ズーラシアン・ハーモニー | ありのまま、私を紡ぐ

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長年公務員として働いてきた、40代ワーママの私。
人生の節目で、「当たり前」ではなく心の声に従う選択をしました。
日々の気づきや悩み、希望、新しい挑戦を書いていきます。

またズーラシアンブラスのこと言ってる…

と思われそうですが、コンサートに行ってから、ずっと心にあることを書こうと思います。

 

 

 

初めて見た時の感想はこちら

 

 

 

 

 

あの日、コンサート会場で舞台に現れた

動物たちは、それぞれがものすごく個性的だった。

 

 

ライオンは孤高の人、

ホッキョクグマはクール(実はぼんやり)、

マレーバクはのんびり、

トラはユーモラス。

 

 

誰ひとり同じではなかった。

 

 

それが演奏が始まると、

途端に会場に美しい音色が響き渡る。

 

 

トランペットの高音が軽やかに飛び交い、

チューバの低音が力強く支え、

ホルンが優しく中音を奏でる。

そこにトロンボーンが滑らかに音を伸ばす。

 

 

それぞれの音が絡み合って、

豊かで厚みのあるハーモニーを生み出していた。

 

 

それを聞きながら私は、

「あぁ、世界が、社会がこんな姿になればいいのに」と唐突に思った。

 

 

トランペットのように輝かしい存在、

チューバのように支える存在、

ホルンのように調和を生む存在。

そしてトロンボーンのように状況に応じて

柔軟に対応する存在。

 

 

それぞれが自分の役割を果たしながら、

互いの音を聴き、美しいハーモニーを奏でる。

 

 

トランペットのライオンは、チューバのホッキョクグマに

「高音が出ないなんて、チューバってだめだな」とは言わない。

 

 

だってそもそも違う楽器だから。

 

 

人間だって同じだろう。

あの人はあれができるけど、この人はできない。

彼女はこれが好きだけど、私は好きじゃない。

 

 

当たり前だよね、違う人間だから。

 

 

「違い」は、

一方が正しくてもう一方が間違っているという

ことではない。

 

 

 

あなたはこうだけど、私はこう。

というだけの話。

 

 

でもなぜか、

どちらが正しいのかという争いになるのは

どうしてなんだろう。

 

 

ズーラシアンブラスのように、

それぞれの個性を活かしながら調和を生み出すことはできないのかな。

 

 

そんなことを考えていたら、

普段あまり話さない同僚が、

自分とは違う視点で業務の改善案を出した。

 

 

最初は戸惑ったけれど、思い切って、

「そっか〜、そういう考え方もあるんだね」

と伝えてみたら、同僚の表情が明るくなり、

職場の空気が少し変わった気がした。

 

 

小さな一歩だけど、これもまた、

個性を活かした調和の始まりになるといいと思う。

 

 

そしてこの気持ちを忘れたくない私は、

年内のズーラシアンブラスのコンサートチケットを予約し、

来年の予定もしっかりチェックしている(笑)

 

 

 

読んでいただき、ありがとうございました。