シャイな北野武によるロマンチックな恋愛映画『あの夏、いちばん静かな海。』(1991)レビュー | SayGo's 映画レビュー

SayGo's 映画レビュー

勝手に映画鑑賞して
ダラダラとレビューします。

本日鑑賞した映画は

耳の聞こえない男女の恋愛をサーフィンと海で語る

『あの夏、いちばん静かな海。』

公開日:1991年10月19日

上映時間:101分

 

ゴミ収集作業員として働く聾啞の青年 茂

ゴミ捨て場で先の欠けたサーフボードを持ち帰る。

発泡スチロールでサーフボードを修復した茂は

恋人 貴子を誘い海へ通うようになっていくのだった。


 


北野武監督作品の3作目にして初の恋愛映画となっている本作は、

サイレント映画さながらにセリフが少なく、

画の美しさと情感、久石譲の音楽で物語を語っていくという

前衛的とも言える異色的な作品でした。

 

最近、北野武監督作品を見直したり、

見てなかった作品を見たりするうちに

「北野武こそ日本で一番の映画監督」

心底思い始めているわけです。

なので「大好き」「素晴らしい」と言いたいのですが、

演出や画の作りなどはさておき

作品としてはあまり感動するものではなかったというのが

正直な印象です。

 


耳の聞こえない青年 茂とその恋人 貴子の恋愛模様を軸に、

茂と貴子がサーフィンを通して周囲の人間、

言わば社会に馴染んでいく様子を静かに美しく描いていく本作において

最たる特徴は耳が聞こえない男女による

サイレント映画さながらの恋愛模様描写です。

 


耳が聞こえない=喋ることのできない茂と貴子の間には

もちろん会話というものが存在しておらず、

彼らが主人公となっている本作はセリフ自体が非常に少ない作品となっています。

 

「耳が聞こえない」という共通点で運命的に

結び付けられているような2人の関係

もちろんロマンチックな雰囲気を醸しているわけですが、

2人の恋人関係を「歩く画」で見せている部分が映画らしい。

 

まさに「男とその3歩後ろ歩く女」という

今見ると古びたトレンド、価値観の描写となっているわけだが、

直接的な言葉が交わされない分

「その関係を強いられている」という印象は皆無となっており、

逆行していると言われようとも美しさを感じてしまうものでした。

 

「人は言葉があるから仲良くもなるし、

同時に言葉があるからこそ勘違い、誤解を産んでしまい仲が悪くなる生き物」

だと思っているわけで、

多くの恋愛映画にはそういった男女間のすれ違いが描かれているわけですが、

 

それを言葉が交わせない2人の恋愛模様の中でも描いている部分もおもり沿い。

 

2人は相手の仕草や表情から通じ合うことも出来れば、

咄嗟に説明することも、弁解することも出来ないからこそすれ違ってしまう。

こういうのもなんですが、

健常者と同様の恋愛模様を盛り込んでいる部分に普遍性も感じました。

 


そしてかなり共感できたのが

「恋愛映画であった全然恋愛映画になっていない」部分。

 

シャイなことでも有名な北野武さんですが、

その人柄がこれでもかと出ている作品となっており、

簡単に言えば「恋人らしいシーン」が皆無です。

おそらくですが、シャイな武さんの理想の男女関係

描かれているように思います。

 

街中でイチャイチャする恋人に憤りを感じる自分には

この映画の恋愛加減は本当に心地がいいもので、

恋人的なイチャイチャシーンがなくとも

2人の恋人関係を伝えきっている本作の表現力には驚かされました。

 

だからこそ【ラストシーン】が呑み込めなかったわけです!

