻すると、逆に歌手のほうが、いかにビバップ奏者のように器楽的に歌えるかを、競う傾向が現れました。


その技法に適応できる歌手もいれば、できない歌手もいました。もちろん、あえてそれをしない歌手もいたでしょう。歌には情感があればよい、心が伝わればよい。逆に、そういった原点回帰を誓った歌手もいたはずです。


私としても個人のレベルで、これと同じような経験をしてきました。超絶技術が自分にはありません。だから自分に似合う懐かしい歌を、リラックスした声で歌っていくことに決めました。(そのことは、ここ最近のブログに書いている通りです。)


そんな心境で臨んでいた復帰ライブだったので、余計に、自分のことと勝手に重ね合わせたのだと思います。


そしてきっと、聞いていた方々の物語とも、どこか共鳴するものがあったのではないかと感じています。


さて。


いつになるのかはわかりませんが、またライブでお目にかかりたいと思います。


その日まで、どうぞお元気でお過ごしください。読んで下さり、ありがとうございました。