 


ラストシーンに関しては一度置いておくとして、

物語にツッコミがないとは言い切れません。

結構、とんとん拍子に事が運べば、

主人公 茂はあっという間にサーフィンうまくなるなど、

リアリズムに欠ける部分は少なからず感じました。

※茂を演じる真木蔵人の隠しきれないサーファー感も(笑)

 

ただ、やっぱりうまいのが

北野武監督の大胆な「説明排除」と「物語省略」です。

 

作中で茂と貴子から

「外界とコミュニケーションを取りに行くシーン」として

「サーフボードを買う」シーンと

「大会会場に向かうため軽トラ運ちゃん話しかける」シーンの

2つが印象深く残っているのですが、

その2つのシーンは、「何かを隔てたり」

又は「遠くから写したり」して会話ややり取りを不明瞭にします。

 

ロジックを曖昧にし、または省略し、その後の結果で明確に語る演出

北野武の映画的センスだと思っているのですが、

本作ではそれが最低限のリアリティを担保していたと思います。

短時間で耳の聞こえない方と仲良くなるなんて展開あったら

それこそ興ざめですからね。

 

そして、説明排除は物語にテンポ感と特有の面白さをもたらしています。

作中にサーフィンに挑戦する茂を最初は笑っていたものの、

自分たちもサーフィンに挑戦し始めてしまう2人の青年がいるわけですが、

彼らが「なぜ?」サーフィンに惹かれたのかが一切語られません。

ただ、この演出があるからこそ2人の青年はコメディリリーフ的な存在感を放っており、

作品のテンポ感も心地いいものになっていたと思います。

 

前作「3-4x10月」ほどの飛躍こそないものの、

北野武監督の省略センスはやはり半端じゃない!

前衛的なのに映画の正攻法に思えてしまいますからね。

 

 

気づいたら長くなってしまったので

問題のラストシーンに入りたいと思います。

 

ラストは北野武監督作品らしい【悲劇】が描かれます。

ここでもシャイな北野武さんの人柄が炸裂。

エモーションを高める演出は皆無に等しく、

なんなら冷めた視点でその悲劇を描いていくわけです。

 

「あの夏、いちばん静かな海」というタイトルが

貴子の視点であったと語られるようなクライマックスは

映像がエモくなくとも、喪失感も切なさもある【はず】なのですが、

監督がインタビューで答えているように

ラストはファンサービスで映像によってエモーションを高めていきます。

 

抽象的な思い出のモンタージュだけであればまだいいのですが、

ここにきて「イチャイチャするような」恋人的な茂と貴子の映像が流れるわけです。

 

要は「ここ泣き所ですよ」とこの上なく説明的なシーンが入ってきちゃうわけですね。

 

これまでの世界観の真逆を行くようなこのラストシーンは

世界観が一気に崩されてもしまったため、かなり混乱、難解に思えました。

 

どうやら北野武が削っていた恋人らしい茂と貴子シーンを

ファンサービスとして入れたみたいなのですが、個人的には蛇足でした。

 

なぜなら、あのラストシーンのあるひと演出は

これまで築かれてきた貴子のキャラクター性を覆してしまっており、

「茂の後ろ歩くの本当は嫌だったんじゃないの!?」と思ってしまうわけです。

 

北野武監督らしいシャイな恋人描写、

言葉でなく心で通じ合うようなロマンチックさが

この作品の「純愛」表現と思っていた自分は

このラストシーンにとにかくがっかりしてしまいました。

 

あと、最後に言わせてください。

やっぱり画が綺麗!

 

どうやら「キタノ・ブルー」と呼ばれることとなる原点的な作品らしいのですが、

個人的に思うこの作品の画の美しさは、

色が綺麗、景色が綺麗というのではなく、

すごく規則的に世界がバランスよく一枚画に収められているような画面演出です。

 

北野武監督はどこかのインタビューで

「理想はどのシーンを写真にしても絵画みたいであること」

というようなことを言っていたわけですが、

そのシーンの世界と人物の物語を一枚絵に収めるセンスがすごい。

 

アップショット寄り「引き画」にこそ北野武監督の凄みがあると思っています(笑)

 

シャイな北野武監督だからこそ

この上なく純粋でロマンチックな恋愛映画でした。

だからこそ、ラストシーンには...

恋愛映画が苦手な人にもオススメできる一作です。